黄昏交差点:ジムにて

「ひぃぃぃ」

 クロストレーナーって何回やっても地獄みたいなもんだな。とにかく苦しいったらありゃしない。それでも予定通り三十分頑張ったから、次はトレッド・ミルを一時間だ。こっちはテレビが付いてるから、ちょっとは気がまぎれるから助かるわ。

 恵梨香がやってるのはシェープアップ。いやぁ、長年の不摂生の報いでブヨブヨ太っちゃって、元から良くないプロポーションが狸みたいになってるもんね。ダイエットもやってるけど、やせるだけじゃ垂れた尻は元に戻らないから、ジムで汗かいてるんだ。

 ジムも通い始めた頃はムチャクチャきつかった。初日なんて息も絶え絶えだったけじゃなく、翌日からの筋肉痛に泣いたもの。もう行きたくもないと思ったけど、最初の筋肉痛が取れれば少し楽になってくれたぐらいかな。

 ただトレーニングの成果が体型に反映されるまで、やたらと時間がかかった。一ヶ月しても「?」って感じだったけど、三か月したら「!」て感じかな。元がもとだからナイス・バディにならないのは知ってるけど、狸よりマシになってるぐらいは感じ始めてる。

 これは体力が付いてきて、クロストレーナーはともかくトレッド・ミルが有酸素運動になってきてるのが大きい気がする。最初の頃は心拍数の限界に挑戦します状態だったもの。

 そっちに少し余裕が出来たから筋トレも最近は追加してる。目的はバストアップ。若い時のようになるのは無理としても、これだけ垂れてるのは無残すぎるじゃない。最近では会社の後輩にも、

『浜崎主任、ちょっと痩せられましたか』

 こう言ってもらえるようになってきてるんだ。ベルトの穴は二個ぐらい余裕で縮めたから、ビヤ樽に少しクビレが出てきている気がしてるよ。体力も確実に付いてきて、会社の階段を駆け上がれるぐらいになってるんだ。そりゃ、あれだけやればね。

 なんのためにやってるかってか。だから最初に言ったじゃない。シェープアップだって。このままじゃ、

『立てばビヤ樽、座ればタライ、歩く姿はガスタンク』

 この半歩手前まで迫ってたからね。恵梨香だって女は捨ててないってこと。バツイチとはいえ独身なんだよ。まだまだ恋花を咲かせてみせるよ。


 ・・・強がり言ってもしかたないか。全部あいつのためだよ。だからあれだけ苦しくとも続いてるってこと。頑張った先にあいつがいるんじゃないかってね。だってだよ、なにかの弾みでホテルになんかになったりしたら、垂れ乳、垂れ尻の狸を見せなきゃならないじゃない。そんな恵梨香を見れば、あいつじゃなくともドン引きするに決まってる。

 それにしても顔かスタイルのどっちかぐらい、神様だって、もうちょっとマシなものを恵んでくれなかったものかな。そりゃ、クソ元夫にどれだけ言われたことか。もっとも、ボロクソ言いながら欲情しやがったクソ元夫も変態だよ。

 だから不倫の上司はある意味、尊敬してるわ。こんな恵梨香の体に欲情しまくってんだから。不倫上司の趣味も歪んでたとか。この辺は、世の中デブに欲情するデブ専もいるんだから、ビヤ樽狸専もいたって不思議ないかもな。


・・・クソッ、クソッ、クソッ、なんであんな性格の悪い泥棒猫にも勝てないのかよ。なんか歌にもあったよな。男に捨てられそうな女が、死んでもイイから綺麗になりたいってっさ。こんな綺麗な女を捨てるのを後悔させてやるって。

 あいつの心がドンドン泥棒猫に傾いていくのが嫌でもわかるんだよ。それなのに、それなのに、それをどうしようもないんだよ。それが口惜しくて、口惜しくて。恵梨香だって頑張ってるんだよ。

 服も買ったし、靴も買った。化粧だって気合い入れてる。あいつの隣でいても恥しくない女に、あいつに気に入ってもらえる女になれるようにってさ。そうだよ、恵梨香は最初から夢中だし、あいつに近づいたのも下心の塊だったよ。それが悪いか、ブスが夢見て悪いか、アラフォーの狸に人権はないんか。

 あいつを食い物にして不幸にする泥棒猫だけには負けたくない。一度ぐらいそんなことが、恵梨香の人生にあってもイイじゃないか。奇跡の逆転勝利とか、優曇華の花とか、あるじゃない。

 今までロクな人生送ってないよ。人身御供見たいな結婚させられて、さんざんこき使われて、イジメられてさ、一番幸せだったのが不倫時代だってなんなのよ。そんな目に遭うために恵梨香は生まれて来たって言うの。それが恵梨香にお似合いの人生だと言うの。

 恵梨香だって、恵梨香だって幸せになりたい。あいつが選んでくれれば、どんな手を使ってでも幸せにしてみせる。そのためになんだってする、命が欲しいならくれてやる。

 エッチだって絶対満足させて見せる。やって欲しいこと、やりたい事があれば全部受け入れるし、全部喜んでみせる。必ず全身で本気の歓喜の反応を示す自信があるもの。ただムチとローソクだけは許してね。あれはさすがに辛かった。いや、それだってあいつが望むなら喜んで見せてやる。


 ・・・といくらイキがっても現実は厳しいよね。もう少し時間がある予定だったんだ。それまでにあいつの性格とか、クセとか、考え方、好きなもの、嫌いなものを全部探り出して、あいつの好みの女になるはずだったのだよ。せめて性格は完全に一致させないと恵梨香じゃ話にもならないし。

 このジムだってそう。狸のビヤ樽をちょっとでもマシにしたかったんだ。見惚れられないのはわかってるけど、嫌がられない程度にね。今の恵梨香に出来るベストのスタイルであいつの前ですべてをさらけ出したかった。

 そうだよあいつ好みの性格美人に自分を仕上げる計画だったんだ。顔とスタイルは限界があるけど、性格なら努力次第で変えられはずだもの。そうやって、あいつの心を鷲掴みにしてやるってね。

 今まであいつに誘われても乗らなかったのも、今の恵梨香じゃ足りなすぎるから。こんな恵梨香じゃ、あいつじゃ萎えちゃうよ。あいつじゃなくてもそう。だから、その日を夢見て悪いか。

 笑うなら笑え。ブスにはブスの意地があるんだよ。一世一代の恵梨香であいつを落としたかった、虜にしたかった。それをあんな泥棒猫にさらわれるのを指をくわえて見てなきゃならないの。


 恵梨香も地味子だったんだよ。そう男に洟も引っかけられない地味子の上にブタマン・ブス。短大に行っても同じだったし、社会人になっても同じ。恵梨香だって恋に恋する乙女だったけど、誰も振り向きもされなかったってこと。

 だからあの見合いも受けちゃった部分はあったのは白状しておく。外形的には恵梨香なら玉の輿ってやつだし。不倫だって、こんな恵梨香に声をかけてもらっただけで舞い上がったからなのも正直に言っておく。

 だから智子の話は妙に羨ましかった。あの頃の地味子が男に声をかけてもらうだけで、どれだけ嬉しいことか。それが好きな男だったりすれば天まで昇る気持ちになるってこと。あれから年数が経って恵梨香も図太くなったけど、ブタマン・ブスの地味子時代のトラウマは棺桶まで御同行しやがるわ。

 ドラマとか小説によくあるじゃない。イイ男を好きになるのだけど、ライバルにお金持ちの目の覚めるようなお嬢様がいるってパターン。ドラマや小説なら地味子を男が選んでハッピー・エンド。

 もっともあれは地味子は性格が地味なだけで、美人って設定なのよね。つうか女優が演じるから元は美人だものな。だから現実はドラマと逆、つうか逆だからドラマになるし、恵梨香も現実逃避しながら夢見てるぐらい。

 でもね、でもね、悔しすぎるよ。あいつだけは何があっても譲れない。他の何を譲ってもあいつだけは譲れない。たった一度でイイから恵梨香にもスポット・ライトが当たる日が欲しい。