ウチがエレギオンの首座の女神であるのにどんな意味かを思い出してる時に、途轍もない大事件が起こったのよ。その夜も救命救急当直やってたんだけど、交通事故の搬送依頼があったの。クルマとスクーターの衝突事故って触れ込み。よくある話だけど被害者の男性の名前を聞いてウチはハッキリ言って動揺した。
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『ヤマモトカズオ』
そこからは必死だった。状態が良くないのは見ただけでわかった、次々上がってくる検査データも予想の悪い方、いや最悪の方に出るばっかり。とにかく時間との勝負、たぶんウチは鬼の形相になっていたと思う。頭の中に必要な処置が駆け巡る。
急がなければならいことが並行してあり、どれも猶予できない状態。ウチはあらん限りのスピードで処置を行った。一つでもミスったらカズ坊は死ぬ。カズ坊の命はすべてウチの手に委ねられてるのと同じ。でも一つ処置すれば他が悪くなり、そこをなんとかするとまた別のところに問題が出てくる。救命救急では良くある事とはいえ、これほどの綱渡りをさせられる事は滅多にないぐらいやった。
処置室で悪戦苦闘を重ね、なんとか死ななかった。正直に言って辛うじて死ななかっただけ。ICU移送中に
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「木村先生、主治医は?」
センターの人数も増えて来てたので、入院患者の担当は程度に応じて他の医師に振ることが多かったの。ウチだって若手のはずやけど、部長だし、センター長だからね。
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「わたしがする。それと山川先生と倉木先生呼び出して」
二人が駆けつけて来ると、
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「外来は当分しないから穴埋め考えといて。今持ってる入院患者も二人で割り振って」
「部長は」
「この患者に専念する」
なにか言いかけた二人を睨んで黙らせた。ウチはカズ坊のベッドサイドに付き切りになった。すべてのモニター、あらゆるバイタルに全神経を集中させた。どんな微細な変化さえ見逃す気なんかなかった。カズ坊はウチの患者、誰にも任せたくない、誰にも指一本触れさせたくなかったの。
でもウチがどんなに頑張っても状態は不安定。考えられるだけの手立てを尽くしても、一歩一歩後退させられるようにしか思えへんのよ。何度かの危機を乗り越えたけど、それでも状態は一向に良くなる兆しを見せなかったの。ウチは歯ぎしりしてた、ウチが今まで身に付けてきた技術、いやウチが生きてきたすべては、この一瞬一瞬のためにあるはずなのに、カズ坊は遠くに逃げようとしている。
少しでも小康状態の時はカズ坊の手を握ってた。思えば最後にカズ坊の手を握ったのは高三のクリスマス・プレゼントをもらった時。ウチももう三十一歳だから十三年前になる。どうしてこんな形でしか手を握れないのよ。せっかく巡り合えたのに。あれからもずっとカズ坊の事だけを想ってた。他の男なんか興味も湧かんかった。
なにがあっても死なせるもんか。カズ坊が困ってる時にはウチは助けたるって決めてるの。それが報われなくたってイイ、それでカズ坊がちょっとでも幸せになってくれたらウチは満足やってん。あのカズ坊の笑い顔、カズ坊の冗談、それが見て聞けるだけでウチは幸せやってん。
アカン、また心拍が落ちてくる、血圧もや。ダメなのか、ウチがこれだけ手を尽くしてもカズ坊は行ってしまうと言うの。行かせるものか、ウチが悪魔と取引してでもカズ坊は救う。ウチが救えなくて誰が救えると言うんや。ウチは絶叫した。
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「カズ坊、ウチの目の前でくたばったらタダじゃおかへんからな」
状態はようやく安定してくれたが、意識が戻らへん。メット被っとったから脳へのダメージはマシのはずやしCTでも異常は見られてへんのよ。ただ、ここまでたどり着くまでの間のダメージは無いとは言えん。それともウチが何か見落としてるとか。いや、そんなはずが・・・もう祈るしかあらへん。もしウチに見落としがあっても手遅れや。ウチはひたすら祈った。祈って祈って祈りまくった。
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「神様、どうかウチの命と引き換えにカズ坊を助けて下さい」
そして十日目を過ぎた頃、
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「なんでユッキーがこんなとこにおるんや。また席替え一緒か」
ウチは、ウチは、ウチは、
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「なに抜かしとんのやカズ坊。その体、よう見てみい。仮装行列の準備に決まっとるやろ」
「そっか、なるほど、フランケンシュタインか」