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「おはよう由紀恵さん」
実母はウチが四歳の時に妊娠中に急死した。その二年後に実父は再婚した。あれは小学校に上がる前だったはずだけど、その前から家に我が物顔で出入りしていた女だった。実父は、
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「今日から新しいお母さんだ」
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「無駄飯食い」
友だちなど出来ようもなく、イジメのターゲットになりそうだったが、ウチには武器があった。理由はわからないんだが、ウチが睨むと誰もが目の前からいなくなる。これはクラスメートだけでなく教師だってそうだし、鬼継母でさえそう。それでも手を出すのがいたけど、怪我したり、病気になって入院とかになぜかなってた。いつしか学校でも完全に敬遠され、近づく者さえいなくっていった。
転機が来たのはウチが六年生の時。実父と継母が夜逃げした。夜逃げするぐらいだから、親戚中に迷惑をかけ倒しており、事実上の絶縁状態。取り残されたウチはとりあえず警察に保護された。そこに唯一駆けつけて来てくれたのが伯父夫婦。
伯父夫婦にも実父は散々迷惑をかけ倒していたみたいだけど、ウチは可愛がってくれていた。もっとも継母が来てからは交流がなかったんだけど、ウチが取り残されたと聞いて来てくれたみたい、そこで言ったんだ、
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「由紀恵さんはうちが引き取ります」
伯父夫婦はウチを見て驚いてた。話しかけても、何をしても完全な無表情。ウチも伯父夫婦と言いながら小学校に入ってから会ってないので、ウチをイジメる相手が変わったぐらいにしか思ってなかった。でも伯父夫婦は真剣だった。ウチを元に戻すのを目標としたと思ってる。
でも小学六年間に身についてしまった習慣がすぐに変わる訳もなく、中学に入っても無表情のままだった。無表情は単に笑わないとか、喜ばないだけじゃなく、怒りや、不機嫌さえ出ないもの。会話だって必要最低限。一言も口を利かない日なんて珍しくも何もなかった。そんなウチに付いたあだ名が、
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『氷姫』
伯父は高校教師だった。学校では謹厳実直な強面の教育者だと聞いたことがあるが、家では大げさなぐらい笑ったり、喜んだりしてた。伯母も一緒になってそうしてた。そして口癖のように、
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「由紀恵さんが笑ったり、喜んだり出来ない分は伯父さん夫婦が代わりにやってあげる」
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『鬱陶しい』
そんな入学以来、完全に無表情だったウチが不機嫌そうな顔をしたのは、担任教師にとっても、伯父夫婦にとっても大事件扱いになった。家へ帰るとなぜか赤飯と尾頭付きで、伯父夫婦は涙を流して喜んでいた。
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「由紀恵さんに表情が出るなんて、これほど目出度いことはない」
この読めば覚えてしまう能力は、成長と共に加速し、中学の頃には一週間もあればすべての教科書を空で言えるようになった。英和辞書も、古語辞典も、広辞苑も、現代用語の基礎知識もこの調子で覚え込んでしまった。伯父は読書家だったのでかなりの蔵書があったが、三年間でほとんど覚えてしまった。
伯父は教育者だったのであれこれと本とか、参考書とか、問題集とかを買い与えてくれたが途中から、
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「不要」
選んだのは明文館高校。理由は家から一番近いから。ただ伯父は珍しく難しい顔をした。伯父は高校教師をしてるから明文館高校を良く知っており、
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「あそこの校風は特殊すぎる。由紀恵さんに合うかどうかに自信がない」
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「校風なんて私には無関係」
もちろん合格したけど、伯父夫婦はまたもや異様なぐらい喜んでくれた。制服はセーラー服でエンジのリボン。これが出来上がった時には無理やり着せられて、
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「由紀恵さんは由紀子さん譲りの美人や」
「ホント、由紀子さんが生きてられたら、どんなに喜ばれたことか」
小学校の頃から、ずっと思ってたのはウチってつくづく不要な人間だと。誰からも邪魔者にされて、居場所と言うものがなかった。伯父夫婦はウチがいても嫌がらないようだけど、別にいなくても構わなかったはず。なんのために自分が存在しているのかわからなかった。
それでも伯父夫婦がウチに親身になっているのだけはわかる。伯父夫婦はウチの進学を楽しみにしているのもわかる。だから高校には行く。ただ高校に行ったところで、ウチが変わるはずもなく、またイジメのターゲットにされ、これを睨んで追っ払い、ひたすら時間だけ過ごす場所なるだけ。またあれをやりに行くだけ。何か意味があるのだろうか。