出典はトーマス・カーライルの衣装哲学で、
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Speech is silver, silence is golden.
ここでスノブなツッコミをしてみたいと思います。ある見解によると当時のイギリスでは金より銀の方が価値が高く、沈黙するより、雄弁である方が良かったがカーライルの元の言葉の意味であるし、後に金の方が価値が高くなり意味が逆転したとしています。
個人的にはあり得んだろうです。たしかに金や銀が見つかった当初は銀の方が価値が高い時代は存在します。これは金が砂金の様な自然金で見つかるのに対して、自然銀は少なかったからとされています。
ではそんな時代がいつであったかですが、BC3000年のエジプト第1・第2王朝頃のお話で金銀比価は1:0.4です。どうもエジプトでは銀があまり採れなかったようで、ツタンカーメン王で知られるBC1400のエジプト第18王朝の頃でも1:2ぐらいです。
ところがメソポタミアでは事情が変わります。ツタンカーメン王より遡ること400年前のハムラビ王で知られるバビロン第1王朝では1:9です。ずっと時代を下らせますが、ローマ初代皇帝アウグスツスは1:12.5にし、これは200年間維持されます。
どんどん時代を下らせますが、1712年のニュートン比価が1:15.21、フランスが1803年に鋳造法で定めたのが1:15.5です。その後は植民地からの金銀の大量流入があり、19世紀前半で1:12ぐらい、19世紀後半で1:15ぐらいで良いようです。
簡単に言えばカーライルの時代の4000年近く前から金は銀の10倍以上の価値があったわけであり、人々が目にしやすいものとして金貨と銀貨があったわけです。
カーライルは衣装哲学で有名な一節を書く時にスイスの碑文から引用したとなっていますが、これがカエサル時代のものであっても金は銀より10倍は価値があった事になります。
カーライルは衣装哲学を1833~1834年にフレーザー誌に連載し、1836年にボストン、1838年にイギリスで本として出版されています。ですからカーライルも、
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金 > 銀
もちろん自己主張をするなではないはずです。ベースとして放っておいても自己主張はバンバンされるので、不十分な知識しかない時は余計な口出しをしない勇気も必要ぐらいでしょうか。
現在の大きな問題は新興ウイルス感染の脅威です。とにかく未知のウイルスで、これへの対策はどの国も苦慮しています。泥縄式に得られた知見に基づいて動かざるを得ず、当然のように試行錯誤も起きます。
知見が泥縄式なのもネックで、ある時点でヨシとされた対策が、後になるとダメだったに変わることも容易にありえる情勢として良いかと見ています。これでも医者の端くれですが、安易に口を挟みにくいと感じています。
そういう点で一部の有識者と言うか、電波芸者志望者の方々の活躍を苦々しく思っています。