氷姫の恋:加賀教授

 二年目になっても仕事は相変わらずやったけど、ウチの医局での地位は特殊なものになっていた。経歴上は二年目の研修医やねんけど、救命救急科内の実力では赤城准教授に匹敵するかそれ以上の評価が定着していた。赤城准教授に言わせると、

    「教授のムチャクチャな指導に耐えただけやなく、あっさり全部吸収してしまった化物を初めて見た。オレは教授の指導に生き残ったのが自慢やったけど、毎日『今日は辞めよう』しか頭の中になかったからな。世の中には信じられん奴がおる」
 研修医が怒鳴られるのは救命救急ってところでは日常風景みたいなもの。教授はウチを一度も怒鳴らなかったけど、赤城准教授の言葉に言わせれば、
    「教授があれだけ穏やかに研修医、いや医者の指導をしているのを初めて見た」
 赤城准教授や先輩研修医から聞いた話では、教授が一度見せたものを出来なかったらかなり不機嫌になるそうなのよ。たとえそれがどんなに難しい手技や治療法でもそう。一度見ただけで出来たら誰も苦労しないと思うけど、それこそ救命救急室がピリピリになるぐらい不機嫌になるそうなの。

 これが二回目になると足で蹴られたり、メスが飛んでくるなんて当たり前で、赤城准教授は自分の顔の傷跡を名誉の負傷って自慢されるぐらい。これが三回目になると・・・赤城准教授は五回目までやったそうだけど、

    『これでオレは殺される』
 そう覚悟したって言ってた。それでいて出来ないことを『出来る』と言うのは極度に嫌いで、治療するに当たって自分の出来ないことを気づかないのは平然と、
    『人殺し』
 これをもっと酷い表現で罵り倒すみたい。赤城准教授が指導してもらった時は、既に一人前になってからだったそうだけど、それでも毎日が針の筵状態というかシンプルに地獄の日々だったと言ってた。一人前状態でもそうだから、一年目の研修医がこれをやられたら全滅状態になるのはある意味当然かも。ほんじゃあ、指導が嫌いかといえば、むしろ大好きな方。赤城准教授も入局者に逃げられたくないから、
    『ボクが指導します』
 こう言うそうだけど教授は、とにかく指導をやりたがる。仕方がないから入局者でも居なくなっても良さそうなのに教授の指導を譲るって方針にしてたみたい。つまりウチは要らない方に分類されてたの。加賀教授の隠れた呼び名は、
    『研修医潰し』
 加賀教授の方針は一年で良くわかったけど、とにかく実力至上主義。能力のある者は経験年数に関係なく認め、無能な者はアッサリ見捨てるってところ。伸びるものはトコトン伸ばすけど、伸びない者は路傍のガラクタみたいに見るところがあるの。それこそ肩書とか経歴とか経験年数なんて加賀教授にすれば、これマジで言いだしそうなんだけど、
    『それは食べられるのか』
 こんな感じで、教授の目に見えているのは、目の前の医者がどれだけ出来るかだけが評価のすべてみたいなところがあるのよねぇ。だから准教授であろうが一年目の研修医であってもそこしか評価しない。もっとも同じ調子で指導もするから、研修医は悉く潰されちゃうってところかな。ツボがわかればわかりやすい人だけど、教授に付いて行くのは並大抵の覚悟じゃ勤まらないのだけはよくわかった。

 そんな教授の指導に生き残ったウチの評価は教授はもちろんやけど、准教授にも高い。いや高いなんてものやない。最後のところの実感にどうしても乏しいんやけど准教授は、

    「オレが知る限り、一年目の研修医で生き残れたのは木村先生だけやと思う」
 どれだけ研修医を潰してたかってあきれるぐらい。そんな准教授も教授の薫陶を受けているから、教授ほどではないけど実力至上主義。違いは、教授は抜身のダンビラを振り回すタイプだけど、准教授はかなりマイルド。つうか准教授があれぐらいフォローしないと医局に誰もいなくなるかもしんない。そんな准教授がボソッとウチに言ったのよ。
    「教授に認められるのは凄いことやけど、教授は使えるとなったら情け容赦なくなるから頑張りなさい」
 それは一年でよくわかったつもり。
    「ただね、教授は情け容赦ないのはたしかだけど、あれで深情けなんだよ。理解するのは大変だと思うけど、そのうちわかる日が来ると思う。どっちかというと深情け過ぎるぐらいだと思ってる」
 教授の深情け? そんなものあるのやろか。あったとしても、なんか明後日のトンデモ深情けの気しかしないけど、救命救急科に入ってもたし、教授の命令に従わなアカンから、なるようにしかならへんし。