黄昏交差点:ラウンジ

「美晴さん、三番テーブルお願いします」
「誰なの」
「指名で加島社長です」

 墓石屋さんか。なら今夜は楽しそう。やっぱりこういう商売でも、客によって変わるのよね。たとえば口説き落として一発やりたいのもいる。口説かれるのは適当にあしらうのはまだ楽しいけど、ガチなのはウンザリ。

 そう、ここは大人の遊び場。うたかたの時間を過ごすところ。口説くのも遊び、口説かれるのも遊び。そこの呼吸を心得てくれないと。ここでの話は、あくまでもその場限りってこと。

 その点で加島社長はスマート。見た目と逆かな。女の子を上手に喜ばしてくれる。ああいう気づかいを自然に出来る人に人気が出るのよね。だから女の子も自然に集まってくる。加島社長のテーブルにいるだけで楽しいもの。

 逆が接待されて当然って横柄な奴。払った分だけ元を取る気が満々って感じで、当たり前のようにお触りしてくるのよね。それがしたけりゃ、お触りバーにでも行けば良いのに。この業界は客の嗜好に合わせて細分されてるんだから。

「お一人なの」
「いえ、お友達と御一緒のようです」
「そっちの指名は」
「初めてだから誰でも良いそうです。ですから柚香さんにしますからフォローよろしくお願いします」

 珍しいな。業界仲間とか部下とかは時々あるけど、友だちとはね。ま、加島社長の友だちなら心配なさそう。

「加島社長、ご来店ありがとうございます。今夜もごゆっくりお楽しみください」

 加島社長の友だちの顔を見て目をパチクリしそうになった。年数こそ経ってるけど、まさか、ウソでしょ。他人の空似だよね。どう見たって加島社長のお友達って、

「美晴ちゃん。紹介するわ。オレの高校時代の悪友や。こいつにどれだけ泣かされたか」
「それはこっちのセリフだろうが。どれだけ修に痛い目に遭わされたか」

 席は加島社長とその友達の間になっちゃうけど。見れば見るほど、

「美晴ちゃん、いつものボトル入れてな」

 ダメだ、意識しちゃっていつもの調子が出ない。ここはラウンジ、話を盛り上げるのがお仕事。黙って水割りを作ってたんじゃ失格なのよ。

「こいつはオレと違って、よう出来る奴で医者になってるんよ」
「修だって社長だろうが。ボクのような零細経営者じゃ比べもんにならへんよ」

 えっ、医者で開業してるって。

「それにやな、修と違って結婚失敗してもバツイチやで。修の嫁さんは目が眩むような美人やって噂なんよ。ホンマ羨ましいわ」
「うちの嫁が美人って噂なんかホンマにあるんか」
「あるで大評判や。もっとも今作ったとこやけど」

 なんだって離婚もしてるって言うの。ここまで合ってるとなると、やはり。じれったいな、名前が出てきて欲しい。ここで柚香ちゃんが、

「社長、紹介が『こいつ』じゃ失礼ですよ」
「そやった、そやった。こいつは康太、神保康太や」

 もう声も出ないし、顔も上げられない、

「柚香ちゃん、ゴメン」

 一直線に化粧室に。まさかこんなところで康太に再会するなんて。気づかれただろうか。ここまで、そんな素振りも見せなかったよね。もう、忘れちゃったかもしれない。あれから二十三年だもの。

 康太は変わっていない。そりゃ、歳相応にはなってるけど、康太であるのは間違いない。だって、これだけ胸が高鳴ってるもの。あの監禁売春時代に思い浮かべた康太は高一だったけど、今の康太はもっと素敵かも。

 でも、こんな姿で再会なんて運命は残酷すぎる。ラウンジ嬢はあの時代の仕事より、ずっとずっとまともな仕事だけど、だからと言って誇れるようなものじゃない。水商売の女なんて、そんなもの。しょせんは、男の欲望を満たすお仕事。

 こんなことなら、コンビニとか、スーパーのレジでも探せば良かった。そっちだって康太の彼女にふさわしい職業とは言えないけど、少なくともどんな仕事をしているかぐらいは言えるもの。

「美晴さん、どうされたのですか」

 いつもとあまりに違う行動にボーイが心配顔でやってきた。もう顔なんか見せられないけど、

「加島社長が心配してますよ。なにか悪いことをしたんじゃないかって」

 どうしよう。このまま逃げて帰りたい。でも、加島社長の顔を潰したくない。そうだ、康太は気づいてないみたいじゃない。今夜だけと思って素知らぬ顔で過ごせるかも。

「ごめんなさい。ちょっと気分が悪くなちゃって。もうだいじょうぶだから」

 覚悟を決めて席に戻った。加島社長は大げさなぐらい心配してくれる。ここは、乗らないと。

「社長のお友達があんまり素敵だったので、ちょっと化粧直しに行ってたの。どう、綺麗になったでしょ」
「なんやねん、康太狙いかよ。こいつとおったら、いっつもそうなるから敵わんは」

 ちらちらと康太の方を見るけど、ニコニコと楽しそうなだけ。やっぱり気づいてなさそう。そこからはいつもの調子にある程度戻れて、それなりに盛り上げられたけど途中で、

「修、指名を変えへんか」
「柚香ちゃんが気に入らんのか」
「そんなことないけど、美晴ちゃんはボクの方がエエって言うたやんか」

 そこから決闘だって話になって、なにするのかと思ったら、にらめっこに始まって、ラウンジ嬢を審査員にして尻文字対決、連想ゲーム、古今東西、トランプ持ってこさせてスピード対決で最後はジャンケン。

「くっそう、今日のところは譲ったるわ。次は無いと思え」
「次だってボクが勝つで」

 あれだけ大騒ぎして結果は柚香ちゃんと席が変わっただけ。加島社長が御手洗に立った時に、

「閉店までいるの」
「いえ、ここのテーブルが終われば上がる予定です。もっとも、社長が閉店まで遊ぶのなら喜んで付き合いますけど」
「初対面で厚かましいと思うけど、仕事が終わったらコーヒーでも飲まない」

 こういう誘いは全部断ってるんだけど、これってまさか気づかれてるとか。どうしよう。でもこのチャンスを逃せば二度と会えないかもしれない。行きつけのスナックの名刺をそっと渡して、

「その店で待っていて下さいますか」

 加島社長と康太はそれから三十分ぐらいでお開きになり、帰り支度を整えたんだけど、ドキドキが抑えようもなくなっている。バレてるのだろうか、でもそんな素振りはなかったし、初対面とも言ってたよね。こういう仕事だから初対面で口説くのもいるし、康太もそれだけかもしれない。

 ラウンジではあまり飲まない事にしてるから、帰りに時々飲むのがあのスナック。店に行くまでの一歩一歩が重くなってる。どんな顔したら良いのだろう、何を話したら良いのだろう。それより、本当に待っていてくれてるのだろうか。

 由佳と気付かれずに口説かれたとしたらホテルになるかもしれないけど、そうなったら、どうしよう。行くべきか、行かざるべきか。そりゃ、行きたいけど、でもでも、そんな事をしたら。うじうじ考えながらスナックに着いたら居た。

「お誘いありがとうございます」
「来てくれてありがとう。断られたらどうしようと思ってたよ」

 ここまで来たからには覚悟を決めよう。

「ところで美晴ちゃんと呼ばなきゃいけない」
「神保先生のお好きなように」
「由佳、久しぶり」

 こんなもの耐えられないよ。ポロポロと涙が零れるのが止められるものか。あの救いのない辛い日々を生き残れたのは、きっとこの日、この瞬間を夢見れたからに違いない。ゴメン康太、

「うぇ~ん」

 もうどうしようもなかった。由佳が落ち着くのを康太はじっと待ってくれた。

「美由紀から聞いた。辛かったんだってね。でも、元気そうで安心した。それにしても、美由紀の言う通りだったのはビックリした。ホント由佳は昔のままだよ」

 美由紀のお節介焼きめ。どこまでバラしたんだろう。というか、美由紀もどこまで知ってるんだろう。

「葛城先生は美由紀の旦那さんのお兄さんだよ。事情があって、婿養子になってるから名字が違うそうだ。でも兄弟仲は良いそうで親しくしてるんだって」

 じゃあ、由佳のすべてを美由紀は知ってるとか。もし康太に知られてしまっていたら、ここにいる資格はなくなっちゃう。

「美由紀は泣いて頼んでた。由佳を救ってくれって」
「どこまで聞いたの」
「全部忘れた。ここにいるのは由佳だ。さっきも言ったろ、由佳は昔のままだって。ちょっと違うのは、お互い歳取ったこととバツイチになっちゃったこと。それ以外の由佳はいない」

 バレてる。全部バレてる。売女の由佳のすべてが、

「でも由佳は、由佳は・・・・・・」
「済んだことだ。ボクに見えるのはボクが夢中になった由佳だよ。それ以外はなんにも見えない」

 震えてる。体の芯から震えてる。由佳の夢見た世界がここにある。ホントに穢れまくった由佳を認めてくれるというの。穢れ方も半端じゃないのよ。康太の別れた奥さんも浮気したそうだけど、それだって多くて五人もいれば上等じゃない。

 由佳なんて五人ぐらいなら一日でこなしてたのよ。もっとやった日も数えきれないぐらいあるもの。奥さんの浮気でさえ許せなかった康太が由佳を許せるっていうの。

「あの浮気か・・・あれは由佳とは違う。あれは楽しみだけに行われ、あからさまにボクの心を裏切ったもの。生き抜くために由佳がせざるを得なかったものと比べるのがおかしい。むしろ胸を張っても良いぐらいだ」

 そこまで言ってくれるなんて。

「由佳は汚れ切ってるよ」
「どう見たって綺麗だよ。心も、そして体もね」
「じゃあ、抱ける」

 康太が黙っちゃた。そりゃそうよね。公衆便器とやりたくないよね。他にやるところがなければ、仕方なしにやるかもしれないけど、康太ならいくらでも選べるもの。康太も精いっぱい頑張ってくれたけど、これ以上は無理なのはわかるよ。

「由佳を抱くなら、こんな生きずりみたいな形ではやりたくない。そんな女じゃないからだ。抱くからには、残りの生涯をかけて抱きたい。ボクにとって由佳とはそんな女性なんだよ」

 しまった。なんて質問をしてしまったんだよ。由佳が穢れていないと証明するのに抱くのはお手軽だけど、康太の離婚の原因は奥さんの浮気なんだよ。その浮気をきっと憎んでるはず。ここで康太が由佳を行きずりのように抱いたりすれば、離婚された奥さんと同じことをしたことになるじゃない。

 そりゃ、返答に詰まるよ。由佳のためには抱くべきだろうけど、抱いたら離婚のトラウマが甦るに決まってる。由佳を傷つけないためには、あれぐらいしか言えないじゃない。由佳のために来てくれた康太を追い詰めちゃったんだ。

 美由紀が康太に頼んだのは本当だと思う。康太はその話を聞いてなんとかしようとしたのもそう。とはいえ、由佳がどこにいるのかもわからないはずだし、今夜の再会は偶然。偶然だけど二度と会えないかもしれないからこうやって誘ってくれたはず。

 康太がやろうとしたのは由佳を口説くのじゃなくて、こんなになってしまった由佳が今でも友だちだと伝えたかったはず。由佳をどうこう想うにも高一の四月に会ったのが最後だもの。いくらなんでもの期間が空きすぎてる。

「変なこと聞いちゃって、ごめんなさい」
「全然、そんなの由佳の過ごしてきた時間に比べれば、蚊に刺された程度にもならないよ」

 康太は昔のまんまに優しい。いや、昔よりもっと包容力が増してる気がする。付き合ってる時だって、怒ったり、不機嫌そうな顔見せたことないものね。由佳がワガママ言っても、由佳が喜ぶようにいつもしてくれた。

「再婚は考えてるの?」
「まだだけど、このまま一人も寂しいかな」

 まだ四十歳になってないものね。女だってあきらめてしまう歳じゃないけど、男ならなおさらだと思うよ。それに今の康太は女から見たら高嶺の花。男に花というのはおかしいかもしれないけど、初婚どころか二十代の女でも選べるよね。

「やっぱり若い子がイイ」
「歳の差があり過ぎるのは、さすがにしんどいな。もし考えるなら、外形より内面重視かな。一緒に居て楽しくて、そうだな友だちの延長線上ぐらいの相手が希望かな」
「バツイチはダメ?」
「際どい質問するな。そうだな、コブ付きは避けときたいな。そこでトラブルのは大変そうだし」

 康太は親権を放棄してる。争ってまで取る気がなかったとしてるけど、

「再婚したら子供が欲しい?」
「相手の年齢によるんじゃないかな。由佳だって今から再婚して、子ども産むのは大変だと思わない」

 四十代だって産む人はいるけど、康太は女性の年齢が上がるほど障害児が生まれやすくなるのを気にしてるみたい。やっぱり本職だし、そういう子どもが先々どうなるかを知っているのもありそうな気がする。

「一回目の時に子供作ってはやったじゃない。あれはあれで良い経験だったと思うけど、この歳から、もう一回やるのはシンドイ気がしてる。もちろん相手が望めば頑張るけどさ」

 子どもにはこだわらないか。じゃあエッチは、

「おいおい、堪忍してくれよ。そこまで聞くか」
「教えて」

 康太は照れながら、

「平凡だけど二人で熱中できるのが希望だよ」

 どうも離婚した奥さんとは相性が良くなかったみたい。それも康太のトラウマの一つみたい。自分が満足させられなかったから浮気に走らせてしまったぐらいかも。もう次はないから聞いちゃえ。

「いるの」
「まだだよ。候補ぐらいはいるけど今は友だち関係ぐらい」
「智子とか」
「未亡人になってるそうだけど、高校卒業以来会ってないよ」

 ああ悔しい。こんな体じゃなかったら即座に立候補出来るのに。いくら康太に言ってもらっても、あの過去は消しようがないよ。たとえ康太が許しても由佳が許せない。そうだよ、由佳にとっても康太は掛け替えのない人だもの。康太にこんな体になってしまった由佳は相応しくない。

「今夜はありがとう」
「また会えるかな」

 過ぎ去った時は帰ることが出来ないか。あの時の恋花を咲かせるのは大変だったと思うけど、あれは由佳に与えられた最大のチャンスだったんだ。しがみついても咲かせていれば、由佳の人生は確実に変わっていたはず。

 あそこで安易な道を選んだ結果が、このザマだよね。すぐそこまであの時は幸せが近づいてたんだ。でも由佳はそれを取り逃がし。永遠に取り戻せない体にされてしまった。

 でも、会っちゃった。こんなもの抑えきれないよ。もう一度の夢ぐらいは見させて欲しい。それが出来ないとわかっていても。