恵梨香の幸せ:康太の好き嫌い

 康太にも食べ物の好き嫌いはある。だけど妙に影響が大きいのはお袋さんの気がする。そりゃ、母親が子供に大きな影響を及ぼすのは当たり前だけど、あんまり良い方になってない気がしてならないのよね。

 お袋さんは頭の良い人だった。だってだよ薬剤師の資格をもってるんだもの。今だって薬剤師になるのは大変だけど、当時ならなおさらとしか言いようがないじゃない。だから口も立つのはわかるけど、康太は周囲がバカに見えるタイプじゃないかとしてた。

 夫婦喧嘩も元嫁との嫁姑戦争の時もそうだけど、とにかく出てくる言葉にトゲがあるんだって。よく綿に針を包むようにって言うけど、その針に毒が塗られてる感じっていうから、どれだけと思うよ。

 そういう話し方は喧嘩の時だけでなくて、普段からそうだと康太はしてた。まずとにかく褒めない人だったで良さそう。たとえば康太がテストで九十点を取って来ても、九十点を褒めるのじゃなくて、減点された十点を責め立てると言えば良いのかな。じゃあ満点を取れば褒められるかと言えば、

「あははは、こうやって満点が取れるはずなのに、今まで取れていないのはボクが悪いと言って責められたよ」

 康太は子どもの時は絵が上手かったらしい。上手いどころか表彰状を四枚も取ってるし、金賞だってあるって言うからビックリ。ああいう表彰状って、朝礼の時とかに渡されるのよね。子ども心に晴れがましいし、恵梨香も一枚ぐらい欲しかったもの。康太も胸張ってお袋さんに報告したそうだけど、

「あれ。勉強もあれぐらい集中してたら、成績は上がってるはずだって言われただけ」

 テストで満点取れない分を責め立てられ、満点取ったら今まで取れていない事を責め立てられ、テスト以外の分野で成績を挙げたら勉強が手抜きだと責めたてられ・・・そういうお袋さんの話し方は年とともにエスカレートしたらしく、最終的にはどんな話から始まっても、最後はお説教になったそう。これでよくグレなかったもの。

「嫌われてたの?」
「そうじゃないから、メンドウだった」

 学生になっても長期休暇の時は早く帰って来いだったし、帰れば帰ればでゆっくり寛げって言われたそう。康太もお袋さんと話をしたそうだけど、相も変わらず綿に毒針を含んだもので定番の説教モードに突入。

「帰って一時間もしたら嫌になった」

 つまりはお袋さん自身は康太に説教するのが康太のためになってると思い込んでたみたい。それがどれだけ康太に嫌がられてたかの自覚なんてどこにもなく、むしろ喜ばれてるとか、好かれてると考えてたで良さそう。


 康太の食べ物の好き嫌いの中に健康思想が混じり込んだものはトコトン嫌いってのがある。ここはごく簡単に、

『不味くても体に良いから食べろ』

 こうしても良いと思う。お袋さんの料理の腕は悪くなかったみたいだけど、ある時期から健康思想が入り込んだで良さそう。康太は酸味が苦手。酸味というより、お酢が好きじゃない。とくに酢の味が前面に立つものは嫌いで、酢物もやカルパッチョも好きじゃない。

「鮨は好きだよ」

 これもお袋さんがお酢の健康法にはまった時期があったみたいで、それこそ酢を使った料理のオンパレード攻撃をされたで良さそう。その反動で今は嫌いぐらい。出されれば食べるけど、自分からは絶対にオーダーしないもの。

 実は魚もあまり好きじゃない。いや、あれははっきり言うと嫌いで良いと思う。とくに嫌いなのが煮魚。煮凝りなんて見るのも嫌で良さそう。これもお肉が体に良くない健康法の反動みたい。

 康太の子どもの頃は新鮮な魚を手に入れるのは容易じゃなかったで良さそう。魚料理も鮮度が良ければ刺身にも出来るけど、少し古くなると焼き魚になり、さらに煮魚になるところがある。

 それと子どもは魚の骨が苦手。魚好きが食べると骨格標本みたいになるけど、ヘタクソが食べると身がいっぱい残るのよね。普段の料理には小骨が多い魚が使われることが多いから、それだけで康太はウンザリしてたみたい。

「言われたの」
「そりゃ、もう」

 康太は小汚く食べるのを徹底的に注意と言うか、例の綿に毒針でやられ続けて、すっかり魚が嫌いになったで良さそう。とくに魚の生臭さは徹底的に嫌いになり、その生臭さを消すために使われるショウガの臭いまで大嫌いになったんだって。

 それと酢物も同じだけど偏食矯正もされたんだって。要するに好きになるまで延々と食べさせられたってこと。結果として矯正にはならずにダメ押しになったぐらい。

「だから焼き魚も煮魚も外でしか食べなかった」

 そうなのよね。結婚前もよく和食屋さんに行ってたし、そこでは普通に焼き魚も煮魚も食べてたもの。贅沢かもしれないけど、刺身に出来るほど新鮮な魚じゃないとダメってこと。

 お袋さんの特徴として健康思想も周期的に移り変わるらしい。これも康太に言わせると、自分が食い飽きたからだろうってしてるけど、どうも康太は苦手の物をわざと選んだかのように集中攻撃されたらしい。

 そのうち味付けまで健康思想が入り込んだみたいで、康太がその料理に期待していた味がしなくなったらしい。それが美味しくなればともかく、康太にとっては吐き出したくなるほど不味く感じたで良さそう。

「恵梨香、これだけは言っておく。何があっても玄米は出すな」

 玄米は恵梨香も食べたことが無いけど、上手に炊けば美味しいとは聞いたことがある。康太はお袋さんに食べさせられて、この世にこれほど不味いものがあるとしか感じなかったって。

「玄米が本当に美味しいのなら、だれがわざわざ白米にして食べるものか!」

 誰にだって好き嫌いはあると思うし、むしろなんでも大好きの方が珍しいと思うのよね。康太の場合はあんまり好きなじゃないものを押し付けられてダメを押されまくったぐらいかな。

「まあね。食べなきゃ若死にするの呪いをかけられまくったよ」

 だから康太に食事を勧める時に、

『体に良いかから』

 これはNGワードみたいなもの。思想で飯食ってるんじゃないって感じかな。まあその辺は恵梨香にもわかる部分はある。どこかの番組で、

『これを一日にこれだけ食べると体に良い』

 こんなのがあったけど、毎週毎週紹介される体に良いものを全部食べてたら、食事が大変なことになっちゃうもの。そんなに難しく考えなくとも美味しいものをバランスよく食べれば良いだけなのは恵梨香も同じ意見だよ。


 そうそう元嫁にもダメを押された料理もあるんだよ。元嫁も料理は下手じゃなかったみたいだけど、必ず汁物を付けるんだって。和食なら味噌汁、洋食ならスープ、中華なら中華スープかな。それ自体は取り合わせとして問題ないと思うのだけど、とにかく量が多かったみたい、

「小型のドンブリぐらいあった」

 さらにどの汁物も、いわゆる具沢山だったみたいで、

「信じられるか。箸が立つんだよ」

 康太にとって汁物はあくまでも汁を飲むものであって、量もカップスープぐらいかな。クリームスープにクルトンが乗っかってるぐらいのイメージで良いかもしれない。具沢山もたまには変わり種で良いかもしれないけど、連日連夜繰り広げられて見るのも嫌になったそう。

「どうしたの」
「また喧嘩さ」

 どうしても受け付けなくなった康太は、最終的に汁だけ飲んで具には手を付けなかったんだって。それを元嫁が怒って一週間ぐらい口を利かなくなくなったらしい。


 なんかいつもいつも思うのだけど、人の組み合わせは大きいよ。お袋さんの場合は選びようがないけど、よく康太も耐えたものとしか思えないもの。元嫁は康太が選んでるけど、相手との本当の意味での相性なんて結婚してみたいとわかるはずないものね。

 康太は結果として生まれ育った家庭も、結婚後の家庭も居心地が悪かった気がしてならないのよね。食べ物もそう。結婚前に恵梨香とあれだけ食事に行ったのも、恵梨香が何を好み、何が嫌いかを調べてた気がしてる。

 そりゃ、まったく好みが一緒だとは言えないけど、お互いの嗜好がかなり近いのは間違いないもの。余裕で合わせられる範囲と言えば良いのかな。恵梨香ももちろん注意してるけど、康太は恵梨香の作るものを喜んで食べてくれるんだよ。たぶん注意点は決め打ちしないことで良いと思う。康太が絶対に食べられないものは、

「タイの子の焼いたの」

 これぐらいで、あとはゲテモノ系かな。ゲテモノは恵梨香も好きじゃないから出さないし、康太は嫌いなものでも量さえ少なければ文句も言わずに食べてくれるもの。それだけじゃないよ、

「恵梨香の作るご飯は美味しいね」

 そりゃ、もう、どこぞのシェフが作ったかのように褒めてくれるんだもの。たまに手を抜いて宅配ピザも使う時だって、

「たまには恵梨香も手を抜かないと。それにさすがの恵梨香だってピザまで焼けないから嬉しいよ」

 う~ん、手を抜く日が我ながら多いと反省してるけど、あれだけ褒められると作るのだって意欲が湧くじゃない。実は夕食だって、

「ボクは遅いから、無理して待ってくれなくても良いよ」

 康太の夕食は八時半ぐらいになるから最初は辛かった。ちなみに元嫁時代は子どももいたから康太は一人で食べてたって。でもこれだけは譲らない。たとえもっと遅くなっても夕食は必ず一緒に食べる。二度手間が面倒なのもあるけど、やっぱり一緒に食べたいもの。