アングマール戦記:宿主代わりと孤児対策

 ハムノン高原都市を放棄したのはまだアングマール軍を駆逐するほどの戦力がなかったのも理由だけど、コトリの宿主の寿命も迫っとったんもあってん。宿主代わりも何十回もやってるうちにわかってきた点も多いんやけど、まず死期がわかるようになるねん。だいたい五年前ぐらいからかな。

 死期は近づけば近づくほど正確にわかるようになるんやけど、だいたい一年か半年ぐらい前から宿主を移れる能力が出て来るって感じ。それでね、新しい宿主に乗り移るんだけど、乗り移った瞬間に前の宿主も死んじゃうの。これは何回見てもエエ気はせんかった。

 女神って死ぬまで若々しいというか、自分の好きな年齢の容貌や容姿にしておけるんやけど、女神がいなくなれば元の人の年齢相応、いやそれ以上になっちゃうの。簡単にいうと老婆になっちゃうの。この辺はわからんところもいっぱい残ってるけど、女神の能力で若くしている部分が長いほど反動も大きい気がしてる。

 もう一つ、宿主代わりをやればやるほど感じてるんだけど、乗り移った宿主は体こそ残るものの、意識もなにも残らないのよ。まるで頭の中だけ入れ替えた感じ。どうにもこうにも、体ごと乗っ取ってるって罪悪感がどうしても積み重なっちゃうの。まるで寄生虫みたいって、いっつも思ってる。

 乗り移れるのはたぶんだけど見えてる範囲だけ。それ以外、やったことがないから本当のところはわかんないけど、ユッキーもそんな感じって言ってた。乗り移れる宿主は女しかやってないけど、男に乗り移れるかどうかはわかんない。ユッキーは人であれば男でも女でも出来るんじゃないかと言ってたけど、コトリは試す気にもならんかった。

 だからゲラスで魔王に敗れた時に、このまま殺されたらどうなるかは興味があったの。寿命と違ってアクシデントみたいな死に方だから、このまま神も死んでくれるんじゃないかって。でも、今から思えば男に乗り移れてしまったら、そのまま男として宿主が死ぬまで暮らさんとアカンかったから、生き残れて良かったとは思ってる。

 とりあえず女であれば誰でも新しい宿主に出来るんだけど、結果として宿主の体を奪ってしまうことになるから、出来るだけ被害の少ないのを相手に選ぶようにしてる。だって、自分の娘がある日突然、完全に別の人格に変わったら親御さんが悲しむやんか。

 それにしてもコトリは宿主代わりが憂鬱やった。そやから宿主代わりをしてから何年かは不安定に必ずなってまうねん。平穏な時代やったら、三年ぐらいはフルタイム勤務は免除にしてもらってた。そんなことをすればユッキーの負担が大きくなるんやけど、

    「恒例行事だから、付き合うよ」
 こう言ってくれて、毎回あれこれ世話焼いてくれたのは感謝してる。ユッキーだってコトリほどじゃないけど多少はあるから、その時はコトリはユッキーに張り切って付き合ってる。お互い様のところはあるけど、借りはコトリの方が明らかに多いのは間違いない。

 ハムノン高原からあの時点でエレギオンに戻ったのは、宿主代わりの時期が迫ってたのもあったのと、宿主が代わった後にコトリの不安定期が来るからなの。つまりは役立たずになるってことなの。そうなれば外征軍は人の将軍に委ねなきゃならないんだけど、かつてのセカみたいな人材がそうそう転がってないのよねぇ。

 ましてや相手はアングマールの魔王。コトリやユッキーが立ち向かっても勝てないかもしれない相手じゃない。セカがいたって危ないと思うのよ。そうなると野外決戦は避けたいのが基本方針にせざるを得ないのよ。

 ハムノン平原とエルグ平原をつなぐ道は実質のところシャウスの道だけだから、その入り口のシャウスを固く守ってコトリが復活するまでの時間を稼ぎたいのが狙いでもあったの。その間に、高原五都市からの移住者を軍団兵に育て上げれば、戦力的にアングマールに並ぶことも不可能じゃないぐらいの目論見。

 もっともシャウスを守り切れるかどうかは未知数。アングマール軍は精強だし、軍事技術は優れているし、その上に魔王の神の力が加わるの。シャウスは突破されて、エレギオンも包囲下に置かれる可能性は十分にあると考えて準備してる。ユッキーの方針はコトリ不在もあるから、

    「余力を残して籠城戦に入る」
 包囲戦に持ち込まれれば土壇場もいいところだけど、なんとか凌ぎぎって、反攻に持ち込みたいのが最終戦略。とにかく魔王が率いる軍団と野外決戦をするには戦力不足は確実ってところなの。


 さて宿主代わりだけど、せめてもってことで目一杯利用してた。エレギオン時代は施療院附属の孤児院から原則として選ぶことになってた。これは同時に孤児対策やってん。当時は孤児も多かったし、コトリは孤児救済に力を入れてた。孤児救済いうてもあれこれあるんやけど、コトリは救済と言うより、孤児優遇ぐらいにしたかってん。

 エレギオンではコトリの考え方もあって身分制はなるべく少なくしてた。奴隷身分を廃止したのもその一端。でも貴族もいたし、庶民でも家柄とか、出自とか、貧富の差でいくらでも身分差はあったし、どうしたって重たかったの。それを言えばコトリなんて女神やから身分制の頂点みたいなもの。一方で孤児は身分も扱いも低かってん。

 そんな孤児を優遇するには身分を付けな仕方ないんやけど、女神の宿主に選ばれると言うのはエレギオンでは憧れになっててん。この辺は内から見るのと、外から見るのとのギャップやけど、あえて流しとった。それで孤児院から女神の宿主が選ばれる点を利用して、孤児には女神に相応しい教養と振舞を教え込ませるようにしてん。

 実はというほどやないけど、コトリからしたらどうでも良いものやねん、そりゃ、意識ごと入れ替わるようなものやから、宿主に教養があろうと無かろうと関係ないねんけど、世間的には『絶対必要』と信じ込んでくれてたし、孤児たちも女神を目指すのがモチベーションになって頑張ってくれた。騙してるようなものやけど、これがミソやってん。

 女神は死期を悟ると宿主選びに入るんやけど、あれも見た瞬間にだいたいホンマは決まっててん。つうか誰でも良かってん。これは段々にわかってきた部分が多いんやけど、宿主の容貌も容姿もどうにでも出来るんよ。だから誰に宿ろうと、やろうと思えば同じコトリに出来てしまうの。でもね、そう出来るのと、初代コトリに似た宿主を選んでしまうのと、ちょっと話は別ぐらいに思てね。

 宿主選考は平穏な時なら一年以上かけて、段々に絞り込むシステムにしてた。一次選考、二次選考・・・最終選考って段取り。最終選考でも五人ぐらいは残してた。選ばれるのは一人やねんけど、選ばれへんかった候補はすごい値打ちがついたの。値打ちって嫌な言い方かもしれんけど、女神の宿主候補者はエレギオンの男の憧れになったってところ。

 最終選考に残ろうものなら、それこそ奪い合い。一次選考で落ちた者でも良縁に確実に恵まれたぐらい。主女神は記憶を受け継がへんから除くけど、女神も四人おるから候補者は量産されるやん。それだけやなくて、常に孤児院では宿主候補を養成しているように思ってくれたから、孤児院出身者は低く見られないどころか、エレギオンではそれだけで別格の身分扱いになってくれたの。

 孤児の女の子はそうなったけど、男の子はどうなったかって。これも時代で男尊女卑なのよね。女神ですら舐められることがあったぐらい。だからコトリは孤児の女の子の救済に力を入れてたんだけど、男の子もそれなりに考えてた。基本は適性にあわせてやけど、孤児出身の女の子が別格扱いなってくれたから、男の子もそれほどは低くは見られなくまずなってた。それと、これは政治の都合もあったけど、士官養成所にも勧めてた。

 士官養成所については微妙過ぎるところがあって、あそこって当初は不人気だったから孤児が進むと余計に不人気に輪をかける部分があったのよ。一時は孤児の男の子の受け皿みたいに思われたこともあったぐらい。それがユッキーの貴族の士官化政策から流れが変わって、孤児から士官になるのは立派な仕事の一つになったぐらいかな。そやから、貴族出身の士官に負けんような教養と振舞を教え込んでる。

 そうそう孤児の男の子の優遇策として、エレギオン男の最高の栄誉となってた女神の男に選ぶのは手段としてありやったけど、それだけはようせんかった。孤児の男の子が女神の男に選ばれる事もあったけど、そこからだけしか選べないのはコトリでも嫌だったの。これはユッキーでさえそうだった。

 永遠に続きそうな記憶の中で恋愛ぐらいは女神の楽しみとして捨てることは出来なかったぐらい。ありゃ、楽しみやなくて生きがいそのものやもんね。とくにユッキーとコトリは子どもが産めなかったから、なおさらってところがあったもの。コトリも他人のことは言えないけど、ユッキーだって恋愛も男も好きだもんね。三座や四座の女神だってそう。

 時々思うんだけど、コトリもユッキーも女神にされちゃって、女神の能力を活かしながら政治や軍事までやってるけど、そんなものがなければ、もっと、もっと素晴らしい人生を送れるんじゃないかと思ってる。コトリとユッキーの場合は、そもそも主女神を護持する目的で作られたから文句も言いにくいところがあるんだけど、元からの女神で、女神の能力を適当に使いながら楽しく暮らせないものだろうかって。

 でも無理になってるのよね。理由は不明やけど、神同士の仲はとにかく悪いんのよこれが。とにかく鉢合わせすれば殺し合いになるんだよ。魔王より前に現れた神もいたけど、ことごとく殺し合いになっちゃったもの。それもさぁ、わざわざエレギオンに女神がいるのを聞いて挑戦して来るんだよ。信じられへんわ。

 コトリとユッキーで全部返り討ちにしたし、そうしたから生き残ってるんだけど、どうにも女神というか神やってる限り、そういう宿命が付いて回る感じ。どうにも神の能力と平穏無事な人生は並立しない仕組みになってると思えちゃうもの。

 たぶんだけど魔王がエレギオンに執着するのはズダン峠でお隣さんってのもあるけど、エレギオンに女神がいるってのが最大の理由の気がしてる。だからサバイバルをかけての全面戦争。中途半端な形で和平なんて望んでも望めないだろうなぁ。

 てなわけでコトリの宿主代わりが起ったんだけど、不安定やったけど休む間なんてほとんどなかったわ。