ツバル戦記:政治将校

 人民解放軍の特徴として政治将校が必ず同行する。お目付け役で良いと思うが、この野郎の存在はひたすら鬱陶しい。指揮系統から言えば艦長である私のアドバイザー役で参謀ぐらいであると思えば良いかもしれない。

 参謀と言うかアドバイザー役であるから水兵にも海兵にも指揮権はないが、このアドバイスが曲者だ。たとえば本物の参謀であれば、現状を見ながら次の作戦を考案する協力者であり知恵袋にもなりうる。だが政治将校はそうでない。あの野郎の目的は北京の考えを現場で厳守させることだ。

 戦争には戦略と戦術がある。今回の作戦で言えば、ツバルを占領することが戦略であり、どうやってツバルまでたどり着き、占領するかが戦術だ。戦術も作戦開始前にかなり精緻に組み立てられるが、戦場は水物であり、常に想定外の事態が起こることを考えていなくてはならん。

 それを任されているのが現場指揮官だ。思わぬ事態が生じた時にも建てられた戦術を守るように修正ながら動くこともあるし、大きな状況変化があれば、自らの責任にはなるが作戦中止を命じることもできる。これは、どこの軍隊でも原則のはずなのだ。

 ところが政治将校は現場の指揮のすべてに口を挟もうとする。まるで口を挟むのが職務のようにチョッカイを出してくる。指揮系統上、無視することも出来るのだが、無視した時に厄介なのが北京に報告してしまう点だ。北京は艦長である私より政治将校を信用しており、政治将校の機嫌を損ねると帰国後にどんな処分が待ち受けているか空恐ろしいほどのものだ。

 言い方は悪いが実質的な艦長ぐらいの権限を持っているとして良い。それぐらいあの野郎のアドバイスは重く、これに逆らう事は余程の覚悟がいると思えば良い。そのくせだが、あくまでもアドバイザーだから悪い結果はすべて現場の指揮官に帰せられるから本当にタチが悪い。


 今回の作戦は初めから無理があった。そもそもだが、この海中棺桶の建造自体が誤りだ。作っては見たものの使いどころがなかったのがまずある。それと技術的にも無理があり過ぎて、潜航機能は目を覆うばかりの低性能だ。

 兵器開発には失敗作が出来上がるのは不可避だが、本来なら『持ってるぞ』で終わるべき兵器のはずだった。海軍でもとても実用に耐えられないと判断している。そりゃ、実態としたら潜れることが出来るだけの水中輸送船に過ぎないからな。

 だがツバル戦は起こってしまった。あれも最初の作戦に使えばまだ良かったが、今となっての派遣は無謀の極みと海軍作戦本部も本音では思っていたはずだ。だいたいだが作戦計画の前提となっていた、

『敵哨戒線を潜航能力を活かして突破し』

 これも作戦を聞いた時に食い下がった。見つからずに突破するのは海中棺桶では不可能だと。だが答えは潜水艦だから臨検も受けず、拿捕もされないで押し切られてしまった。

 それより懸念されたのが長期の潜水航海の影響だった。通常型の長期航海はひたすら辛いとして良い。快適な原潜でも三か月ぐらいで寄港しリフレッシュしているのに、通常型で二か月以上の潜航航海は厳しすぎるのだ。だから通常型では長くて一ヶ月ぐらいしか作戦行動は行わない。

 それも一ヶ月なら誰でも可能なわけではなく、水兵の中でも潜水艦乗りとして訓練を重ねた者のみが可能だ。それが出来るのが潜水艦乗りの誇りでもあるが、この航海に海兵を連れて行くのは無理があり過ぎる。

 海兵も海兵としての厳しい訓練を積んでいるだろうが、潜水艦での長期潜航生活の厳しさは異質のものがある。まったくプライバシーの無い生活、厳しい行動制限、まるで閉所恐怖症を呼び起こすために作られたとしか思えない艦内生活。

 だが海軍は断れなかった。最初のツバル作戦の失敗で上層部は大粛清に遭い、新たに任命された上層部は北京のイエスマンになるしかなかったで良いと思う。そんなツケを払わされるのは現場なのが世の常とはいえ、さすがに腹立たしいものがあった。だが命令は命令だ。私も軍人であるから命令には従わざるを得ない。


 南シナ海を航行中は問題はなかったが、有志連合艦隊が設定する哨戒海域に入ると予想通りに発見捕捉された。逃げても無駄なのでひたすらツバルを目指したが、シュノーケル潜航での充電時間中はさすがに緊張した。これも事前の予想として水上艦として拿捕行動に移る危険性があったからだ。

 だが有志連合艦隊は充電中もまったく手を出さなかった。その代わりと言ってはなんだが、追跡に参加してる艦艇数に目を剥く思いだった。水中聴音機の分析から複数艦により追跡されていると予想していたが、潜望鏡で確認できただけでも十隻は軽くおり、ヘリ空母まで確認できた。

 ここまでの体制を敷かれたら新鋭艦でも包囲網を脱出するのは不可能に近い。水上艦だけではなく対潜ヘリまで二十四時間体制だろうからだ。ましてや海中棺桶では籠の鳥と同じだ。だが政治将校のクソ野郎は、

「速やかに追跡を振り切るべしです」

 出来るか! こんなドン亀でシャチの群れを突破できるわけがない。

「それを北京は期待しております」

 だから戦争は会議室で起こっているのではなく、この現場で起こっていると怒鳴るのを必死でこらえた。無駄に過ぎない脱出行動をポーズでも取らざるを得なかったのは屈辱だった。

 脱出行動をポーズでも取ると警戒態勢は継続せざるを得なかった。これは水兵にも辛いが海兵には地獄のようなものになったで良いだろう。この辺は海兵に同情する。水兵は二十四時間体制であるが、それでも勤務時間がある。

 勤務時間は厳しいが、無為に部屋に閉じ込められているより、余程気がまぎれるのだ。勤務の疲労は眠りも誘うし、食欲への刺激にもなる。いや、そうなるように訓練されているのが潜水艦乗りでもある。

 海兵の疲弊は無音航海を不可能にしていた。続発する喧嘩騒ぎがそうだ。あれを抑えるのは不可能だ。そこで私は開き直ることにした。これまでの有志連合艦隊の動きからして、たとえ浮上しても拿捕に動かないと読んだのだ。

 ある種の賭けだが、浮上航海を行い、甲板上に海兵を出してやるだけでストレスはかなり解消してくれるはずだ。海兵隊の崔司令官にも相談したが、もはやそれしか海兵を救う方法は無いことに同意してくれた。しかし政治将校のクソ野郎は、

「リスクが高すぎます」

 現状を言葉を尽くして説明したが、

「これほどのリスクを現場判断でするべきでありません」

 こう言って大反対し、海兵の疲弊についても、

「崔同志、速やかなる士気の建て直しをお願いします」

 それが出来ないから、この提案をしているのだ。それよりかクソ野郎の目は節穴か。お前も海兵の疲弊ぶりを見ているだろうが。あれが単に士気が緩んでいるようにしか見えないのか。


 ちなみに潜航中の潜水艦は受信は出来るが発信は出来ない。水中では殆どの電波は通らず、わずかに超長波のみが水中を通ってくれる。ただ超長波の欠点として送れる情報量が少なく会話さえ難しい。

 そのため中国本土との連絡はシュノーケル潜航時のみ行える事になる。この時には衛星回線を使う事になる。本土との通信が出来るのは嬉しいものだが、政治将校も北京と通信するので鬱陶しい結果がもたらされた。

「北京にも確認しましたが、浮上は危険を越えて無謀の判断です」

 こうなるとお手上げだ。仕方がないのでせめて警戒態勢の解除を提案した。海兵の疲弊により警戒態勢を取っても無音潜航は出来ないし、いくら無音潜航しようとも、これだけバッチリ捕捉されてしまえば無駄だ。

 それなら狭い艦内でも自由に海兵を動かした方が少しは気がまぎれる。今回は海兵二百人体制だから、収納庫に狭いながらもスペースは確保できるからリクリエーションも可能だ。とにかく楽しみを与えてやらないと、たとえツバルにたどり着いても海兵は狂人集団になり役に立つはずがない。しかしクソ野郎は、

「これだけの敵艦の包囲下でなんの戯言を。むしろ、より一層の警戒態勢を取るのが常道です」

 あのクソ野郎は、逆に警戒態勢の引き上げを提案しやがった。

「兵に緩みが見られるのは緊張感が足りないからです。第二種警戒態勢に引き上げれば海兵の士気も戻るはずです。北京も警戒を常に緩めるなの意向です」

 実は水兵にも疲弊の影が出てきている。これほど長期の警戒態勢は訓練でも行った事がないのだ。訓練でも一週間程度だからな。その後にリフレッシュしてから、次の警戒態勢に入るぐらいだ。

 さらにがある。海兵の狂気の影響が水兵にも及びつつある。これも予想して、水兵と海兵の区画は基本的に分離していた。とはいえ狭い艦内だから、完全に影響を排除するのは無理だ。それぐらい水兵にも疲労の影が濃くなっている。

 このクソ野郎に従っていても、待ち受けているものは無残な結果しか見えない。そうそう政治将校が現場の失敗の責任を問われないロジックは、これが北京の指示であり、共産党の指示だからだ。

 つまり正しい共産党の指示で失敗が起こるのは、現場がその指示を守れなかった事という事だ。中国以外の民主国家ならジョークとかしか思えないだろうが、中国はそんな国なのだ。

「董同志」

 董っていうのがクソ野郎の苗字だ。

「この包囲・監視網を当艦の能力で突破するのは不可能です」
「北京の指示は突破せよです」

 こう答えるのが仕事のようなものだから聞き流して、

「そうなるとツバルまでこの状態が続く可能性があります」
「そうしないためにも突破せよが北京の指示です」

 お前はオウムか。

「ツバルでこの状態で浮上すれば撃沈は必至です」
「突破さえすれば問題は解決します。これは北京の共産党軍事中央委員会の指示であり、これを変えることは許されません」

 この話し合いの後に海兵隊の崔司令官と収納庫の水陸両用装甲車の中で密談を行った。艦内の海兵の疲弊が目に付くようになってから、そこを二人の密談場所にしている。他の部屋ではあのクソ野郎がどこで盗み聞きしているかわからないし、そもそも二人で話しているだけで妙な疑惑をかけられるからだ。

「崔同志、我々は軍人であり命令に従うのが本分ですが・・・」
「そうだ、軍人であるからと言って如何なる理不尽な命令でも従うものではない。軍人は命を懸ける職業ではあるが、命を無駄に使ってはならない。使うべきところに使うものなのだ」

 海軍と海兵隊の仲は軍単位では良いとは言えないが、個人は別だ。崔司令官とは作戦前の打ち合わせから知遇を得ているが尊敬に値する人物として良い。さすが今回の遠征軍の指揮官に選ばれただけの事はある。

 艦内で監禁状態にされている海兵の健康状態にも心を痛められ、私や軍医と何度も協議し打開策を考えておられる。浮上案を持ち出された時には驚いたが、

『それで不測の事態が起これば私が責任を負えば良いだけです』

 何の迷いもなく言えるぐらいだ。クソ野郎の政治将校に進言するのも自分がやると言われたが、航行中の最高責任者は私だから控えてもらった。これが却下されたとなると、

「指揮官は部下を死地に進ませますが、そこでの死を価値あるものにする責務を負っています。無駄な死のみを求める命令であれば、自分の命でもって防ぐのもまた職務です」

 私とて同じだ。指揮官は部下の命を預かるものであり、預かった命をいかに大事に扱うかで鼎の軽重を問われるはず。今やっているのは死への航海だ。であれば、

「決断を求められています」
「もう決まっています」

 長く話すと感づかれるので十分程度にしているが、心は決まった。