恵梨香の幸せ:新婚生活

 再婚だけど新婚の恵梨香だよ。結婚生活って相手の新しい発見でもあるって思ってるけど、やっぱり実際に一緒に暮らしてわかることは多いと改めて思ってる。たとえば恵梨香が仕事を続けるように望まれた理由。

 康太は小児科医だけど開業医。そこに病児保育施設も併設してるんだよね。恵梨香の同僚でも子どもの急病で預け先に困っている人が多いから、すっごく有難い施設なんだけど、朝の七時半から預かってるんだよね。

 康太は預かりが始まるまでに出勤するから六時過ぎには起きるんだ。そして預かりの最大延長が八時だから、それが終わってから帰ってくる感じ。この辺はいつも最大延長児がいるわけじゃないけど、帰宅時間は夜の八時ぐらいになることが多いんだよ。

 子どもは作らないことにしてるじゃない。専業主婦だったら、その間はずっと一人でいなきゃならない事になる。それだったら仕事をしている方がずっと良いとしてた。それだけじゃなく、康太は仕事をしているメリットも重視していると思う。

 はっきり言われた訳じゃないけど、仕事をしている緊張感が恵梨香に望ましいぐらいで良いはず。仕事をするというのは人に見られ続けるもあるのよね。恵梨香は信用金庫の窓口業務だけどお客さんに顔を見られるのよね。

 別にお客さんに媚び売るわけじゃないけど、窓口って信用金庫の顔みたいなところでもあるから不快感を味合わせたら良くないもの。だから恵梨香なりに少しでもマシに見せようとしてるわけ。

 これは特別意識してやってる訳じゃないし、仕事をしてる人なら誰でもそうだけど、専業主婦になっちゃうと、努力しないとこの緊張感が維持しにくくなっていくと思うんだ。もうちょっと言えば緊張が緩みやすいぐらいかな。つまりはオバハン化の予防策の一つぐらい。


 それと康太は恵梨香を驚くぐらい信用してくれてる。独身時代は同僚や後輩と一緒に週末はよく飲みに行ってたんだよね。これも結婚してからは良くないだろうと自粛してたんだけど、

「どうして行かないの。付き合いは大事だよ」

 それでも男性同僚や上司は拙いだろうと思ってたら、

「それが何か問題でも?」

 康太は恵梨香がいつ飲みに行くかを知りたいだけで、誰と飲みに行くかは尋ねられたこともない。『いつ』はその日の晩御飯の都合で知りたいだけってこと。なるべく早く帰るようにしてるけど、どんなに遅くなっても、

「お帰りなさい」

 これ以上は言われたことがないもの。とにかく康太は恵梨香を縛らないようにしてくれてるのはよくわかるのよ。もちろん康太の信用を裏切る気なんかどこにもない。


 家事分担も恵梨香に負担をかけないようにしてくれてる。朝の早い康太のために頑張って朝食を作ってたんだけど三回ぐらい寝坊したら、

「朝は各自でやろう」

 さすがにこれは譲りたくなかった。朝食ぐらい作らないで何が奥さんだって。でも結局押し切られた。こんな奥さんで良いのかなと思ったけど、康太は一人で起きて、独りで朝食を作って出勤してる。恵梨香が起きだす頃には康太はもういないんだよ。その代わりじゃないけど夜は恵梨香担当。

 恵梨香だって七時ぐらいまで仕事があることが多いけど、恵梨香が作らないと誰が作るになるもの。これだって週末になると康太が作ってくれるんだ。康太の料理は本格派というか、男の料理と言うかで凝りまくりなんだよね。恵梨香の平日の手抜き即席と比べると引け目を感じちゃうのだけど、

「仕事を終わってから作ってくれる恵梨香と比べるのがおかしい」

 そうそう康太の部屋もすっきりしてるのに最初は驚かされた。物はすべて押し入れとかに収納されてて、部屋には最小限しかない感じ。これも理由があって、床掃除は拭き掃除機能付きのルンバがやるため。言い換えればルンバが掃除しやすいような部屋になってるんだよ。それも何度も調整したみたいで、

「出来れば恵梨香も協力してくれたら嬉しいな」

 ルンバがやってくれたらラクチンだから、どうしても床に置きたいものがあったら康太と相談してやってる。おかげでルンバのCMに出てくるような部屋になってるのに笑ってるけど。

 洗濯もシンプルなのに驚かされた。まず普段着はデニムの青ばっかり。下着も靴下も青、タオルもハンカチも青、バスマットも青。さらに康太はヒートテックみたいなシャツも着ないのよね。そうしている理由も単純で、

「色移りがして良いように」

 だから洗い物は洗濯籠に入れるのだけど、洗う時はすべて洗濯機にまず放り込む。洗い終わった時点でジーンズとデニムのシャツをまず取り出し、そこで手で叩いて皺を伸ばしてハンガーにかけてカーテンレールに乾すんだよ。下着と靴下は全部同じものだけど、そこから乾燥機能で乾燥させると、そのまま。順次取り出して使ってた。

 笑ったらいけないけどアイロンすらなかったものね。というかアイロンを使わない洗濯体制を作ってたんだ。これはさすがに恵梨香流にだいぶ変えさせてもらった。康太からすっごく感謝されたけど、恵梨香の洗濯物のあるから康太流では困るし。


 クルマもあったけど、これがなんと赤のアルトなんだよね。じゃあ康太にクルマへのこだわりがないかと言えばバリバリあるんだよ。この辺は別れた嫁との確執まで絡む話になるのだけど、康太が初婚時代に住んでたマンションは結構な山の上だったらしく、買い物に出るのにもクルマが欲しいところだったぐらいかな。

 その時は康太の通勤用と元嫁の買い物用の二台体制だったんだけど、開業の時に引っ越して一台体制にして康太はスクーター通勤になったんだって。元嫁のクルマは家族四人で出かけられるようにステーション・ワゴンになってたらしい。

 ここで元嫁がクルマを買い換えたのだけど、これがトコトン康太の気に入らなかったんだよ。どれぐらい気に入らなかったかったかだけど、ついに一回も乗らなかったっていうから徹底してるし、康太にそんな面があるって驚いたぐらい。そのクルマは康太が離婚した時に元嫁に譲ってるけど、

「アルトが好きだったの?」
「まあ、その・・・」

 康太のクルマの好みはスポーツ・カー。結婚前からロードスターを乗り回していたんだって。だから究極はポルシェのボクスターだって。フェラーリとかランボルギーニも憧れらしいけど、故障率と高さからポルシェに妥協してるって。

 ただ康太にしても高すぎるのと、ロードスターで懲りた部分はありそう。ロードスターってオープンカーだけど、日本でオープンで走れる期間はホントに短いそう。それにスポーツカー全般に言えるのだけど荷物が本当に乗らないんだって、

「あれでスキーに行ってエライ目にあった」

 ロードスターでスキーに行けるのかと思ったぐらいだけど、スペアタイヤも下して行っても、キャビンの中までパズルのように荷物を詰め込んで行ったってさ。それと洗車機が使えないから手洗いなのも悲鳴を上げたぐらい。

 もう一つの康太の好みだけど小型車が好きみたい。大きなクルマはバス運転しているみたいで面白くないって言ってるぐらい。だからワゴンやSUVみたいなものは興味もないらしい。

「何を考えてたの」
「ミニかフィアット500」

 とくにフィアット500はかなり御執心だったみたいでディーラーまで行ったそうだけど、やはりイタ車のメインテナンスの手強さにあきらめたぐらいかな。康太はクルマ好きだけどちゃんと動いてくれないと困るの考えも強そう。

「維持費も安いし、故障も少ないからアルトにした」

 恵梨香も乗せてもらったけど、タダのアルトというか軽じゃない。シートから違うのよね。それに目を丸くしそうになったけど、なんとマニュアル車。さらにあれこれオプションは付いててドラレコまで完備なのにカーステもカーナビもなし。代わりに携帯ラジオがダッシュボードに放り込んであった。

「これだったら二人で旅行するぐらいの荷物は余裕だし、雨漏りもしないし・・・・・・」

 雨漏りはロードスター時代にあったらしくて、雨の高速で大型トラックの横を通り抜けたら窓から飛沫が入って来たってさ。とにかくクルマについては口出ししない方が良いのわかった。


 それとこれも驚かされたのが靴。恵梨香の荷物を運びこんだ時に玄関の下駄箱を開けたら、なんと一足しか入ってなかったんだ。そう、康太の持ってる靴は通勤用の黒い靴とベランダのサンダルの三足だけなんだよ。

「失礼な。病院で履き替えるから四足だ」

 黒い靴にしてるのも法事の時に使えるからだってさ。お陰で恵梨香の靴をなんとか押し込めたけど、これってシンプル過ぎる気がしたよ。下駄箱に入ってた靴だけど、これがなんと登山靴。

 康太の趣味の一つがハイキングなんだよね。恵梨香も興味があったから一緒に行ってみたんだ。康太は初めてだからって言ってたけど、ジムに行っといて良かったと思ったもの。高校以来の山登りに悲鳴を挙げそうになっちゃった。

 でも面白かった。登ってるときはシンドイし苦しいけど、登る以外になんにも考えなくなっちゃんだよね。ひたすら登るって感じ。そしてね、やっと頂上に着いた時になんとも言えないカタルシスに浸れるんだ。それこそ、

「この山を征服したぞ!」

 それと見える風景が素晴らしい。たとえばクルマとかロープーウェイでも登れる山はあるけど、自分の足で登って見る風景は全然違う感じがするもの。それと頂上で食べるランチが美味しいの。康太はサンドイッチにしてるけど、コンビニお握りでも別物かと思うぐらい味が違うのよ。

 山登りなんてどこが面白いと思われそうだけど、なるほど、こんなところに面白みがあるんだって初めてわかった気がする。恵梨香も山ガール・スタイルをバッチリそろえたんだけど、

「とっても可愛いよ」

 お弁当を作ろうとしたんだけど康太に止められた。康太が言うには手軽に登ってるところがイイんだって。弁当を作るとなれば早く起きないといけないけど、作らないといけないと思うと重荷になっちゃうだろうって。

 今のところクルマへのこだわりさえ気を付けていれば、康太に要注意点はなさそうな感じ。恵梨香としては康太にもうちょっとオシャレさせたいけど、恵梨香が選んだ服を喜んでくれるかな。