ツバル戦記:潜水艦ライフ

「周上等兵、あれが例の船か」
「大きいな」

 人民解放軍海兵隊は、かつては海軍陸戦隊として始まり現在は海兵隊に発展したそうだ。海兵隊と陸軍の違いは幾つかあるが、海外戦争の先兵としての役割は大きく、わかりやすく言えば渡海しての敵前上陸があるところかもしれない。陸軍と海兵隊の役割分担は常に縄張り争いの種になるそうだが、下っ端のオレには関係ない。

 海兵隊として海軍とは独立しているなってるが、海兵隊の主任務とされる敵前上陸一つを取っても海軍との協力は欠かせない。だが海軍との関係も良いとは言えないそうだ。海軍から海兵隊が独立した事自体が気に入らないぐらいで良いだろう。

 かつて強襲揚陸艦が出来た時に運用を海兵隊と海軍が激しく争ったと聞いている。この時は海兵隊の運用になったが、強襲揚陸用潜水艦が出来た時に二回戦が起こり、この時は潜水艦の運用は海軍でないと無理とされて海軍に軍配が上がったと聞いている。

 これも下っ端のオレには無関係だが、軍隊もしょせんは官僚だ、出世するほど足の引っ張り合いになり、出世のための派閥が形成され、さらに軍と言う単位で縄張り争いに血道をあげるところぐらいだ。


 そうそう海兵隊の主任務が敵前上陸戦としたが、海兵隊になってからの実戦経験はない。今どきそんな作戦が行われる機会なんて滅多にないから仕方がない。これもオレからすればアホみたいな話だが海軍は、

『海兵隊より先に敵前上陸作戦に成功した』

 これを吹聴しまくってたよ。ツバル戦の話だが、あんなもの上陸作戦でなくてタダの上陸だと思うが、軍隊の手柄争いなどそんなもの。

「その後が傑作だな」
「あれだけ自慢した後だったものな」

 海軍による上陸作戦は結果としてツバル軍に降伏になっている。赤っ恥をかいた海軍上層部のクビがどれだけ飛んだことか。でもって、海軍がさらした恥をオレたち海兵隊が尻拭いに行くのが今度の作戦になる。


 海兵隊が乗り込むのは艦腹部にある乗降口からで、先に上陸用舟艇であるとか、水陸両用装甲車、さらに食料などの他の物資の積み込みは終わっているようだ。

「臭いな」
「まったく、鼻が曲がりそうだぜ」

 艦内に入った途端に襲われたのが猛烈な悪臭。これは乗艦前に理由は教えられた。潜水艦は水中にいるために換気が出来ないそうだ。つまりは発生した臭いはすべて籠るという事だ。

 もちろん脱臭装置もあるが、これとて臭いのすべてを除去するほどの性能は無く、さらにこれを動かすには電力が必要になる。潜水艦にとって電力は貴重品で、なおかつ最優先されるのは動力だそうだ。

「臨戦態勢になれば脱臭装置も止まるんだってな」
「らしいな。すると今はまだ香しいのかもな」

 艦内の臭いはシンプルには悪臭だが、もう少し言えば、体臭と、軽油の臭いが入り混じった感じぐらいだ。便臭とかアンモニア臭も混じっているな。

「昨夜が最後の風呂だってな」
「そうらしいな」

 水もまた潜水艦では貴重品だ。海水から真水に変える装置も備え付けられているが、これを動かすのも電力だ。脱臭装置もそうだが装置を動かせば物音が発生するから臨戦態勢に入れば止まるそうだ。

 もちろん水タンクも備えられているが、最優先されるのは飲料水と炊事だ。シャワーなど論外で、そもそもシャワー室さえないそうだ。水の利用制限も二週間程度の航海なら手や顔を洗う程度は使えるそうだが、

「二か月以上かかるから、次はツバルまで無いってことだな」

 他にもエアコンも問題だそうだ。これまた電力と騒音の問題があり、

「臨戦態勢になれば止まるんだってな」
「そうなったらサウナを一日中楽しめるそうだ」

 入って見ればとにかく狭苦しいし、薄暗い。狭い廊下を歩いて行くと兵員室に着いたが、

「ひえぇ、無理やりの三段ベッドだな」
「それでも水兵よりマシらしいぞ。なにしろ専用ベッドだからな」

 今回の作戦の海兵は二百人だから一人に一台ずつベッドがあるが、これが最大の四百人体制になれば二人に一台になるそうだ。水兵も三人に二台だそうだから、この航海だけなら海兵の方が優遇されてるかもな。

 とは言うものの狭苦しい部屋で、ベッドとベッドの間は一メートルもなく、ベッド幅もそんなもの。寝返りもうてないだろうし、ベッドの上で座るのも無理そうだ。

「どうして原潜にしなかったのかな」
「使えんからだろう」

 海軍は原子力空母も原潜も作っているが、とにかくトラブルが多くて、ドックの肥やしとか、放射線治療艦と陰口を叩かれまくってるぐらいだ。そうこうするうちに海兵の乗り組みが終わり、船腹の乗降口の大きな扉が閉まる音が艦内に響いた。ディーゼル・エンジンが動き出し、

「ノーチラス号とだいぶ違うな」

 ジュール・ベルヌの海底二万マイル出てくる潜水艦だ。

「あれより十倍ぐらいあるぞ」
「だが浴室も図書室もパイプオルガンもないぞ」

 ノーチラス号は千五百トンの設定だったが、船内は豪華客船のようだったものな。それに比べればこの艦はタコ部屋のようなものだ。これは白状しておくと、オレも潜水艦に乗るとなって真っ先に思い浮かべたのはノーチラス号だった。

 出港して一時間ぐらいしてからディーゼル・エンジンが止まった。いよいよ潜航するらしい。とはいえ乗ってる方からすれば外は全く見えず、ただ艦が前方に傾斜しているのがわかるだけ。これから海中暮らしが延々と続くことになる。やがて艦が水平になった頃に動いても良いの指示が出た。

「汪上等兵、散歩とシャレこむか」
「とりあえずメシの確認もあるしな」

 船内の食堂は四か所だが海兵が使うのは二か所のようだ。さすがに海兵室に比べると広いが、せいぜい五十人も入れば満員ぐらいだ。食事以外の時はミーティング・ルームになるようだ。

「どうして水兵と別なんだ」
「あっちは二十四時間勤務だからな」

 ブリッジや機関室は海兵は立ち入り禁止となっており、海兵がいるスペースは艦内でも隔離されてる感じと言えそうだ。見て回ると言っても、食堂と便所を確認したら他は乗組員室が並んでいるだけ。

 他に行けるところとして収納庫がある。上陸となった時は、ここで上陸用舟艇なり水陸両用装甲車に乗り込み陸地を目指すことになる。そのために乗り込み訓練も連日行われた。そうやって航海は続くのだが、真っ先に失ったのが日付の感覚。時間も危ないのだが、これは食事で辛うじて保たれている感じだ。

「メシは美味いな」
「海兵隊とは比べ物にならんよ」

 これも潜水艦の伝統だそうで、食事は軍隊で一番豪華とされている。ちなみに中国海兵隊は世界最悪の評判もあるから、これだけは楽しみだ。いやこれしか、楽しみはないとして良いだろう。

 とにかく寝て、飯食って、乗り込み訓練だけする毎日だったが、体は鈍るし、空き時間は本当にやることが無い。麻将もうるさいから持ち込み自体が禁止で、サイコロもそう。辛うじて許されているのがカードゲームだが、とにかく大きな声を上げるのは厳重に禁じられている。

 乗艦前にもレクチャーはあったが、潜水艦戦で物音は生死を分けるほどのもので、スプーン一つ落とした音が生死の岐路になるとも聞かされた。もちろん話し声もだ。だから会話も最小限で小声でせよとなっている。

 理屈はわかるが、とにかく辛い。どこも動けず、息抜きの雑談にさえ神経を尖らせないとならないからな。汪上等兵も

「こりゃ、監獄より辛いかもな」
「ああ営倉でも、お日様ぐらいは拝めるものな」