アングマール戦記:北の暗雲(2)

 余談やけど、この好景気の時に世界で初めての居酒屋が出来た気がしてる。この時代の酒と言えばひたすらビールやねんけど、とにかく需要が多かったから、まず酒屋がいっぱい出来て、醸造所も増えた。最初は酒屋でビールを買って帰って飲んでたんやけど、酒屋で飲むのが出てきた。

 酒屋も店頭で立ち飲みしとっただけやねんけど、ビールを飲むならアテが欲しいとなり、充実したアテがある酒屋に人気が集まるようになってん。そのうち立って飲むより、座って飲める酒屋に人気が出てきて、夕方ともなると酒屋の周りに屯するのが当たり前になってきたんよね。といっても店の前にベンチやテーブルを並べてた程度だったけど。

 この辺まではまだ酒屋の店頭で飲む延長やってんけど、あの踊る魚亭が出来たんや。踊る魚亭はもともと宿屋やってんけど、宿屋やから食事も出し取ってんよ。エレギオンは海も近いから魚料理で有名やった。ここの店主は酒屋で飲んでる連中を見て閃いたみたいなの。

 それまでエレギオンの宿屋は食事も出しとったけど、部屋食やってんよ。それを広間で一緒に食べるスタイルにまずしたの。テーブルと椅子で食べる感じ。店主に話を聞いたこともあるんやけど、

    「あれは大宴会を参考にしたものでございます」
 女神も王も臣下を集めて宴会をやることがあったんだけど、その時はテーブルと椅子やってん。それと同じとは言えへんけど、まとめて食事を提供した方が手間が少なくなると考えたそうなの。まあ、客も大勢でメシ食う方が楽しいと好評だったみたい。

 この広間で集まってメシ食うスタイルが好評なのを見て店主は宿泊客以外も受け入れたのよ。つまり泊らずともメシ食って、ビールが飲める店が出来たってこと。今なら当たり前だけど、出来た時には大評判でコトリも便利なものが出来たと感心してた。コトリも行ったかって、そりゃ、行ったよ。女神でナンバー・ツーいうても、それぐらい民衆と近かったの。ユッキーも行ってたし、三座や四座の女神も行ってた。

 そいでもって、この踊る魚亭の店主はアイデアマンやったんよ。ありゃ、商売の天才やと思たもの。この頃はまた貨幣がなかったんよ。基本は物々交換。市場はあったけど、物々交換やった。そやから酒屋に行ってビール飲むにしても、なんらかの代価を背負っていかにゃならんわけ。ただなんやけど、貨幣の元祖みたいなものは出来つつあったんよ。要は金とか銀の小さな塊。銅もあった。

 店主がアイデアマンだったのは、銅を小さく丸く打ちぬいたものに、表はビールの絵、裏には踊る魚マークを刻印して、これ一枚でビール一杯飲めることにしたの。それでね、このコインのミソは、それだけの銅の価値じゃビール一杯の三分の一ぐらいにしかならないところで、本来なら三枚分ぐらい必要だったのよ。

 ところがビール一杯との引き替えを担保にしたから、銅の価値とは関係なく、踊る魚亭のコインというだけで三倍の価値になったんよね。店主は踊る魚亭の拡張の時の工事費用をそれで払ったから、手間賃を含めても半分ぐらいの費用で済ましちゃったのよ。

 工事費用だけじゃなくて、他の仕入れや従業員の給料にもそれを使ったの。これはコトリも驚いたのだけど、踊る魚亭のコインは市場でも通用してた。変な言い方だけど物の価値が、踊る魚亭のビール一杯とくらべてどれぐらいかで考えるみたいな感じになってた。

 コトリは閃いたの。それやったら国がコインを作れば、物の値段の統一基準が出来て便利になるんじゃないかって。それだけやなく、元の金属の価値以上に利用できるんやんないかと。とにかく財政は始終ピーピー言うてるから、上手くやればかなり儲かりそうってのも本音やった。

 ユッキーも理解してくれて、銅貨の試作品を作ったし、ついでに金貨や銀貨の試作品も作ってみた。後は踊る魚亭みたいにコインの価値の裏付けをどうしようかと考えてた。国がやるのに、さすがにビール換算と言うわけにはいかへんし。でも、そんな通貨制度の芽生えを吹き飛ばす暗雲が迫っていたのよねぇ。それでも踊る魚亭のコインは世界最初の信用通貨に近いものやと今でも思ってる。