ミサトの旅:滝川監督

 映画出演なんてトンデモないけど、とりあえずサキ先生のところに相談に行くことにした。サキ先生はオフィス加納の動画部門のチーフ。とにかくゼロに近いところから立ちあげた叩き上げかな。

 メインの仕事はCM、さらに企業や自治体のイメージ・ビデオ、ミュージシャンのビデオ・クリップ。短編映画の評価も高くて、カンヌやベルリン、ヴェネツィアでの受賞歴もあるんだよ。

 「長編は」
 「リスクがね」

 映画をビジネスと考えると、ごく単純には製作費を収入が上回ればペイするけど、とにかく製作費が問題。そりゃ、安く作って大当たりすればボロ儲けだけど、世の中そんなに甘くなくて、ある程度まで製作費とヒット確率は連動するんだって。

 じゃあ、莫大な製作費を掛ければいつもヒットするかと言えばそうでもなく、ミサトでも大コケした大作は何本も知ってるぐらい。さらにいえば、製作費の回収が遅いのもあるそう。大作になると撮影が始まってから公開するまで、三年以上かかるのもあるって言うから驚いた。

 短編もペイしないそうだけど、あれはオフィスの動画部門の宣伝ぐらいの位置づけで、経費で落ちる範囲で作ってるとか。

 「だから大作になるほどメディア・ミックスで保険をかけるのが常識」

 映画と言えば興行収入だけど、関連グッズの売り上げでコケても損害を小さくし、当たればさらに儲けを狙う感じかな。ただその路線のネックは、完全なオリジナル作品が撮られにくいとサキ先生は言ってた。

 作品がヒットするかどうかは色んな要因があるとしてたけど、やはり監督の手腕も大きな部分を占めるで良さそう。だから映画会社もヒットする監督に製作を依頼するようになるのは良くわかる。

 「滝川監督は売れっ子だよ」

 低予算で作り上げた処女作『あの真珠色の朝を・・・』がスマッシュ・ヒット。以後の作品も次々とヒットさせ、映画会社から引っ張り凧状態だってさ。まあ、そうなるだろうな。

 「どんな監督ですか」

 映画撮影は写真以上に監督の個性が強く出るみたい。それこそ監督ごとに作る絵は違い、撮影スタイルも違うで良さそう。演出もまたそう。滝川監督の演出や撮影法も独特らしいけど、

 「ブレーキの無い暴走車って呼ばれることもあるよ」

 映画は台本に従って作って行くのが基本だけど、滝川監督は撮影中にドンドン台本を書き換えちゃうそうなんだ。良く言えば撮影しながら新たなイマジネーションが湧くだろうけど、スタッフや出演者は大変だと思った。

 大ヒットした夕焼けの回転木馬も、撮影開始前はアイドルを使ったさわやか青春映画だったそう。それが出来上って見ると切ない大人のラブ・ロマンスになったんだって。

 「あれって本来の主演は赤川仁だったんだよ」
 「えっ、桐原萌絵と浦田俊が主役じゃ」

 赤川仁はアイドル・グループ、Jパワーのメンバー。映画にも出演してたけど、そのままJパワーのメンバー役だった。つまりはチョイ役。一方で桐原萌絵と浦田俊はあの映画でブレークして今や売れっ子。

 「滝川監督が赤川の大根芝居にウンザリして、元もとはその他大勢のチョイ役に過ぎなかったあの二人を製作中に大抜擢したんだよ。赤川の事務所とだいぶもめたみたいだけど、あれだけのヒットの前に、みんな沈黙した感じかな」

 夕焼けの回転木馬だけでなく、企画段階の構想と出来上がった作品がまったく違うものになるのは有名みたいで、これも映画会社ともめまくったそうだけど、とにかくヒットするから今や、滝川監督に映画を撮らすとああなるぐらいで、あきらめられてるぐらいだって。この辺は、それだけ内容が大幅に変わるのに製作費が殆ど膨らまない手腕もあるそうで、

 『滝川漣のビックリ箱』

 なんて言われ方もされてるんだって。

 「サキは、滝川監督は出演者に左右される部分が多いと見てるよ。出演者の演技から次々とイマジネーションが湧くんだろうね。もう少し言えば、出演者の良いところを最大限に引き出したくなるのじゃないかしら」

 だから滝川監督の作品に出演者は期待と不安で大変だって。製作開始段階で主演とされても、気に入られなければ赤川仁のように端役に平然と回されるし、逆に桐原萌絵や浦田俊のように出来上って見れば主役もあるからね。サキ先生に滝川監督からの出演の誘いの話を相談したんだけど、ちょっと考え込んでた。

 「これから役者を目指すなら、こんなイイ話はないと思う。そりゃ、滝川作品に出れるのは大きいから。まずヒット間違いなしね」

 やはり役者として売り出すにはヒット作品に出演するのは大きいらしい。いくら大作に出演しても、ハズレ作品なら評価は上がるどころか戦犯として下手すりゃ下がるらしい。中堅や大物クラスでも、出演作品を選ぶ時に、その辺は神経質になる部分だそう。

 「でも尾崎さんは女優になりたいわけじゃないだろうし」

 そう、そこ。オフィスのバイトやってると感覚がおかしくなるけど、ミサトの本業は学生。せいぜいバイトのフォトグラファーまで。なんで役者までやらないといけないのかなのよ。

 「それと滝川監督の演技指導は厳しいというか、個性的というか、トンデモというか・・・」

 リアリティを重視するのは良いとして、あまりにも本物にこだわり過ぎる部分が多いんだって。役者は演技で嬉しい顔、悲しい顔、苦しい顔を演じ分けるのだけど、どうも演技で作った表情はお気に召さないことが多いらしい。

 寝不足の顔を作るのに二晩徹夜させたり、空腹を表現するのに一日絶食させたりぐらいは普通だって。苦しみの時は・・・入院騒動どころか傷害事件になる寸前だったらしい。

 「なんとなく思うけど尾崎さんに白羽の矢が立ったのは、本物のカメラマンだからじゃないかな。写真小町っていうぐらいだから、写真を撮るシーンがあるはずだし」

 おいおい、写真を撮るシーンぐらいで本物のプロを引っ張り出すってか。でも話を聞いてるとやらかしそう。とりあえず求められる演技のレベルが、途轍もなく高そうなことはわかったので断る事にした。


 次に岩鉄さんに会う時に伝えようと思ってたら、麻吹先生に呼ばれたんだよね。

 「尾崎、バイトだ」

 今は週に一~二回ぐらいでやってる。それも半日ぐらいで済む仕事にしてもらってる。去年のような綱渡りの前期試験はゴメンだからね。しつこいけどミサトは学生だし、学生の本分は勉強なんだから。さて今度の仕事は・・・

 「麻吹先生、これは何ですか!」
 「あん、仕事だが」
 「どこが仕事なのですか!!」

 仕事内容は滝川監督の映画出演で期間は八月一杯って、冗談もホドホドにしてくれ。

 「滝川監督は尾崎の大学もあるだろうから、夏休み中に終わらせるって言ってたぞ」

 だから八月は前期試験の準備があるんだって。というか、なんでこんなものオフィスが受けるんだよ。ミサトは女優じゃないし、オフィスは芸能事務所じゃないだろ。もっと言えばミサトはバイトのカメラマンだ。

 「カメラを使う仕事だから良いだろう」

 良くない、関係ない、カメラはオマケだ。

 「それに静止画と動画の違いはあるが、プロの映画監督の撮影現場を見るのは良い勉強になる」

 そりゃ、参考になるだろうけど、前期試験を危険にさらすのはお断りだ。今度こそまともに試験対策をやって臨むんだ。

 「去年も通ってるじゃないか。別に試験の日まで仕事をしろとは言っておらん」

 どいつも、こいつも、たった二回の奇跡をアテにしやがって、試験を受けるのはミサトなの。留年したらどうしてくれる。

 「大学が一年延びるだけだと思うが」
 「麻吹先生!」

 話にならん。そこに救いの貴婦人が来てくれた。新田先生ならミサトの味方のはず。新田先生は被写体を深く理解して撮る主義で、写真に教養は必須とまで言わないけど、あった方が写真は伸びるのお考えが強いのよね。だからミサトが大学で勉強するのは賛成のはず。

 とにかく新田先生の教養の深さは半端じゃない。新田先生のライフ・ワークに伝統文化シリーズがあるけど、あれを撮るためにどれだけ勉強されることか。被写体を勉強するために古文書まで読まれるのだけど、崩し字をサラサラと読めちゃうんだもの。

 それと新田先生はチャラチャラした文化はお嫌いのはず。読んでる本だって、トルストイだとか、トーマス・マンだとか、マルセル・プルースト。ジェイムズ・ジョイスもユリシーズぐらいならまだしも、フィネガンズ・ウェイクの真価を知るためにアイルランド語まで覚えたって聞いて眩暈がしたもの。

 そんな新田先生がマンガを読む姿なんて想像も出来ないぐらい。マンガどころか、大衆小説も想像できないし、テレビドラマなんてもってのほか。アイドルとか有名人にキャーキャーなんてあり得るはずがないって人。

 「尾崎さん、お願いしてもイイかしら」

 いきなり渡されたのが色紙。まさか、まさかあの新田先生が、

 「まさか滝川監督のサインとか言うのじゃ」
 「もちろんです。お願いしましたよ」

 それだけ言って出て行くな!

 「尾崎、もう契約は交わしている。あきらめて行って来い」

 恨んでやる、呪ってやる、祟ってやる。