アングマール戦記:北からの侵入者(2)

    「首座の女神様、モスランが囲まれました。至急援軍をお願いします」
 モスランはクル・ガル山脈の麓に位置する山岳地帯にある都市国家。エレギオンからは一番遠く、ズダン峠から一番近い都市。
    「相手は」
    「アングマール」
 アングマールはクル・ガル山脈の北側にある都市国家。この地域にも五つの都市国家が成立し、最新の情報では長年の抗争の末に盟主的な立場に就いていた。ただ、敵対姿勢はこの頃は見せておらず、友好の使者が去年に来たぐらいだった。ユッキーの判断は早かった。
    「お役目ご苦労。エレギオンは必ず援軍を派遣します。下がって休んで宜しい」
 そこから王や大臣たちを呼び出しての緊急会議。ユッキーも相当飲んでたけど、明日に回せる問題ではないのはわかったわ。会議室に向かう途中でユッキーは、
    「コトリ、悪いけど大祭は中止にするわ」
 えっ、と思ったけど、モスランからの使者の様子は尋常じゃなかったから、しゃあないとは思った。でも未練たらしく、
    「やっぱりダメ?」
    「我慢して!」
 酔っててもさすがにユッキーで、こういうところは厳しいわ。会議になって王や大臣たちも集まって来たけど、時刻と時期のためか誰もが真っ赤、フラフラしてたのもいた。本格的な戦争なんてここ二百年ばかりなかったから大祭近しで、みんな飲んでたみたい。女神も他人のことは言えないけどね。ユッキーがモスランからの使者のことを伝え大祭の中止を話しても、
    「大祭が終わってから考えても良いんじゃないですか?」
 こんな意見の出る始末。それだけじゃなくて、
    「モスランに援軍を送るとしても、今からじゃ間に合うかどうかわかりませんし、アングマールもモスランを落とせば帰国すると思います」
    「モスラン陥落後にアングマールの動きを見てから考えても良いかと」
    「そうだそうだ、大祭が終わる頃には情報も増えるでしょうし」
    「どっちにしても明日もう一度考えるで今夜はこれぐらいにしましょう」
    「それに援軍を派遣すると言っても、軍勢がいないし」
 ふと見るとユッキーの顔が怖いものになっていた。ここ二百年ばかり見てなかったほど怖い顔。
    「王よ、非常時に備えての軍備の整備を命じていたはずだが」
    「えっ、まだ、その整備中でして」
 聞きながらヤバイと思った。ここ二百年ばかり平穏だったもので、王にしろ大臣にしろユッキーが本当に怖いところを見たことがなかったんだよ。あいつらにしたら、先祖代々見たことがないレベル。女神と言っても、しょせんは女だと舐めてる様子がわかったもの。コトリはこっそり、こっそりとユッキーから距離を取ったんだ。そしたらやっぱりだった。会議室の花瓶から花を抜き捨て、それはそれは怖い顔をして宣告したよ、
    「主女神に代わりて首座の女神が宣す。エレギオンは女神大権下になれり」
 そういうと花瓶の水を王や大臣にぶっかけたんだ。エレギオンは平時には女神が指名した王が行政を司る政治スタイルなんだけど、非常時には女神が独裁権をいつでも握れるようになってた。非常時でも王が有能なら任せていたけど、能力が足りないと判断されると女神大権が発動されるの。

 発動は首座の女神であるユッキーがいつでも出せることになってた。それとこれもいつからだったかコトリでさえ忘れちゃったけど、女神大権が宣せられる時には花瓶の水をぶっかける慣習があったの。王や大臣たちにしたら話には聞いたことがあるレベルでビックリしたと思うけど、コトリは前にぶっかけられたことがあったから避けてたってところ。

    「直ちに兵を招集し、諸国に出兵の要請を伝えよ。リューオン、ハマ、ベラテとはハマにて合流。高原諸国はマウサルムに集結。王は罷免、セカが将軍となり全軍の指揮を執れ」
 静まり返る会議室は静まり返ったんだけど、ユッキーは重ねて、
    「何をしておる、直ちに動かんか」
 酔いもどこへやらで、大臣たちは大慌てで部屋を出て行ったわ。そりゃ、ユッキーが完全に氷の女神になったんだから、怖いなんてもんじゃなかったもの。前王はその場で悔悟院送りになってもた。大臣たちが転げながら会議室を出た後に、
    「ユッキー、セカでエエんか」
 ユッキーは思念を凝らしているようだったけど、
    「今回はセカでなんとかなると思う。ちょっと苦労した方が良いと思うし。それと次に外征軍を率いる時にはわたしが出る。コトリにばかりに汚れ仕事はさせられない」
 どちらが外征軍を率いるかはそこでもめたけど、その時は保留にしたんだ。その夜からエレギオンは軍勢の編成で大騒ぎになった。祭り気分は吹っ飛び、武器庫から次々に鎧や兜、槍や刀、さらには弓矢が取り出されて、兵に渡されていった。ついに平和は破られ、宿敵アングマールとの戦いが始まる夜となった。