政治部記者の感覚

 朝日新聞政治部記者三浦さち子氏の2020.5.24付ツイートです。

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 いくつかポイントがあるのですが、取材対象である政治家との個人的な信頼関係を結ぶことを強調されています。記者と政治家が信頼関係を持たれても悪いとは言いません。たとえば鋭い質疑応答のやり取りの中でお互いが、
    あいつはやるな
 こんな感じで信頼するとかです。エライ綺麗事を書きましたが、政治に関する取材は対立関係は言い過ぎかもしれませんが、善行記事とか啓発記事のように取材対象と親密な関係を結ぶのが前提と思いにくいところがあったのです。

 政治記事も様々ですが、どうしても目に付くのは政権批判記事です。取材対象は批判されて嬉しいと思う人は少ないと思います。批判とは相手が不快感情を抱くのはセットみたいなものです。いくら記者でも親しい知人を槍玉に挙げて批判は躊躇われる部分も出るでしょうし、やれば信頼関係が崩壊するのは当たり前と思います。

 これは外野からの印象ですが、内実は違うとして良さそうです。現役記者のツイートですから素直に信じるしかありませんが、

酒を飲み、長い時間を過ごし、信頼関係を築く

 この手法って営業の接待じゃないのですか。あれは信頼を得ると言うより、覚えを目出度くしてもらって、情で仕事を取ろうとするのが目的だと思っています。金銭的な面もあるでしょうが、

    あいつには良くしてもらっているから、仕事を回そう
 こういう信頼関係に持っていこうとする行為と思っています。先に断っておきますが、そういう手法を頭から否定していません。業種によっては長年の慣行から必要と言うより、無ければ論外みたいなところもあるだろうからです。かつて医療も医師とMRの間にありましたが、これが厳しく規制されているのは医療関係者ならよくご存じかと思います。

 ここで注目すべきことは現役の政治部記者が、

政治記者のこうした努力を心から尊敬する

 手放しで礼賛されている点です。つまり、営業接待的な取材方法は昨日今日出来たものではなく、長年の努力により確立され常識化していると見るしかないでしょう。政治部記者にとって、恥ずべきことでもなく、世間に胸を張って自慢できるものとしているのは明白です。


 実は最後のところがわかりにくいのですが、

問題は、権力者が知られたくない事実を書くことよりも、「先に書く」ことが優先されていること。

 この「先に書く」ものが何かです。文脈的にはそれは権力者が知られたく事実よりも優先されるとなっています。そうなると権力者が記事にしても良いと許可した事実を他社より早く記事にすることになるのかもしれません。

 それと「先に書く」行為は問題があるとしています。これも素直に受け取れます。そりゃ、知りたいのは権力者が知られたくない事実だからです。しかし、そうすべきであると文章全体から読み取るのは無理があると見ます。

 これも当たり前ですが、権力者の知られたくない事実を記事にすれば、その権力者との信頼関係は無くなります。この点はその権力者を葬り去る代償と見れますが、事はそれだけで終わりません。いつ裏切るかわからない連中と信頼関係を築かない方向にベクトルは動くはずです。

 ツイート全体の論旨を整理しますが、

  1. 営業接待手法による信頼関係構築は尊敬すべきもの
  2. 権力者の知られたくない事実を書かないのは問題

 こう考えて見ることにします。a.は絶対前提と考えると、b.は補足事項と見てよい気がします。つまり、

    a.という手法は素晴らしいが、残念なことにb.という欠点があるのが惜しまれる
 こんな感じで良い気がします。これなら論旨も通ります。そうなると些細な問題点も含むが現在の取材手法は誇るべきものであるとしているぐらいでしょうか。

 世の中は裏も表もあるぐらいは知っているつもりですが、個人的にはツイッターで堂々と書き込める感覚に違和感を感じています。