シノブの恋:平家の逃げた日

 伊集院さんに三度目に逢ったのは三週間もしてからになっちゃった。さすがは勤務医、忙しそう。その日はシノブが先に着いてたんだけど、

    「ゴメンナサイ、ちょっと遅れる」

 しかたがないからマンハッタン飲んで待ってたら、

    『カランカラン』

 やっと来てくれた。顔じゅうに申し訳ないって書いてあるようなもんだから、笑って許してあげた。シノブも頑張って予習したから、まずはお手並み拝見としよう。なんか、歴研との討論会を思い出すけど、あの時より気合入ってるよ。

    「論点は色々あるけど、結崎さんが興味を持ちそうなところから始めよう」

 ドンと来いだ・・・でもないけど。

    「ボクの仮説のポイントにもなるのだけど、富士川の合戦、とくに平家が退却したのはいつかなんだ」
    「それは十月二十日の夜だったはずですけど」

 伊集院さんはダークラムのロックを飲んでます。

    「結崎さんは平家物語を読んだことがありますか?」
    「はい」
    「どの平家物語を」
    「延慶本です」

 伊集院さんは意表を衝かれたようで、

    「読んだのですか。こりゃ、本格的だ」

 悪戦苦闘の末でなんとかレベルなのは黙っておこう。

    「あそこには十月二十四日の夜となってます」

 そう言われれば、そうだった。

    「でも吾妻鏡には十月二十日の夜と」

 またビックリしたような顔をされて、

    「吾妻鏡まで・・・」
    「読み下し文だけですけど」

 漢文も読んだけど手強いったらありゃしない。

    「吾妻鏡は正史に近いようなものだから、通説ではそっちを取るのが一般的かな」
    「じゃあ、実は延慶本の十月二十四日だったとか」

 伊集院さん、なにか嬉しそう。

    「ボクも十月二十四日は否定してる。吾妻鏡では十月二十三日には頼朝は相模国府に帰ってるってなってるんだ」
    「でも吾妻鏡も編集が多いとなってますが」

 伊集院さんはますます興味深い顔になって、

    「その通りだよ。だから、どこが史実で、どこが脚色かを見分けなきゃいけないんだけど、頼朝はその日に論功褒賞をやったとなってるんだ。ああいうものは日付が入るから、十月二十三日に頼朝が相模国府に居た可能性は高いと見てる」

 なるほど! そう読むのか。たしか吾妻鏡を編纂する時に平家物語も参考にしたってなってるけど、延慶本の二十四日を否定してまで二十日説を取ってるのがポイントみたい。

    「では吾妻鏡の十月二十日が正解」
    「そうでないと見てる。そこに吾妻鏡の編集が入ってると見てるんだ」

 伊集院さんは吾妻鏡の十月十九日の記事に注目してた。

    「この日は頼朝にとっても重要な日であったと見ても良いと考えてる。伊東祐親の詮議だからね」
 伊東祐親は南伊豆が地盤の豪族で、頼朝が蛭が小島に流された時に、まず親交を持とうとしたんだ。具体的には祐親の娘の八重姫を口説き落として千鶴丸まで産ましてるんだよ。これを知った祐親は怒りまくり、千鶴丸を殺して二人の仲を引き裂いちゃったんだ、

 吾妻鏡でも記述が長いのは、この詮議が当時の頼朝にとっても重要な出来事であるのを示唆していると伊集院さんは指摘してる。

    「言い方を変えると、吾妻鏡編纂時でもこの日は有名で手が付けられなかったと見てる」

 さらにその日の記述に移動した様子は窺えないのも同意。そうなると、

    「頼朝は黄瀬川に居たことになる」

 他に読みようがないものね。

    「そうなると翌朝に頼朝は富士川に出陣になりますね」
    「吾妻鏡ではそうなってるけど、玉葉って知ってるかい」
    「九条兼実の日記ですね」
    「ブラボー、そこまで読んでるとは感心した」

 読んでると言われると恥しいけど、漢字の行列と格闘中。

    「あれは面白い記録なんだよ」
    「どこがですか?」
    「あれは負けた平家の報告の記録なんだ」

 九条兼実は当時の右大臣。言うまでもなく朝廷の重職。平家全盛、院政の時代とはいえ公式報告を聞ける立場にある人物なんだ。九条兼実が玉葉に記したのは、負けた平家の維盛以下の釈明をダイレクトに記録してるってこと。

    「そこにはかなり詳しい平家軍の動きが記されてるけど、負けた平家軍の釈明の中心は何になると思う」
    「戦わずに逃げて帰ったから、相手がムチャクチャ強かったぐらいですね」
    「その通り。日付まで誤魔化す必要性は乏しいと考えてる」

 なるほど、なるほど。日付を変えても釈明として意味が少ないものね。

    「玉葉によると平家軍は十月十八日に富士川に進出して仮屋を建てたとなってる。要は陣地で良いと思うけど、十月十九日に決戦と決めて配下に指示を出したとなってるんだ」

 平家軍の士気は低かったみたいで、この決戦の指示を聞いて相次いで脱走が起ったとなってる。玉葉の記述では夜が明けると半分以下になってるとしてる。

    「この状態を見て、副将の伊藤忠清は撤退を御大将の維盛に進言するんだよ」

 伊藤忠清もタダ者じゃない。歴戦の強者で、当時の名将の一人に数えても良いぐらいだって。

    「で、いつ撤退したのですか」
    「それが書いていない。でもね、十九日の時点で決戦は無理と判断したのなら、その夜に撤退するのが戦術の常識だと見てる」

 そりゃ、そうよね。互角なら睨みあいもありだけど、勝てそうにないのならトットと逃げるしかないもの。

    「それが十月二十日の夜まで居残るのは不自然だと思うんだ。平家軍は十月十九日の夜に撤退したと考えてる」

 なるほどね、

    「でも維盛は撤退を渋ったとなってましたけど」
    「そりゃ、そうだ。御大将は逃げたらダメななんだよ」

 当時の源平武者の気風だそうで、混成軍の求心力である御大将は逃げたら一遍に信用を落とすそうなの。討死しても戦い抜く姿勢を見せなきゃならいんだって。だから、逃げたい時でも、口では強がりを言い、気の利いた郎党とか無理やり退かせるのが形みたいなものだって。

    「維盛が十月二十日まで撤退を渋った可能性はどうでしょう」
    「鋭いね。でも、維盛ってそこまで勇将じゃないよ。玉葉の記録にはそうなってるけど、そういう状況なら忠清が進言したら、すぐに乗ったぐらいだと考えてる。そうじゃなきゃ、無理やりにでも十九日の朝に予定通り決戦を挑んでるよ。挑まなかった時点で撤退しか選択肢はないと見るのが妥当と考えてる」

 そっか、玉葉の記録で怪しいのは、そういう点か。十月十九日撤退説もかなり有力な気がしてきた。ん、ん、ん、もしかして伊集院さんの本当の狙いは、

    「もし平家軍が十月十九日の夜に撤退してたら、頼朝は富士川の合戦に参加していないじゃないですか」
    「そういうことになる。これをこれから、検証していきたいんだ」

 これが歴史ムックか。なんかワクワクしてきた。コトリ先輩も山本先生とムックを重ねた末に、面白い見解にたどり着いてたと言ってた。きっとこんな感じでやってたんだ。こんなのにはまると、ミーハー歴女なんてやってられないよ。

    「結崎さん、おもしろかった?」
    「ええ、とっても。まさか頼朝が富士川の合戦に不在の可能性があるなんて夢にも思いませんでした」
    「また続きを一緒にして頂いてよろしいですか」
    「喜んで」
 なんとか、この話に付いて行くんだ。いや、付いて行きたい。なんか、漢字の大軍との戦いにファイトが湧いてきた。その戦いの向こうにロマンスがきっとあるはず。