シノブの恋:新婚の愛梨

 愛梨と伊集院さんは結婚式を挙げたよ。シノブも呼ばれたけど、愛梨は綺麗だったな。それにホントに嬉しそうだった。新婚旅行から帰って来て、しばらくしてから愛梨に会ったんだ。せいぜい冷やかしてやるつもり。

 愛梨で気になってたのは、本当に恋人すら作った事がない点。異性の友だちさえ殆どいなくて、伊集院さんしかいなかったんじゃないかと思うほど。そうなると三十四歳までバージンだったことになるけど、まさかね。

    「うん、その、えっと、あの・・・初めて」

 ひぇぇぇ、まさかのまさかだった。あの愛梨が顔を真っ赤にしてた。でもさぁ、婚約してたし、婚約してから交際期間もあるじゃない。普通は最後まで行くよね。

    「なんか手を握って見つめ合うだけで満足しちゃって」

 中学生カップルだって、そこからキスぐらいまではやりそうなものだけど、なんとそこまでだって。こりゃ、コトリ先輩並のじれったい付き合いじゃない。そうなると、

    「ひょっとして式の時がファースト・キスだったとか」
    「うん。すっごい緊張してガチガチだった」

 シオリさんが星野君と結婚した時もファースト・キスを式まで取っていたけど、あれはあくまでも二代目の宿主だったから。シノブがまだバージンなのもそう。単に自分の男を少しでも喜ばせたいだけのもの。そうなると気になって来るのが、

    「スグルも愛梨と一緒でファースト・キッスだって。だから絶対に式の時にしようって」

 げげげ、伊集院さんも童貞だったんだ。そうなると初夜は、

    「それがね、あんな大変なものだと思わなかった」

 神崎工業の御令嬢と、日本の宝と言って良いぐらいの天才研究者の結婚式だから、そりゃ、盛大なものだったのだけど、さすがに式の夜は二人ともクタクタだったみたい。それでもって臨んだそうだけど、

    「スグルがね、途中からハネ・ムーンに行ってからにしようって、言ってくれたの」

 要はダメだったってこと。ハネ・ムーンに行ってからも毎晩頑張ったそうなんだけど、どうしてもダメで、

    「七日目の夜に二人で必死に頑張ったの。愛梨も死ぬ気で受け入れた」
    「痛かった?」
    「あんなに痛いものと思わなかった」

 七晩目でも愛梨はガチガチに緊張してたみたいだけど、なんとかちゃんと結ばれたぐらいかな。シーツがえらいことになったみたいだけど、

    「よくわかんないけど、スグルがすっごく感動してくれたんだ」

 そりゃ、するだろ。キスは初めてかどうかなんて信用するしかないけど、そんだけ痛がって、シーツにしっかり証拠を示せば、もう疑いようがないものね。でも、それだけ痛い目に遭えば、

    「懲りた?」
    「どうして懲りるの。スグルが愛梨を望んでるんだよ。痛いぐらいは気にもならないわ。受け入れられないぐらいなら愛梨は死を選ぶ」

 死を選ぶほど大層なものじゃないと思うけど、痛いのを我慢して受け入れ続けたみたい。

    「今は」
    「だいぶ慣れた」

 ここまで初心な処女と童貞のカップルじゃ、感じるまで時間がかかると思ったけど、このままじゃ、冷かしにならないから、

    「少しは感じた」

 そしたら愛梨は耳まで真っ赤にして、

    「妙なことが起ったの」

 愛梨が言うには体の芯から妙な感覚が湧き出して来たっていうのよね。

    「それって、自分でやった時の感覚に似てた?」
    「自分でって、何するの?」

 これも仰天しそうだったけど、愛梨はセルフでやったこともないそうなのよ。

    「その妙な感覚がドンドン強くなってきて、変になりそうだったの」
    「で、どうなったの」
    「これを感じ過ぎると、とっても恥しい姿を見られちゃうんじゃないかって、怖かったのよ」

 あのね。男とやってる時点で、どんな姿になってるかわかってるの。恥しいもクソもないでしょうが。でも言わんとするところはわからないでもないけど。

    「それでそれで」

 もう茹でダコのように真っ赤な愛梨は、

    「がんばったのよ。がんばる姿を見られるのも恥ずかしかったけど、その先のは、きっと死ぬほど恥しいに違いないって・・・」

 もしそうなったら、伊集院さんに軽蔑されると思い込んでたって言うから呆れた。

    「で、どうなったの」
    「その妙な感覚は、日が経つごとに大きくなっちゃうのよ。愛梨のプライドにかけて、なんとか凌いでたんだけど、あの時はもうどうしようも・・・」

 どうもだけど、感じ始めて三日目ぐらいには臨界点を越えてたで良さそう。でも愛梨は死に物狂いでもう二晩耐えてるんだよね。いくら知らないとはいえ、そこまで耐えるかよ。愛する旦那相手だよ、普通は大喜びでイッちゃうよ。

    「愛梨の体をなにか凄いものが通り抜けて行ったのよ。愛梨はこれで終わってしまったって涙が出たわ。絶対、スグルに嫌われたと思ったのよ。そしたらスグルは優しいの、そうなってしまった愛梨を心から喜んでくれたの」
 こら泣くな。そんなもの喜ぶに決まってるでしょう。イクのは女の喜びでもあるけど、男も女をイカせると満足するのは常識だろうが。そうやってお互いに楽しいところが一致するから、アレするのは面白いし熱中できるんじゃない。


 それにしても愛梨はウブなんてレベルじゃないね。いくらバージンだって、あの歳だよ。あそこまで知識が無いのが不思議過ぎる。中学生どころか、小学生並じゃないか。下手すりゃ小学生の方が知ってるぐらいだよ。

 どこをどう間違ったら、あんな女に育つのが今でも理解できないもの。どこぞのロイヤル・ファミリーの本物のお姫様でも、もうちょっと知ってるぞ。ありゃ、どうみても特別天然記念物級だよ。

 それとだけど、とにかく思い込んだら脇目も振らず命懸けなんだよな。プロポーズの時もいきなり突撃だし、結婚したらしたで、旦那ラブ以外はなんにも考えないのよね。イクのだって自分が気持ちイイかどうかなんて二の次で、

    「あの時に愛梨はわかったの。愛梨がああなるのをスグルはとっても喜ぶって。だから、スグルのために、必ずああならないといけないと努力してる」

 愛梨の関心は愛する旦那が喜ぶかどうかしかないのよね。

    「思うんだけど、一回であれだけ喜んでくれるのなら、もっと回数が増えた方が喜んでくれるはず。愛梨は必ずそうなってみせる。それがどんなに辛くて苦しくとも」

 勝手に体験してくれ。でもこの調子じゃ、次に会ったら連発の話を聞かされるよ。いや、それだけなく意識が吹っ飛ぶのも時間の問題だろうし。

    「それとアレって、夫婦なら毎晩やって普通だよね」

 お勝手にどうぞ。夫婦だから誰も文句言わないけど、結婚式以来ほぼ毎晩で良さそう。それとだよ、そこまでやってるのに、

    「脱がされる時って慣れないものね。ガチガチに緊張しちゃって、いつも震えちゃうのよ。みんなそうだよね」

 そんなわけないだろうが。これじゃあ、愛梨夫婦に倦怠期は当分来そうに無いよね。だってだよ、

    「スグルがね、愛梨と結婚出来て、こんなに幸せなことはないって、毎日言ってくれるの。こんな愛梨にだよ、もう毎日が夢のよう」

 これを目を真っ赤にしながら嗚咽しながらだよ。

    「スグルを幸せにするために愛梨は生まれて来たんだってわかったのよ。そのためにはなんだってする。だって愛梨をこんなに幸せにしてくれてるもの」

 それにしても、あの愛梨がここまで尽くし型とは意外だった。尽くし型って言っても半端じゃないのよ。かならず伊集院さんより早く帰り、三つ指ついて出迎えるって聞いて、シノブの目がシロクロしそうになったもの。いつの時代の話だよ、

    「でもね、でもね、どうしても早く帰れない日があって、これで離婚されると覚悟したのよ」

 されるわけないだろうが、

    「そしたら、スグルは気にもしないのよ。これだけの大失敗をした愛梨を叱りもしないのよ。こんなにやさしい旦那様だって感動しちゃって、もう大泣き。愛梨は世界一の幸せ者よ」
 たったこれだけのことで、感動されて大泣きされた方が、かえって困惑しそうな気がするよ。どこからどう見て、どう聞いたって、ごくごく普通の夫婦生活の一風景じゃない。そんなことで離婚騒動なんて考える方がおかしすぎる。

 朝だってそうみたいで、毎晩それだけ燃えあがっても、必ず伊集院さんより早く起きて、シャワー浴びて、完璧に身支度を整えて、朝食も準備万端整えて、伊集院さんが起きて来るのを、これもまた三つ指ついて待ってるんだってさ。

    「それがね、ある朝、致命的な大失態を犯してしまったのよ」

 なにが致命的よ、単に寝過ごしただけじゃない、

    「その上だよ、スグルが朝食の準備をしてくれてたんだよ。それを見た瞬間に目の前が真っ暗になったもの。もうどんなお詫びをしても許してくれるはずないじゃない」

 どこをどう考えたら、そう思い込むんだよ。

    「愛梨は茫然と立ち尽くしていたの。この世の終りを迎えた時ってこんな感じだと思ったわ」

 そんなもの誰も考えないよ。

    「そしたらね、
    『毎朝、愛梨に用意してもらってるから、これからは交代にしよう』
    これを聞いた時に驚きの余り気が遠くなったのよ。こんなに優しい人がこの世に存在するなんて今でも信じられない」
    「じゃあ、朝食準備は交代制になったの」

 この時の愛梨の目が怖かった。

    「愛梨を見くびらないでくれる。あんな不幸な目にスグルを遭わせるなんて二度とするものか。スグルを幸せにするのが、愛梨の喜び、愛梨の生きることのすべてなのよ」
 おいおい、たかが朝食の準備だぞ。早く起きた方が準備すりゃイイだけじゃないか、そりゃ、好き合ってたから結婚したんだけど、いくら新婚でも、よくここまで舞い上がられるもんだよ。

 一事が万事、すべてこの調子で夫婦生活やってるで良さそう。話の内容はグダグダのノロケなんだけど、それでいて近寄りがたいぐらいの気品はそのままだし、凛としたプライドの高さも変わらないのよ。

 そんな愛梨にここまで一心不乱に旦那ラブされたら、どんな男だってメロメロになるんじゃないかな。難点は、ちょっとどころやなく過剰すぎるところで、そこだけ心配しとく。だってさ、もし伊集院さんがちょっとでも不機嫌そうな顔をしたら、愛梨は首吊りかねないものね。

 それと家に誘われたけどやめといた。伊集院さんと顔合わすのは躊躇いがあるのが一番だけど、本音はどれだけ見せつけられるかわかったもんじゃないってところ。今日は御馳走様でした。なんかこっちが冷かされた気分。