アングマール戦記:馬の女神

 ユッキーから相談があるって、

    「・・・ユッキー、馬に乗るって戦車のこと?」
    「あれは馬が引っ張る車に乗るものだけど、そうじゃなくて直接馬の背にまたがるの」
    「馬にまたがったところで、人が乗ればそんなに走らへんやん」
    「う~ん、報告では馬も大きいみたい。そんな部隊がファランクスの側面に回り込んだり、背後を取って攻撃するらしいのよ」
 エレギオンにも農耕用や運搬用の荷車を曳く馬はおってんけど、小さくて、今のポニーぐらいのもの。ただユッキーの話によると馬の背まで百二十センチかもっと大きいものがいて、これにまたがって攻撃してくるみたい。
    「またがる言うても、振り落とされるんちゃうの」
    「そこはどうなってるかわかんないの」
 これだけの情報で『なんとかしろ』ってのも無理があるんやけど、アングマールにはそういう騎馬部隊がいるとなれば対策を考えなあかんやんか。どこから手を付けようかと思ったけど、とにもかくにも、そんなにデカい馬がホンマにおるかどうかから始めたの。そしたらいるらしいのよね、エライ高かったけど買うてこさせた。
    「デカいねぇ・・・」
 初めて見た時に馬の化物かと思た。あんなものにまたがって振り落とされたら、大怪我するか下手すりゃ死ぬとしか思えんかったけど、とにかく部隊として編成するんやから数いるやんか。もう何頭か買おうてきて繁殖はとりあえずスタートさせたわ。それでさぁ、馬って食うのよね。デカけりゃ、その分だけゴッツイ食うのよこれが。繁殖代はかなり文句言われたん覚えてる。

 文句言われた理由は、乗り方がサッパリわからんかったからやねん。エレギオンでも牛にまたがったり、小馬にまたがることもあるにはあったけど、あれはあくまでも牛や馬がゆっくり歩くのが前提なの。でも戦争に使うんやったら走らなアカンやんか。走る馬、それも化物みたいな馬となると途方に暮れたってところ。

 とりあえず小馬にまたがって走らせてみたんやけど、みんな落馬した。そりゃ、するよね。馬が走れば背中は上下に揺れるし、左右にだって揺れるもの。それと走り出したら、みんな必死になって馬の首にしがみつくんやけど、戦争に使うんやったら、あれじゃ役に立たへんのもわかるのよ。手は手綱を握ったり、武器を持つために使わんと話にならへんやん。なんちゅうか、馬がゆっくり歩く時の姿勢で、走る時にも安定してまたがれんかったら話にならへんのよね。

 そこまでは理屈でわかったけど、どうするかについては難問なんてものじゃあらへんかった。そやねんけど、もし乗れたら強力な武器になるのだけはわかった。集団で突撃するだけでビビルだろうし、とにかく機動性が高そうなのよ。ファランクスの重装歩兵がノタノタ歩く横を駆け抜けられたら、どうしようもなさそうだもの。それと戦車と違い、地面の状態の条件にウルサクないのよね。エレギオンで戦車隊を積極的に採用しなかったのはそこで、カネがかかる割に使えるところが少ないってのが大きかったの。

 こういう部隊をアングマールが持っていて、これをハムノン高原に侵入されたらエライことになるのだけは直感的にわかる。ズダン峠は険しいけど馬が越えられないことないもんね。とりあえずアングマールが出来るんやったら、エレギオンだって出来るはずの、根拠のない自信で研究を続けたの。

 馬に乗る方法の情報も増えて来たんだけど、どうも北方には馬に乗って羊に草を食べさせながらあちこちを移動する民族がいるようなの。そこでは子どもの頃から馬に慣れ親しんで、足の力で馬の腹を挟んで乗るらしいぐらいまでわかったの。

 わかったのはイイんだけど、それじゃエレギオン人は馬に乗れないのよね。たぶん力も必要なんだろうけど、力の入れ方、バランスの取り方に長い修練がいるとしか思えなかったの。とにかくエレギオンには、そもそも馬に乗れる人のお手本どころか、見たことも無い人ばっかりやったもの。

 大型の馬でやったら落ちたら大怪我するから、エレギオンの小馬であれこれテストしてもらったのだけど、ニッチもサッチもいかへんかった。コトリもやってみたけど、馬の背って安定良くないのよね。

    「次座の女神様。やはり馬が動くと踏ん張り切れません」
    「みたいだねぇ、小型でもあれぐらいだから大型になると、もっとだもんねぇ」
    「右でも左でもバランスを崩しかけると、あとはズルズルみたいになってしまいます」
    「見てたらわかるわ」
    「せめて落ちかけた時に踏ん張れる足場みたいなところがあればイイのですが」
 この時にコトリはひらめいたの。踏ん張れる足場があれば乗れそうなら、それを作ってやればイイんだって。つまりは馬に乗るための足場のついた椅子みたいなものを作ればイイんじゃないかって。そのためにはまず座るところをしっかり作らんとアカンやん。これは革でこしらえて、馬の腹にくくりつけてまず出来た。

 あとは踏み場を作ればエエんやけど、最初は椅子の横に横棒みたいなものを付けてみたんやけどアカンかった。人が乗って踏ん張るほどの強度にするのに無理があったの。ほんじゃあってことで輪っかにしたら、これはなかなか良かった。椅子に輪っかの鞍でなんとか乗れる者が出てきたの。そしたら誰かが、

    「次座の女神様、輪っかで良いのなら椅子に固定せずに紐でぶら下げたら如何でしょうか」
 やってみたら、そっちの方が使いやすそうだった。なんかすぐに出来上がった話に思うかもしれへんけど、ここまで十年ぐらいかかってるねん。ただ乗れるようになったいうても、全員がすぐに乗れるわけじゃないのよ。馬の調教だって手探りやし、馬の操縦だって手探り状態もイイとこだったから、そこから十年ぐらいは試行錯誤の繰り返しってところ。

 あんまりコトリが『馬、馬』って言ってたもんだから、あの頃は知恵の女神ならぬ馬の女神って陰口が叩かれたものよ。なんとか馬に乗れる人数が増えたから、次は戦術を考えんとあかんのよ。イメージは話に聞いてたけど、馬用の武器って見たことないからね。

 騎馬兵の役割は相手に騎馬隊がいなければ、その機動性を活かしてファランクスの弱点である背後に回り込むでエエとは思った。ただやねんけど、アングマールも騎馬隊持ってる前提やから、騎馬隊同士で相手の騎馬隊の動きを封じる役割が必要と思たんよ。つまりは騎馬隊同士の個人格闘になるって。

 ここは単純に考えたの。長い方が有利に決まってるやん。だからコトリが選んだのは槍一択。これなら相手が歩兵でも戦いやすそうだし。そやけど問題もあってんよ。槍も長い方が有利そうやけど、そんな長い槍抱えて馬に乗れるかってところやってん。この辺はあれこれ長さを変えて工夫したわ。

 それと研究しながらわかった事やねんけど、馬を走らせながら槍で突き刺すと、物凄い威力やねんよ。盾ぶち抜いて人を串刺しにするぐらい。ただ乗ってる人もそれだけ衝撃がくるから、しっかり踏ん張らんとアカンねん。その時に輪っかの踏み場が有効なんもようわかった。そやけど、アングマールもそれが出来るんやから、盾の強化が必要ってユッキーに言って、これもやってもらった。

 盾の強化も問題やったけど、馬に乗る兵の鎧も問題やった。さすがに歩兵みたいに盾持つわけにいかへんし、あんな強力な槍の威力を防ぐほどの重装備にしたら重過ぎて大変やん。だから開き直って軽装備にした。革の鎧で遠矢を防げたら十分ぐらいかな。軽くした分、機動力で勝負みたいな発想。

 それだけ苦心惨憺したけど出来上がった騎馬部隊は百五十人ぐらいやった。これは馬に乗れた人も限界があったし、馬の数にも限界があったの。それでも馬の機動力は魅力的やった。戦場では色んな戦術が使えそうやし、偵察だって広い範囲をカバーできそうだもの。

    「コトリ、だいぶ馬は使えるようになったみたいね」
    「後は実際に使わんとわからんけど」
    「そこで相談があるんだけど」
 ユッキーの提案は馬を連絡役に使うというものやってん。とにかくズダン峠からエレギオンまでは遠いし、高原都市とも遠いのよね。今までは人が走ってたけど、馬ならもっと早くなるはずだって。でもコトリはちょっと渋った。馬って機動力あるけどデリケートなんよ。

 走れば人より速いけど、無限に走ってくれわけでもあらへんねん。そうなると途中で乗り継ぎ作らなアカンし、乗り継ぎのところで馬飼うとこなアカンやんか。それより、なにより馬も馬に乗れる人も限りがあったし。

    「でも、お願い」
 ここまで馬のために注ぎ込んだ費用は莫大やったし、その費用への批判もいっぱいあったんよ。それをずっと庇ってくれてたのがユッキーやったから、顔立てんわけにもいかへんかってん。そやから駅伝設備を作った。でも、結果としては役に立ったと思う。だからって訳じゃないけど、コトリも馬に乗れるのよ。馬の女神が馬に乗れんかったらシャレにならへんからね。