エミの青春:エミ

 「五番テーブルさん、サービスと御飯大盛り、かつ丼に豚汁、あがったよ」
 「は~い」

 ここは北六甲乗馬クラブ・レストラン。料理を作っているのはお母ちゃんで、エミはウエイトレス兼なんでも屋。とにかく時分どきは目が回るぐらい忙しいんだ。

 「エミちゃん、こっちは豚の生姜焼定食と、麻婆茄子、御飯大盛りで粕汁」
 「こっちは、ラーメン定食に餃子頼むで」
 「は~い」

 ホントはお母ちゃんと二人で切り盛りするには無理があるんだけど、

 「食器返しとくで」
 「台拭きはこっちやな」

 お客さんの協力もあって、なんとかこなしてる感じ、

 「エミ、こっちは・・・」
 「忙しいんだからお父ちゃんは後にして!」

 お父ちゃんは北六甲乗馬クラブの社長。胴長短足、田舎のオッサン顔、中年臭がプンプンしてるんだけど、とにかく働き者。だって、だって、北六甲乗馬クラブをその手一つで作り上げたようなものだもの。

 「エミ、意地悪しないでお父ちゃんの注文取ってあげなさい」
 「頼むは腹減って死にそうやねん」

 夫婦仲は円満なんてものじゃない。お父ちゃんは自分が愛妻家なのを隠しもしないし、お母ちゃんだってお父ちゃんに未だにベタ惚れがミエミエってぐらい。だってだよ、この歳になっても、

 「美千代はオレの恋女房や」
 「お父ちゃんと結婚出来て幸せ」

 恥ずかしげもなく人前で言うぐらい。こっちが照れくさくなるのよね。でもこんなに仲がイイのに子どもはエミ一人。

 「エミ、ごめんね」
 「あれは悪かったと思てる」

 全然そんなことないのよ。エミは難産だったみたいで、エミも危なかったんだって。でもそれ以上に危なかったのはお母ちゃん。それこそ生死の境を彷徨いつづけて、子宮まで取らざるを得なくなったんだ。母無し子になる一歩手前だったんだよ。

 エミが人並み以上に可愛いって言われるのは、お母ちゃんのお蔭。今でこそ肝っ玉母さんみたいになってるけど、エミが小さい時は夢見るぐらい素敵な人だったそう。写真が残ってるけど、たしかに綺麗。

 「そりゃ、甲陵倶楽部のウエイトレスの中でもピカイチやったから」
 「イヤですよ。それは言い過ぎ」

 い~や、全然言い過ぎだと思わない。そんなお母ちゃんに似れば、それなりの美人になっても不思議ないのだけど、

 「ホンマにエミはワシに似んで良かった」

 本音ではそう思ってるけど、あまりにも似なさすぎるんだよね。たしかにエミはお母ちゃんに似てるけど、瓜二つって訳じゃない。それはお父ちゃんの血が入ってるからのはずだけど、どこをどう見たってお父ちゃんの面影が見つからないんだ。

 「そんなことないで、働き者のとこなんてソックリや」
 「そうよ、そうよ」

 まあ、そうなんだけど、これは遺伝と言うより家庭環境。とにかくエミの家は貧乏だった。お父ちゃんも、お母ちゃんもフルタイムで働くだけじゃなくて、夜にはアルバイトもやってた。もちろん土曜も、日曜も、休日も無し。

 そうなると家の洗濯、掃除、買い物、はたまた食事の準備も小さいころからエミの担当。うちの家は働き者じゃなくちゃ生きていけないって感じかな。だから家族でお出かけの記憶も殆どないぐらい。そこまで貧乏だったのにある日、連れて行かれて見せられたのが馬、

 「エエ馬やろ」
 「あなた、やっとですね」
 「そうや、これでギャフンと言わせたるで」

 滅多にしない外食を家族でやったのもその日。とにかく、お父ちゃんもお母ちゃんも嬉しそうで、舞い上がるぐらいはしゃいでいたのを幼心に覚えてる。でも生活は馬を買ってからも全然ラクになる気配さえなかったんだよね。

 それから、しばらくしてエミが倒れたんだ。病院であれこれ検査してもらうと白血病。当時のエミにはピンと来なかったけど、お父ちゃんも、お母ちゃんも真っ暗な顔をしてた。

 「なんでやねん。なんでエミがこんな目に」
 「やっと、今からのところまで来てたのに・・・」

 エミは入院。これもとにかく大変なものだった。痛い、痛い検査、とにかく七転八倒するほど苦しい治療。これが何年も続いたんだよね。エミの髪は一本も無くなり、ガリガリの青白い顔になってた。

 この苦しい治療は、小学校に入っても続いたから、エミの小さなころの記憶は病院ばっかり。そんな最中だったけど、珍しくお父ちゃんとお母ちゃんが言い争いをしてたのが聞こえたんだ、

 「あなた、それだけはやめて下さい。私がなんとかしますから」
 「アホ言うな。お前が働けば、エミは病院で一人ぼっちになってまうやんか。馬なんかよりエミの方が一万倍大事や」

 そしたら、お母ちゃんが泣き崩れてしまって、

 「ゴメンナサイ、みんな私が悪いのです。私さえ我慢してれば、こんなことには・・・」
 「なに言うてるんや。お前はオレの恋女房。惚れに惚れぬいて結婚してるんや。お前が産んだエミはオレの娘や、宝物や」

 そこからも泣き崩れてしまったお母ちゃんを勇気づけるお父ちゃんの声が、切れ切れに聞こえて来たんだよ。しばらくしてから、

 「あのお馬さんに会いたいな」

 そしたらお母ちゃんは目に涙をいっぱい浮かべて、

 「元気なったらね・・・」

 幼心に二度と聞いてはならないものって気がしたのをよく覚えてる。そんな苦しい治療だったけど、やっとゴールが来た。あまりにも日常生活過ぎたから、これで終りと言われてもピンと来なかったぐらい。あの日のお父ちゃんとお母ちゃんも楽しげだった。

 「エミ、ようがんばった。さすがお母ちゃんの子や」
 「違いますよ、お父ちゃんの子だから頑張れたのです」

 その後も再発が怖い怖いと言いつづけられたみたいだけど、今も元気だよ。髪もちゃんと伸びたし、病院の先生にも、

 「もう九九・九%だいじょうぶ」

 こう言ってもらえたもの。それにしても医者って一〇〇%って意地でも言わないもんだ。ただし退院しても我が家は貧乏。お父ちゃんも、お母ちゃんも、それこそ二十四時間三百六十五日の勢いで働きに、働いてた。だから高校進学は言いにくかったんだ。

 「あのぉ、高校なんだけど」

 ここからも今から思えば奇妙な会話だった。

 「どこいくか決めたか。な~に、任せとけ、松蔭でも、親和でも、海星でもドンとこいや」
 「あなた、そこまでエミにしてもらうのは・・・」
 「なに寝言抜かしとるねん。エミにはちゃんとした高校に行って、ちゃんとした大学に行ってもらわなアカン」
 「そんなことをしたら、またあなたの夢が」
 「夢やったら、今から高校に入ってくれる」

 小林家定番のおカネの話でイイのだけどなんか気になった。でも当時は思いの外にアッサリ認めてもらえてうれしかったんだ。勉強はそれなりに出来たから無事県立校に入学できた。

 「エミはほんまにワシ似んで良かった。お父ちゃんは自慢やないけど勉強できんかったから。エミには大学まで行ってもらうで」

 制服着たエミを見て、お父ちゃんもお母ちゃんも本当に嬉しそうだった。二人の会話が聞こえて来たんだけど、

 「あなた、良かったのですか」
 「エエに決まってるやろ。それにしてもエミが高校生になるなんて夢みたいや」
 「ホントに感謝してます」
 「もうエミも高校生やで。いつまでも水臭すぎるぞ」

 どこか引っかかる気がしてた。