黄昏交差点:智子の気持ち

 ペンケース事件の後だけど、さしたる進展もなく高校生活は進んでいったんだよな。相も変わらず駅から智子の家までの短距離デート。あえて覚えてるエピソードとしては、智子に誕生日のプレゼントを贈ろうとしたことぐらいの気がする。

 とは言うものの、友だちの一線を絶対に崩しそうにない智子だから、なにを贈ろうか悩みまくってた。もちろん予算の問題もある。友だちの一線を守りながら、智子の心を引き寄せるプレゼントを考えてた。だけど思いもつかず、ストレートに聞いてみた。

『なにか欲しい物ってあるの』
『グランド・ピアノ』

 質問が悪かった。智子は誕生日に欲しい物じゃなくて、自分が本当に欲しい物を答えちゃったんだよ。ただこの時の会話は妙に弾んだ。智子はピアノが好きだし上手。家にもピアノはあるけどアップライトだって。

 アップライトだってピアノが家にあるだけでもたいしたものだけど、本格的に弾いてるからグランド・ピアノがぜひ欲しいぐらい。それも希望があって、黒じゃなくて白のグランド・ピアノが欲しいって言ってた。

 智子にしたら夢を話してるだけで、別にボクに買って欲しいなんて思っているはずもないけど、ピアノの話をしている智子は本当に楽しそうだった。智子の話では安ければ五十万円ぐらいからあるそうだけど、逆立ちしても買えるはずもない。

 それから、あれこれ考えた。ピアノが買えるものなら買いたいけど、それは現実として不可能。まあ、もし買えて贈ったりしたら大騒動になってたと思うわ。でもピアノの話が出てしまうと、お返しのペンケースじゃチンケすぎる気がしたんだよな。

 当時はまだファンシー・ショップ的な店は神戸でもなかったと思うし、智子の好みというか、女の子がどんなものを喜ぶかなんてさっぱりわからなかったんだよ。ネットなんてSF小説にも出てこないぐらいの時代だったし。

 切羽詰まってテンパって、最後の最後に思いついたのは、ピアノを買える夢だけ贈ろうだった。なにを贈ったかって、笑わんで欲しいけど宝くじ。当たればピアノが買えるぞってね。

 智子だけど予想外に喜んでくれた。そこからは宝くじを買った者の定番の、もし当たったら話で、当選番号の発表までしばらく話が盛り上がったぐらい。もし一等だったら、こんなピアノだって買えるとか、ボクにも欲しい物を買ってあげるとか。もちろん当たらなかったけど、

『夢が見れて楽しかった』

 こんな感想まで言ってくれたものな。当時の宝くじは一枚百円だったはず。いくら高校生のプレゼントでも百円じゃ安すぎると思うけど、当たるまでの夢をあれだけ楽しんでくれて嬉しかった。

「それイイ話だね。ちょっとウルって来そうだったよ。払ったのは百円だけど、二人が見た夢は何万円にもなるんじゃない」
「ああ、智子があそこまで喜ぶとは思わなかった」

 でも、このイベントが二人を一番接近させたエピソードなんだよな。後は卒業までさしたる事もなく時が流れて行っただけ、

「ホントになにもなかったの」
「ああ、なんにも。手さえ握ってないし」
「青春だね」

 あえて言えば、高二はクラスが別だったけど高三は嬉しいことにまた同じになった。

「ちょっと待って、あんたは理系だよね」
「これでも医者だからな」

 恵梨香が不審がる点はボクにもあった。当時の理系はほとんど男子で、女子は一割程度。今はともかく、当時の女子の理系の進路は薬剤師ぐらいしか思いつかないぐらい。後は医者や歯医者の娘が目指すぐらい。

 もちろん、当時でも工学部とか理学部を目指す女子もいただろうけど、よほどの変わり者扱い。あの時にクラスに女子が六人いたけど、実際に理系に進んだのは歯医者と薬剤師の二人だけで、後は大学の文系だったと思う。

「智子が理系になった理由は?」
「たしかお父さんの跡を進みたいとかだったはずだけど」
「おかしいと思わない」

 智子の父が早くに亡くっているのは事実だし、たぶん会ったことはないと思う。あの頃は深くも考えなかったけど、智子の父は婿養子だった事になる。そうじゃないと、智子の母が社長をやってる説明が付かないものな。

「そこがおかしい気がしない」

 智子の母が婿養子を迎えた理由は素直に考えて、智子の母が一人娘か、兄弟がいないからになるはず。例えば兄なり、弟がいれば、そっちが家を継いで社長になり、智子の母はどこかにお嫁に行くのが順当。

 であれば婿養子は経営者で迎え入れられたはず。いや、経営者になることが条件でなければ婿養子になれなかったとするのが妥当になる。智子の家の会社が何代目かまでは聞いたこともないけど、少なくとも智子の母は二代目以降なのは確実だし。

 智子の亡父が医者とか歯医者でもないのは間違いない、薬剤師でもたぶんない、理系職としては研究者か技師ぐらいしか思いつかないけど、そんなのを経営者として婿養子にするだろうか。

「その頃でも絶対とは言えないけど、智子の家ってあんたの故郷では名門みたいなものじゃない。智子のお母さんは見合いの確率が高いはずよ。見合いとなれば釣り合いだから、理系職の婿養子は可能性が低すぎるよ」

 恵梨香の指摘は冷静に考えればそうだ、えっと、えっと、智子の父の職業はなんだっけ、たしか、たしか高校教師って言ってたはず。

「なるほどわかった気がする。高校の理科教師は、理学部とか、工学部とか、農学部なら理科教員免許取得コースがあるのよ」
「へぇ、全部教育学部じゃないのか」
「あんたは医者バカだから知らないだけ」

 ただ恵梨香は補足してくれたけど、理学部とか工学部に進む者の中で、最初から理科教師が目標の者は少ないのじゃないかとしてた。そういう者もいるだろうけど、まずは教師以外の道を目指し、研究者なりに残れなかった者が教師を目指すのだろうって。

「あれか、音楽教師とか、美術教師みたいなものか」
「ちょっと近いかもね」

 それでも智子が高校の理科教師を目指すのなら理系に進んでもおかしくないけど、

「理科教師を最初から狙うかな。まあ、そこはファザコンがあったとしても、智子の狙いは二分の一に賭けた気がするな」

 当時の母校の理系は二クラス。恵梨香が言うにはボクは鉄板で理系だから、もう一度同じクラスになる可能性が出てくるって。というか、文系を選んだ時点で絶対に同じにならないぐらいかな。

「そこは考えすぎの気がするな」
「まあね、でも期待したぐらいはあると思うよ」

 高三になってもさしたるエピソードがあったと記憶してない。一つだけ後日談みたいな話があるにはあるんだ。あれは中学の同窓会だったけど、高三で同じクラスだった女子が突然テーブルにやって来て、

『マドンナが欠席で寂しいね』

 ビール噴いた。どうして知ってるんだと聞いたんだけど、

『そんなもの常識よ』

 それだけ言って颯爽と去って行きやがった。とにかくクラスで六人しか女子がいなかったから結束は固かったみたいで、そんな話もしていたみたいだけど、冷やかすだけ冷やかして去って行くな。

「あは、なるほどね」
「なにがだよ」
「智子はマジだった」

 恵梨香の見方は毎度のことだけどオモシロイ。恵梨香が言うには智子は見せていたし、認めていたと言い出したんだ。

「だってだよ、塾時代の夜はともかく高校時代は昼間だろ。恵梨香も田舎者だからわかるけど、高校生の男女が二人で歩いているだけで噂になるものなんだよ」
「五分もないよ」
「それでも毎日のようにじゃない。それにあんたは医者の息子、智子は社長の一人娘。田舎で注目されないわけないじゃない。智子のお母さんぐらいなら耳にしてない方が不自然だよ」

 バレてたか。

「智子のお母さんがどういう反応をしたかはわからいけど、智子ならそうなるのはわかってたはず」
「ボクはそこまでとは思わなかったけど」
「だからあんたは鈍すぎるって」

 恵梨香が言うには噂になるのを智子は容認していたはずだって。さらに噂になって定着して欲しいさえ思ってたんじゃないだろうかって。恵梨香の意見は飛びすぎだけど、たしかに噂になる要素はあるし、それが嫌なら回避すれば良いだけだものな。

「その元同級生の話も興味深いじゃない。たった六人しかいないから結束が固いのは理解できるし、その中で男の話が出てこない方が不自然よ。帰宅時デートだって知られていたとするべきだよ」

 そうなるかもしれないけど、

「わかんない。そこまで知られても智子はデートを続けたんだよ」
「目的は?」

 恵梨香は大きなため息を一つ吐いて、

「待ってたのよ、あんたが告白してくれるのを。それこそ今日か、明日かってね。もう高三じゃない。智子だって医学部までは追いかけきれないから、卒業までにあんたからの告白を待ってた以外にないじゃない」

 恵梨香に言わせると釣り合いが悪くないから、智子の母も認めていたかもしれないってさ。ちょっと先走るけど智子は大学を卒業して銀行に就職し、そこのエリート社員と結婚してるんだよね。割と早くて、大学を卒業してから二年か三年ぐらいだったはず。

「智子のお母さんは智子に婿養子を取って会社を継がせる気はなかったと思うよ。自分がそうなって後悔した気がする。きっと娘には自由に恋愛して、愛する相手と結ばれて欲しかった思ってる。そういう候補にあんたなら合格してたぐらいと思うよ」

 あの短時間デートはやはりバレてた気がする。あの駅を利用する同級生は少なかったけど、他に三人ぐらいはいたんだよな。一人は自転車、二人はバスだったし、三人とも部活をやっていたはず。

 だけど三年ともなると引退で帰りは同じ電車になる。部活があった時だってテスト期間中とかは同じだった。だから帰りの電車であれやこれやとバカ話をした記憶も残ってるもの。

 智子とのデートは最後は駅舎を出たころからになっていた。それを三人は見ていたし、邪魔せず見守ってくれていた事になる。それを智子が意識していないはずがないものな。あれだけ連日だから、偶然と言い訳するのに無理があるし。

 それと時間は短いけど、とにかく近所だから智子を知っている近所の人とかもいるはず。いや、いた。目が合えば挨拶ぐらいしてたよ。そうなれば恵梨香の言うとおり、田舎だから噂になっても不思議ない。

 智子の母が認めていたのも考えすぎとは言えないところもあるんだよな。当時は意識の端にさえなかったけど、医者のボンボンだし、医学部を狙っているのは周知のこと。先々のことはともかく、自分の娘の恋人として容認したぐらいかも。小学校からの幼馴染だし、近所だし、うちの親父だって知らない仲じゃないし。

「あの時に告白していたら」
「智子はOKしていたよ」

 あの時の想いで胸がはち切れそうだ。あれが人生の分岐路だったかもしれない。あの時にもう少しだけ勇気があったら、人生は変わっていたかもしれない。

「そうだね、智子のファースト・キスからバージンぐらいは堪能できたかもね」
「バージンって、そんなぁ・・・」

 それでも結婚とかになると長すぎる春になったのは確実だものな。大学が違うし、確実に遠距離恋愛。まだ携帯電話が無い時代だから、連絡をするのさえ大変な時代。ボクは下宿だったけど、智子は家からだった。さらに医学部は六年もあるし、医者になってからも、あの勤務医ライフ。

「あんたさえ裏切らなかったら、智子は待っていてくれたかもよ。そういうキャラに恵梨香は見えるもの。それが幸せだったかどうかはやってみないとわかんないけどね」

 元嫁との結婚の失敗が頭をよぎるよな。あれは相手が智子であっても起こる状況は同じだもの。あれを智子となら乗り切れたかと言われると正直なところ自信がないもの。元嫁だってあんな派手な不倫をするキャラとは思えなかっけど、そうさせてしまう結婚生活しかボクは与えられない気がする。

「そこまで悲観的にならなくても良いと思うよ。あんたの言葉通りなら、医者の奥さんは全員不倫に走ることになるじゃない。女が全員そうなると思って欲しくないかな」

 そりゃそうだ。医者も家に帰らない日が多いけど、パイロットだって家を良く開けるし、船乗りとかだったら何ヶ月単位が普通だものな。

「そう相手次第ってこと。あんたの不幸は外れクジを引いたことに尽きるよ。このクジは引いてみない限りわからないのが人生だよ。智子が当たりだって可能性もあったぐらいかな」
「でも人生は引き直しを出来ない」

 引き直せるなら引き直したいけど、そればっかりは夢だよな。