ミサトの旅:心の放浪者

 大学に戻りツバサ杯の応募作品を撮り上げました。オフィスで教えられたことを一〇〇%活かしたつもりです。喫茶北斗星で先輩達に見てもらいましたが、

 「こ、これは・・・」
 「なんという・・・」
 「ここまで・・・」

 ボクの目から見ても格段に変わっています。ここまで変れたのは、写真に取り組む姿勢の違いです。平田先輩は、

 「オフィスで修業すればここまで変わるのか」

 変わります。オフィスでは写真に対して一切の妥協がありません。いや妥協を鬼のように敵視します。そして常に次へ次へと進もうとします。その代り、少しでも半端な気持ちがあれば叩きのめされます。

 オフィスで生き抜くには、燃えるような向上心と、一瞬の隙さえ許されない集中力、精神力が当り前のように備えることが要求されます。ボクが身に着けたのはおそらく、その入り口ぐらいだった気がします。

 「おいおい、伊吹が入口ってことは、尾崎さんはどこまでやったんや」

 ミサトさんは間違いなくプロ。弟子として求められるものをすべて身に着けだけでなく、オフィスで聞かされた、プロへの最大の難関であるプロの壁を越えています。

 「オフィス加納のプロの代わりのバイトだって。そんなバイトがこの世に存在するのかよ」

 存在していました。ミサトさんがいたのは六階七号室。オフィスの身分差はシンプルで、稼ぐ人が上に来ます。その頂点がプロであり、プロのみに与えられるのが六階の専用個室。そこに部屋を与えられるのが弟子たちの目標であり、夢なのです。そこに麻吹先生たちと肩を並べてミサトさんはいたのです。加茂先輩は嘆息しながら、

 「そうなると伊吹君にやっていた指導は・・・」
 「そうです。ミサトさんにとっては基本の『き』だったのです。それがどうしても身に着けられないボクを叱咤激励してくれていたのです」

 今ならわかる、オフィスを経験した今ならわかる。ミサトさんが望んだ写真への集中力は、あのレベルだったと。それが備わってこそ、次のステップに進めることを。その集中力は、ミサトさんはもちろんですが、優勝メンバーの野川さん、小林さんも身に着けておられ、そこからのレベルアップをトレーニングされ続けたんだと。

 ミサトさんは部長になり、団体戦のメンバーにそれを要求したのです。いや、ミサトさんにすれば要求ではなく基本に過ぎなかったのです。

 「やはり尾崎さんの指導に不慣れな点があったと見るべきか」
 「違うと思います」

 無理だったと思います。あれは逃げ場のない修羅場でのたうち回ってこそ身に付くもの。それを逃げ場がいくらでもある部活や、サークルでするのに無理があったのです。

 「でも摩耶学園の写真部は出来たじゃないか」

 あれこそ驚き。ボクも理由をあれこれ考えましたが、まずは豪華すぎる指導陣です。麻吹先生だけでも凄すぎるのに、そこに泉先生や新田先生まで加わっているのです。こんな指導体制など誰にも作る事は不可能です。

 さらにメンバー構成もあったと思います。部長だった野川さんの求心力は、タイプは違えど麻吹先生を彷彿とさせるところがあります。ミサトさんも無条件の信頼を置いているほどです。

 さらに小林さんの存在も大きかったようです。小林さんはズブの素人から驚異的な成長をしたようで、決勝大会の時点では三人の中でも頭抜けた実力であったと聞いています。にもかかわらず、部長の野川さんを絶対的に立てられ、後輩のミサトさんにも気遣いの人であったとされます。

 「伊吹、ちょっと待て。そんな摩耶学園と互角に戦ったんだろう」

 ボクも初めてわかったようなものですが、里村先生は麻吹先生に匹敵するトレーニングをボクたちに課しています。そりゃ、もう辛いなんてものでなく、この世に写真地獄があれば、ここの事だろうと愚痴りあっていたぐらいです。

 その分だけ絶対の自信を持っていました。あれほどのトレーニングをする学校がこの世に他に存在するとは夢にも思わなかったからです。摩耶学園との差があれほど小さかったのはトレーニング期間。麻吹先生は一年ほどですが、里村先生は二年強をかけてチームを育て上げられたからと考えています。

 ただ代償も莫大だったと思います。あまりの過酷さに父兄から苦情が次々に舞い込んだのです。この辺は体育会系の部活との差としか言いようがなく、

 『たかが写真にどれだけ縛り付ける気だ』

 この抗議の矢面に立ち続けたのが里村先生で、成果を写真甲子園で必ず見せると説得していたのです。

 「伊吹それって・・・」

 里村先生が神藤高校を追われた理由です。里村先生は優勝できなかった責任を取って翌年から監督を辞任。さらにその翌年に教師を辞職し、十津川高校には非常勤として採用されています。


 ミサトさんがやろうとしたのは、一人で麻吹先生、泉先生、新田先生の指導を行い、一人で部長であった野川さんの求心力を担うことだったのです。それも、たったの一年でです。どう考えても無謀な試みですが、

 「やはり前部長から託されたからか」
 「そうなんですが、さらにがあると思います」

 託されたのが野川さん、小林さんからだったと思います。ミサトさんにとって、あの二人は特別な人。そう自分の垣根の中に自由で立ち入るのを認めている人で良いはずです。その信頼に応えるのがミサトさんのすべてだったはずです。

 しかしミサトさんには南さんしかいなかったのです。その南さんがミサトさんの指導方針に口を出した時に、ミサトさんはすべてをあきらめています。心が折れたとして良いでしょう。

 それぐらいで心を折ってしまったミサトさんを非難するのは容易ですが、ミサトさんには小学校時代のイジメによる心の傷があります。一番信頼していた南さんが信じられなくなった時にフラッシュバックが出たと思います。

 これは加茂先輩たちが集めて回った情報ですが、イジメに遭ったミサトさんは敢然と戦ったそうです。しかし、絶対の親友と思っていた人がイジメる側に回った時に引き籠りになってしまっています。

 サークル北斗星のケースは、理由はわかりませんが、ミサトさんはボクを買ってくれています。ボクなら信じられると思ってくれたとしか言いようがありません。そんなボクさえと感じた瞬間にミサトさんは去っています。

 「尾崎さんは摩耶学園写真部で心を開ける人にやっと出会えたのだろうな。そして居場所も見つけたんだよ。尾崎さんにとっては麻吹先生や新田先生の特訓さえ、楽しい時間だったに違いない」
 「そうだと思います。その結晶が優勝旗だったと見て良いでしょう。野川さんや小林さんと心をつないでいたはずです」

 ミサトさんは、もう一つ居場所を見つけています。オフィス加納です。麻吹先生や新田先生に対する信頼もまた絶対です。あの二人の先生はミサトさんを決して甘やかしはしなかったでしょうが、熱い魂を注ぎ込んでいます。あれを感じない訳がありません。

 「オレらじゃ足りんのか」
 「もうオフォス加納から帰って来ないのかもしれないな」

 その懸念はボクにもあります。オフィスで会ったミサトさんは、ボクやサークル北斗星を拒絶しているように見えました。そう、もう終わった場所のように扱っている感じさえあります。

 でも、でも、それ以外の物を感じてなりません。南さんの話題を持ちだした時の動揺です。あれはきっと、

 「伊吹君の言いたい事はわかる。やっぱり助けを求めてるんだよ。心の放浪を続けながらも、どこかで求めてるのだよ。人を信じたい気持ちが」

 麻吹先生も何かを感じられていたようです。加茂先輩がしみじみと、

 「やはり伊吹君は選ばれたのだよ。尾崎さんの心の放浪の旅を終わらせる相手として」