麻吹アングルへの挑戦:研究開始

 翌日から研究開始ですが、まずは二つのチームに分かれて研究を進めることになりました。一つはすべてのアングルから被写体を撮影する特殊撮影機の開発。もう一つは写真の評価システムの開発です。

「とりあえず審査AIと呼ぶ担当は・・・」

 浦崎班の編成は、

特殊撮影機チーム・・・チームS
審査AIチーム・・・・・チームA

 チームSは黒木と林さん、チームAはボクと天羽君が指名されました。天羽君と研究方針を相談したのですが、

「まずは写真を知らないとな」
「当然」

 素人がプロの鼻をあかすと言っても無知では話になりません。まずは手に入る限りの写真の理論書、写真関係の論文を取り寄せて読むところから始まります。この辺はチームSも同様です。

「審査する手始めは欠点の評価だな」
「長所も」

 良いとされる写真に含まれるエッセンス。逆に良くないとされるエッセンスを抜き出していき、その程度の数値化を考えます。これも調べていくとわかるのですが、たとえば短所ならどの写真であっても欠点とされるものと、他のエッセンスとの組み合わせで逆に長所となるものがあります。それも片っ端からAIに放り込んで行きます。

 そんな作業を続けながら天羽君が注目したのが構図です。構図の分析は既に既成AIがありますが、

「写真は構図にポイントを置くべき」
「色合いとかもあるが、かなりのウェイトを占めると見て良さそうだ」

 そうなると既成AIの能力では不満を感じます。そこで既成AIの改良に取り組みます。従来のAIよりもっと精度の高いものが必要なのです。構図をベースに考えると長所や短所の組み合わせの評価がやりやすくなります。そこで浦崎教授に提案したのですが、

「写真は被写体によって良い構図と悪い構図があると見れます。ですから、研究の手始めに被写体を特定してはいかがでしょうか」

 写真は被写体にも依りますが、撮影条件により撮影法が変わります。究極的にはすべての被写体・撮影条件でベストの写真をAIに撮らせるにしろ、最初は固定できる条件は固定した方が良いはずです。

「純粋に構図をまず追及するわけだな」
「構図を産み出すアングルとして良いはずです」

 これはチームSの特殊撮影機の製作にも関連する問題です。汎用性が高くするほど製作費は高くつきます。あれこれ意見が出たのですが、

 ・被写体は卓上の静物にする
 ・照明も人工光のライトにする
 ・撮影距離は五十センチとする

 こうすることで、撮影範囲は半球状のドームで済みます。チームSはこの条件での特殊撮影機の設計に取り掛かることになりました。完成すればこの条件でのすべての写真が撮れる事になります。

「究極の一枚があるはず」
「写真は一つに収束するだな」

 これは日本の写真教育メソドの大勢を占める西川流の創始者である故西川大蔵の言葉です。写真を極めれば一つになるぐらいの意味で良いと思います。

「その被写体に一番適切なアングルで、短所がなく長所だけを集めた写真が究極の一枚のはず」
「ロイド・メソドも、ミュラー・メソドも広い意味で方向性は類似していると見て良いだろう」

 西川・ロイド・ミュラーは世界三大メソドと呼ばれ、世界中の写真を学ぶ者は、いずれかのメソドを多かれ少なかれ影響を受けているとして良さそうです。メソドは穴が開くほど何度も読み直しましたが、

「上達するほど、ある写真に近づくと見て良さそうだ」
「そこがゴール」

 もちろんメソドに書かれてあるエッセンスはすべてAIに教え込んでいます。メソドに関しては天羽君も感心していましたが、実にわかりやすく書かれています。さすがは世界三大メソドとして長年使われていただけの事はあります。おかげでボクも天羽君も写真の知識に関しては豊富になり、

「知識だけなら一流プロかな」
「撮るのはAI」

 そうやって審査AIのプログラムがある程度出来上がるとテストです。

「フリーズ」
「バグるのは想定内だよ」

 AIと言ってもプログラム。プログラムも今は半自動化して入力は出来ますが、それでもオリジナル部分は手入力になります。大きく複雑になるほど入力ミス、言語構造のミスが発生し、プログラムが暴走します。

 それをバグと呼びますが、これも自動修正で済む部分はありますが、それで見つからなければデバッグしながらミスの個所を見つける必要があります。ボクと天羽君は何度も何度もデバッグを繰り返した末に、

「とりあえずVer.1.0かな」
「まだそれ以前」

 AIは動いてはくれたのですが、肝心の写真の評価がバラバラ。

「数値化の見直しが必要だな」
「チェックポイントを増やす」

 新たなプログラムを書き加え、バグ落としを行い、テストを行い・・・こういうプログラム作成では当たり前の作業です。

「究極の写真とは欠点が無く長所だけは疑問」
「それはわからないけど、それぐらいは備えているのじゃないのかな」

 この点についてはボクも疑問はありますが、

「そもそも究極の写真ってなんだろう」
「これから探す」

 究極の写真の定義問題も浦崎班で何度も議論がありました。写真は被写体を撮るものですが、撮影距離が一定なのは果たして良いか悪いかです。つまり撮影距離も合わせて究極の撮影位置もあるのじゃないかと。この考えた方はその被写体に対する究極の写真は一枚であるとの考え方です。浦崎教授は、

「撮影距離の変動の可能性は当然あるが、この撮影距離でのベストは必ずあるはずだ」

 作業はチームAの方が先行しています。チームSの特殊撮影機は製作にかかってしまうと逆戻りが大変なのです。つまりは予算がかかります。寄附講座も予算は限定されていますし十分とは言えないからです。

 チームAは被写体に合う構図からの適正撮影距離の推測に入りました。もしこれが割り出せればチームSの特殊撮影機の設計が変わるからです。ところがこれが難物です。

「微妙だねぇ」
「少しアングルが変わると光線の変化は多い」

 写真は光の芸術ともされます。被写体にもよりますが、良いとされてる写真も様々なアングルからものがあるのです。そこでさらなる提案をしました。

「もう少し条件を絞りましょう」

 全周にすると撮影ポイントが多すぎるのです。ですから、被写体の背景に衝立みたいな壁を設置することにしたのです。これで半分に減ることになります。この条件で適正撮影距離の割り出しも行いましたが、

「こりゃ、手強いは」
「答えは一つでない可能性あり」

 ごく単純には引いて撮る場合と、接写するケースがあるのです。これのどちらが良いの評価が出来ない、つまりは数値化が困難な部分が多いのです。

「どちらが究極」
「どっちもかもしれないけど」

 撮影距離問題は浦崎班でも何度も検討されましたが、結局は元の五十センチ案になりました。つまりはやや引き気味の構図です。レンズも問題になりました。単焦点にするのかズームを用いるのかです。

「ズームを使うと焦点距離が変動するから単焦点にする。標準の五十ミリ」

 レンズは焦点距離が伸びるほど画角が狭くなります。おおよそで言うと、三十五ミリで人がボウっと眺めてる範囲とされ、五十ミリなら注視しているぐらいです。五十ミリが一般的には標準とされますが、プロでも三十五ミリを愛用する人も多いところです。


 ここのところ天羽君と議論になっている問題があります。ボクたちが作っているのは教師モデルなのですが、

「審査AIはコンクールの審査員。構図、長所、欠点のみしか評価できていない。審査員は他の評価もある」

 天羽君が言いたいのは、ボクたちが作っているものが完成してもコンクールの予選レベルの能力しかないのじゃないかと。要は目指してるレベルが低すぎるのじゃないかです。

「コンクールの審査員は、どこを見るのか知るべき」

 素人がプロの鼻をあかすのが目的ですが、理論書を読んでも、メソドのマニュアルを読んでも正直なところわからないのです。おそらく、その先は感性の世界とされてる気はしています。

 言い換えればマニュアルや理論書の範疇はAIでも数値化できると思いますが、その先は文字にしにくい範囲になっていると考えています。芸術系ではままあることですが、それを数値化しないとプロに届かない事になります。浦崎教授に相談したのですが、

「なるほど。教師モデルを越えるAIは出来ないだな」
「そうなんです。現時点のAIはボクと天羽君の知識が限界になります。それが究極の写真とは思えないのです」

 浦崎教授はしばらく考えた後に、

「篠田君、壁が来たな」
「はい」

 研究は最初から最後まですんなりいかないもので、壁を乗り越えてこその物になります。