衒学趣味

 初めて自分専用のネットを敷いたのは20年以上前になるはずです。嬉しそうに見て回りましたが、実はすぐに飽きました。理由は単純でネットにある情報量が乏しすぎたからです。当時から2chはありましたが、最初はそんなものの存在は知りようもなかったぐらいです。

 まだツイッターは愚かブログの草創期ぐらいですから、あるのはカタログ程度のHPばかり。何か調べ物をしたいと思ってもさほど役に立たなかったぐらいです。

 あれから20年。情報量の充実は目を瞠るものがあります。私が欲しい情報の質がその程度なので「とくに」ですが、ほぼほぼ手に入る感じです。この辺はブログの恩恵もあると思っています。ブログは更新するたびに新ネタを考えないといけませんが、あれこれ手を広げているうちに広範囲の分野のかなり詳しい情報が充実したお陰と思っています。


 ある時に論語の一節を調べたくなりました。こんなものはすぐに出てくるのですが、

    巧言令色 鮮矣仁
 学校の漢文レベルで習う有名なものです。解説するほどでもないですが、巧言とは巧みな言葉、おべんちゃらぐらいで良いと思います。令色は愛想笑いぐらいで間違ってないと思います。つまり愛想笑いを浮かべながらおべんちゃらを言うような人に仁は少ないぐらいになります。

 仁の解釈が難しいところですが、孔子がもっとも重んじた道徳ぐらいになります。孔子は具体的に仁の定義をしていないようですが、深い人間愛に基づいた人を思いやる心ぐらいでしょうか。

 どうにも堅苦しい話で申し訳ないのですが、ネットの素晴らしいところで孔子は巧言令色を他にも使っている事がわかりました。

    巧言令色足恭 左丘明恥之 丘亦恥之
 巧言令色に足恭が新たに追加されています。足恭はそのまま読めば足を恭しくするぐらいですが、これは媚を売るぐらいに解釈するようです。

 左丘明とは孔子と同時代の賢人で孔子も尊敬していた人物として良さそうです。春秋左氏伝の作者ともされていますが、これについては論議があるようです。その左丘明が恥じるとまずしています。丘亦恥之の丘は孔子の名で、孔子もまたこれを恥じると続くことになります。

 大意としてはですから愛想笑いを浮かべ、おべんちゃらを言い、媚びへつらうような人は、あの賢者左丘明も恥とし、孔子もまた恥とするぐらいで良いと思います。

 なかなか使い回しが出来そうなフレーズで、とくに後半部分が他に応用が出来そうな気がしたのです。あれこれ捻くり倒していたのですが、ふと気が付きました。

    元のフレーズが有名じゃないとパロディにならない
 衒学趣味も難しいものです。