ツバル戦記:エスコート

 突然艦内に響く、

『ピコーン、ピコーン』

 あれは艦内の音じゃない。話に聞くアクティブ・ソナーのピンガー音に違いない。ついに捕捉されたのかもしれない。これに反応するように、第一種警戒態勢が発動された。これは部屋の表示ランプが知らせてくれる。

 これも乗艦前のレクチャーで、捕捉されても撃沈される危険性は低いと聞かされたけど、気持ち良いものではない。こうなると呼吸音どころか心音も気になってくる。気が付くと汗もビッショリだがエアコンも止まっているようだ。室温だけでなく湿度も高くなっている。

 艦内の照明も節電のためにさらに落とされ暗くなっている。この部屋も辛うじて部屋の配置がわかる程度だ。水兵は忙しくなってるだろうが、海兵はひたすら部屋に閉じ込められるのが第一種警戒警報になる。


 強襲揚陸用潜水艦の別名は海中棺桶。艦腹部に強襲揚陸用の大きな乗降口を備えている関係でそこが水密性の弱点になり、そんなに深くは潜れないそうだ。水密性の弱点は搭載ヘリのエレベーター部分にもあるそうだ。

 そのために公称は三百メートル以上となっている潜航深度だが、実際のところは、最大深度はその半分の百五十メートルが精いっぱいらしく、実用深度としてはせいぜい百メートルらしい。この辺は海軍に行っている兄貴に出撃前に教えてもらったのだが、

『浅いと見つけられやすいだけでなく、見つかるとまず振り切れない』

 海面から潜水艦を探索するのはソナーだが、探索する時には深度によって音を変える必要があるそうだ。おおよそ百メートル単位だそうだが、海水温だとか、潮流などによって条件を合わせて行く必要があるとしてた。

 深く潜れる潜水艦なら、深度を変えることによりソナーの探査を逃れる変えることも可能らしい。ごく単純には深度を浅くしたり、深くしたりでソナーの目を誤魔化すぐらいだろう。しかしせいぜい百五十メートルしか潜れないと、

『ソナーを騙すのは至難の業で、まず不可能だ』

 もう一つのネックが水中速度。これも単純に言えば水上艦より早ければ振り切れることになる。第二次大戦期までは水中速度の方が浮上時より遅かったが、現在は逆で水中の方が早くなっているらしい。

 現在の潜水艦は水上艦隊と行動を共にするケースも想定しているので、二十五ノット以上は通常はあるとしていた。水上艦の探査から逃れるには、深度と速度をいかに組み合わせるかが艦長の腕の見せ所ぐらいで良さそうだ。

 ところがこの海中棺桶の水中速度は公称でも二十ノットで、実際は十五ノットも怪しいらしい。

『潜水艦の公称は、通常はそれ以上あるとするのが常識だが、海中棺桶は逆だ』

 さらに今回の航海には縛りがあり、ツバル上陸後の給油は期待できないとしていた。つまりは一万六千キロの往復航海が必要となるが、そのためには省エネ航海が必要になる。要するに十五ノットさえ無暗に出せないってことだ。

『能力的には第二次大戦末期ぐらしかないってことだよ。だから捕捉されれば必ず撃沈される。反撃の装備さえないしな』

 魚雷も進歩していて、それこそ有線誘導で左右どころか深度も自在に変えられるし、相手の位置を予想してプログラミングして発射できるそうだ。だから潜水艦からの反撃も可能だそうだが、海中棺桶には魚雷装備もない。

『だから実戦での投入はよほど条件を整えないと使えないのが潜水艦乗りの常識だ』

 兄貴の話では、これだけプアな性能になったのは、設計段階では原子力型で六万馬力の予定だったのだが、これを通常型に変更している。しかしディーゼル・エレクトニック方式で置き換えるのは無理があり過ぎたとしていた。

 そのために公称こそ六万馬力だが、半分どころか三分の一も怪しいだろうとしてた。さらに通常型にしたために燃料タンクとバッテリーの搭載スペースが必要になり、魚雷発射管が撤去されただけでなく、乗組員の居住スペースから、収納庫のスペースまで圧迫しまくったらしい。

 とくにバッテリーはこれだけの巨艦を動かし長時間潜水航行させるために、これでもかと言うぐらい積み込まれてるそうだ。もっともそれだけ積み込んでも、航海中は節電しまくり状態になるぐらいだろう。


 まったく嫌な話だった。それはともかく、ピンガー音は確実にこの艦を捉えているで良さそうだ。攻撃こそないものの、あの音は人間の神経をすり減らす。部屋の臭いも最悪だ。第一種警戒態勢になるとトイレも使用禁止になる。

 使用は禁止されても生理現象は止まらないのだが、その時には部屋で用を足すことになる。バケツにビニール袋を被せたようなものなのだが、当たり前だが同室の他の五人の前で使う事になる。

 小はともかくさすがに大はな。だが排便時の羞恥感よりたまらないのが臭いだ。狭い部屋の六人分の排尿・排便時の臭気が貯まる一方になり、これまで潜水艦の悪臭には慣れていたはずだったのに吐き気がしそうだ。部屋の中はアンモニア臭が立ち込め、まるで農村の便所の中で暮らしているようなものと言えばわかってもらえるだろうか。

 どれだけの時間が経ったのかはわからない。だが第一種警戒態勢は原則として二十四時間までだったはず。そりゃ、部屋から一歩も出られないだけでなく、食事や飲料水さえも配られない徹底した無音体制だからだ。

 第二種警戒態勢に切り替えられたのは時間の問題もあるが、予想通りソナーで捕捉しても攻撃は行われないと判断したと見て良さそうだ。第二種警戒態勢になると部屋から出られないのは同じだが、飲料水や食料は配られてくる。

 喉はカラカラだったから水は嬉しかったが、問題は食事。空腹というより飢えているはずだが、悪臭漂う中の食事は辛いなんてものじゃなかった。無理やり喉に流し込んだ感じだ。中には吐いたものもいたが、そうなると嘔吐物の臭いが新たに加わってくれた。

 第二種警戒態勢はかなり長かったが、正直なところ日々消耗していくのはわかった。やっと相手の顔が見えるぐらいの狭苦しい部屋に六人が詰め込まれ、会話も禁じられ、悪臭がますます酷くなるだけで食べるしかやることがないのだ。

 どれぐらいの日数が経過したかわからないが、第三種警戒態勢に変わってくれた。第三種になると部屋から出ることが出来、食事も食堂が使えるようになる。第二種警戒態勢の時の食事は缶詰ばかりであったから、やっとまともな食事を口に出来るぐらいだ。

 久しぶりに会った仲間たちは、誰もがひどい顔になっていた。これは自分もそうなってると思う。それと部屋が開け放たれたためか、食堂まで便所の臭気が充満している。脱臭装置は止まったままだが、わずかに蒸し風呂状態の艦内の室温を下げるためにエアコンが稼働しているようだ。

 食堂に兵が集まった時に上官から現状の説明があった。この艦は完全に捕捉されており、どうしてもその捕捉を振り切れそうにないと。それとこの食事が終わると艦内は再び第一種警戒態勢に戻る予定だそうで、

「シュノーケル深度まで浮上し充電航行を行う」

 シュノーケル航行とは、煙突を海面に突き出して空気を取り込みながらディーゼル・エンジンを動かし発電機を回し充電させることだ。同時に空気の補充も行われる。問題になるのはたとえ煙突でも水面に顔を出すことで良さそうだ。

 潜水艦は臨検もされないし拿捕も出来ないが、浮上すれば水上艦扱いになるらしい。撃沈はされないだろうが、艦の動きを止めるために司令塔への攻撃は可能性が残るとしていた。

 もしそこに攻撃を受ければ潜水状態は維持できなくなり浮上せざるを得なくなる。もちろん二度と潜航できないから、

「艦が拿捕されないように行動する予定である」

 どうやら海兵も甲板に出されて抵抗しようって指令のようだ。小銃やRPG7ぐらいで何が出来るっていうのだろう。艦を引き渡す訳には行かないのはわかるが、そうなれば死ぬな。

 やがてディーゼル・エンジン音が聞こえだし、シュノーケル潜航での充電航行に入ったのがわかった。少し助かったのは、開き直ったのか脱臭装置もエアコンもフル稼働になっているようだ。ディーゼル・エンジン音に比べたら軽微なものだし、充電中だから電力に余裕があると判断したのかもしれない。

 艦内の環境は幾分よくなってくれたが、敵艦の動きが気になって仕方がない、魚雷攻撃もあるだろうし、艦載砲でも損害が与えられそうな気がする。水中と言っても浅いからな。緊張の時間が続いた後、やがてディーゼル・エンジン音は止まり潜航に入ったようだ。

 艦内は第三種警戒態勢に戻った。トイレの使用は許可されたが、脱臭装置もエアコンも止められたようだ。食事の時に上官が海面の様子を教えてくれた。

「見えただけでヘリ空母を含む十隻以上の艦隊に捕捉されてる」

 こういう情報はオレたちのような下っ端に必ずしも伝える必要がない情報だが、出航以来、外からの情報が皆無になっている点を配慮したものだと思う。しかしそれだけいるのに小銃で抵抗する意味はあるのかな。あるとしたら、抵抗することによって撃沈されるのを期待するぐらいだろう。


 そうそうシュノーケル潜航中は止まっていたピンガー音がBGMのように流れている。汪上等兵にも会ったが、

「周よ、オレは気が狂いそうだ。こんな状態がいつまで続くのだ」
「わからん。米軍の体制から考えると絶対に見逃さない気はする」

 汪上等兵の目は落ち込み、顔に精気はなかった。これは汪上等兵だけでなく、すべての海兵がそうなってるで良いと思う。

「充電航行中にな・・・」

 汪上等兵の部屋でシュノーケル航行中に外に出ると言って大暴れした兵がいたようだ。オレの部屋にも危なくなってる奴がいるにはいる。それ以前にオレが正気かどうかも自信がなくなりそうだ。

 ピンガー音にさらされたまま航海は続いた。第三種警戒態勢のままで艦内環境は順調に悪化していった。とにかくストレスをぶつけるところが何一つなく、ただただ貯めこむ一方になっているからだと思う。

 そんな中で時々聞こえるのが喧嘩騒ぎ。無音航海中に許されるものではないが、そんな状態でなくなっているとしか言いようがない。艦内に狂気が広がり高まるのをヒシヒシと感じる。

 ちょっとしたことで声がすぐに荒立つのはわかりやすいが、同室の海兵の中で口も利かなくなり、壁しか見ていない者がいる。食事に行く様子もない。さすがに心配になり軍医を呼んだがクスリをくれただけだった。オレはクスリを飲ませようとしたが、

「なにするんじゃ」

 いきなり殴りかかられ大騒ぎになった。だがそうなっても上官すら来ない。騒いだ事さえ不問と言うか無視されているとしか思えない。汪上等兵に相談したが、

「お前のとこもそうか。医務室はとっくの昔に満杯だそうだ。それに上官連中も処分するにもどうしようもないらしいぞ。あいつらもかなり危ないだろうし」

 そう話してくれる汪上等兵の表情も出航時とまったく変わっている。この航海はどこまで進んだのだろう。もう数日したらツバルに到着するとか。いや、まだ半分ぐらいかもしれない。ひょっとしたら三分の一も終わっていないかもしれない。そうしたら何故か笑いがこみ上げ、

「はははは・・・・」

 不思議な感覚だ、狂気のように笑っている自分を眺めてる自分がいる気がする。オレは、オレは何をしてるのだろう。何をするためにここにいるだろう。