エレギオンは遠かった。飛行機を乗り継ぎ、乗り継ぎ、汽車とバスと、さらに支援拠点を置いているズオン村に到着した頃には日本を出て四十時間はラクに経っていました。そりゃもうヘロヘロでした。でもまだエレギオンではないのです。翌日は疲れも取れない体をランクルに乗せられて百キロメートル、三時間。途中から道なきところを走破してようやく現地本部に到着です。現地本部と言ってもテント村なんですが、一際大きいのが本部テントです。相本准教授に言わせれば、
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「前回の時にはプレハブだった」
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「縁起物だからね」
ナショナル・ジオグラフィックのクルーも立花隊長の余りの若さに驚いていましたが、立花隊長は秘書さんまで同行していました。小山恵さんというのですが、この人もビックリするぐらい可愛い人です。この二人ですが現地本部に着く前のズオン村でもう一仕事されています。
ズオン村は港都大の発掘以来、各国の調査隊が支援拠点を置くようになりましたが、とにかく他に現地作業員を募集するところがなく、手間賃がやたらと高騰していました。先発隊もこの交渉で暗礁に乗り上げていたのですが、立花隊長と小山秘書はあっと言う間に解決してしまいました。
なにがあったかは教えてくれませんでしたが、これまで高飛車の態度がすっかり改まり、むしろ深く反省して積極的な協力を申し出てくれたのです。村人の言葉はわかりませんが、ボクの感じた印象では、大きな罪を犯しこれへの許しを乞うてるようにさえ見えてなりません。
歓迎式が終わった後に、立花隊長と小山秘書は神殿の丘に向かって立ち尽くしていました。その姿は、それを遮るものを許さない雰囲気がヒシヒシと感じ、スタッフ全員が息をつめて見守る感じです。テレビ・クルーもまたそうです。どれぐらい時間が経ったのでしょうか、小山秘書が歌いだしました。これに立花専務が唱和します。
この歌はボクにはわかります。あの女神賛歌です。それも女神の合唱部分です。この歌は学会の懇親会で前に聴かせてもらってますが、エレギオンで聴くとまったく別物になるのが良くわかります。それこそ、大地に響き渡り、天空を舞い踊り、人の心を震わします。ボクも自然に跪いていました。ボクだけじゃなく、その場にいる全員がです。歌が終わった後に小山秘書が宣言されます。これはシュメール語で良いと思います。おおよその意味で、
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「首座の女神より告す。
次座の女神を伴い聖なるエレギオンの地に来たれり、
我らを思い出すべし、
我ら、ただ恵みのみ与え給うものなり。
聖地を去った我らを恨むべからず、
我らもまた故地を追われた者ならば。
栄えの夢は遥かなり、
これまた我らも同じ。
ただ記憶の中にのみ伝えられるべし」
そこから明日からの発掘調査のために現場の下見に向かいました。まずは大神殿。その基礎の全貌は各国調査隊により明らかにされていますが、その壮大さに驚かされます。そして前回調査で見つかった地下室の立派さにもです。発掘調査が進められている大神殿周辺の中心街を見て回り、続いて神殿の丘の本神殿にも登りました。
本神殿から現地本部に戻っていくのですが、その姿は調査隊の一行と言うより、女神とその随員にしか見えませんでした。どう見たって付き従ってるようにしか思えません。二人の女神は時々立ち止まり、跪き祈りを捧げられます。もちろんボクたちも同様です。そうせざるを得ないというか、そうするのが自然だとしか思えないのです。二人の女神はある地点に立ち止り探査棒を求められました。ある隊員が持って行ったのですが、あれは持って行ったというより捧げたとしか見えません。受け取った女神は地面に線を引いて行きます。引き終ると、
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「明日はここを掘ります」
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「あそこ以外はどうするの」
「泉の宮を考えてる」
「なるほど。あそこなら残っているかもね」
「つうか残ってたらヤバイし」
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「柴川君ね。よく覚えてるわよ。泉の宮は女神たちの別宅みたいなところなの。真ん中に噴水プールみたいなのがあって、夏は泳いだりもしてたのよ。一種のプライベート・ゾーンみたいなところ」
「それだけじゃないの、あそこには女神の私物も収められていたの。あそこにも地下室があって、滅亡時に少し隠しているものがあるの」
「金銀財宝ですか」
「そうねぇ、運が良ければ女神のアクセサリー程度は見つかるかもしれない」
「他にもあるのですか」
「ガラクタ」
発掘地点はまさにピンポイントでした。現在の移民管理局兼翻訳局みたいなところとされていましたが、石板や粘土板の破片がそれこそザクザクと。そしてここでボクは相本分類の神髄を見せつけられる事になります。立ち会っていた立花専務と小山秘書は出土品が出るたびに、
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「これはエレギオン語初級講座の五章二節」
「これはギリシャ語辞書、三訂版の十ページ」
「違うよコトリ、四訂版だよ。ここにさぁ・・・」
「ホントだ。ゴメン、三訂版から四訂版にする時に・・・」
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「見て見てユッキー。ここのところ」
「やだコトリ、私が間違ったところじゃない。こんなものまで残ってたんだ。廃棄処分にしろって言ったはずなのに」
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「柴川君、惜しい。たしかにオリジナルはコトリとユッキーで書いてたけど、筆写はたくさんの人がやってた。つまりは流派の違いの方が正しいよ。ちなみにこっちがユッキー流で、こっちがコトリ流」
立花専務と小山秘書いうか、二人のエレギオンの女神にはなぜか可愛がってもらっています。可愛がってもらってるというか、なにかあれば、
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「柴川君、手伝って」
「柴川君、悪いけどお願い」
そういう訳でいつしかお二人の行くところにはボクも付いて行く状態になったのですが、これじゃ従者みたいなものです。口の悪い連中は『女神のポチ』なんて呼ぶのもいますが、あれこれ質問しても嫌がりもせずに答えてくれます。そんな話の中で、
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「女神も恋をされるのですか」
「当然よ」
「でも現人神だったんですよね」
「天皇さんだって結婚してるじゃないの」
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「女神の男はね、格好良かったんだから」
「でしょうね、なんてったって女神の旦那様ですものね」
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「あれは無駄な格好良さだった。あの時代は、ああせざるを得ない部分があったけど、あんな時代が二度と来てはいけないの」
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「柴川君、今の時代は良いのよ。そりゃ、不況だとか格差だとか、今は今なりに大変なところもあるけど、常に命そのものを懸けなければならない時代に較べれば千倍も万倍もマシなの。それがどれだけ幸せなことか」
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「英霊ですね」
「違うわ。英霊なんかじゃない、ただの犠牲者よ」
発掘調査はお二人が泉の宮と呼ばれた地点に取りかかりました。最初に取りかかったのは呼び名の由来の泉です。ボクはなんとなく小さな噴水プールみたいなものを想像していたのですが、直径五十メートルぐらいある円形の巨大なものでした。池の外周部や底面は石造で傷んでいる部分もありましたが、ほぼ原形を保って出てきました。お二人が目指していたのは泉の中央部で、そこには山というか、壇が築かれています。
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「壇の上には女神の像があって、女神が抱える水瓶から水が注がれていました」
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「あんな高いところから、どうやって水を噴出させていたのですか」
「噴出させたのじゃないの。水瓶から水が湧いていたの」
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「真ん中が主女神用で、ユッキーが向かって右側、コトリが左側だったの」
「後のお二人の女神は」
「二人ともコトリの方にいた」
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「たいしたものはなかったよ。ここはプライベート・ゾーンの色合いが濃かったから、当時の主女神の個人的なガラクタぐらいかな」
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「柴川君、ここの床石持ちあげてくれる」
「無理ですよ」
「イイからやってみて」
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「あれ、持ちあがる。これは・・・」
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「これは残ったみたいね」
「さすがにここにあるとは思わなかったみたいね」
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「これはなんですか?」
「目覚めたる最後の主女神が身に付けていた装飾品よ。眠られた時にここに保管したの。これの発見者は柴川君あなたよ」
「えっ」
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「ユッキー残ってたね」
「無くなってる方が良かったけど」
「でも大切な物。そうそう柴川君、この本は女神のプライベートの日記みたいなものなの。これだけは他人に読んでほしくないから、このまま回収させてもらうわ。黙っててね」
「えっ、その、あの・・・何が書いてあるのですか」
「えへ、男との赤裸々な日々の記録。だから読まれたくないの」
発掘調査は終盤に入っていました。エレギオン文字解読の重要な手掛かりとなるギリシャ語やラテン語との対訳辞書の多数の断片。第三の神殿である泉の宮の発見と、そこで見つかった巨大な女神像、さらに主女神の数々のアクセサリー。もう何もでないとまで言われていたエレギオンから港都大はまたもや大発見を成し遂げたのです。
その頃から女神のお二人は大神殿跡にいることが多くなりました。なぜかポチじゃなかったボクも一緒です。そこではお二人の会話に加わることもあれば、横で聞いていることもあります。さらにいくつかの歌も聴かせてもらいました。
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「学校では祭祀に必要だから女神賛歌ばかり教えていたけど、たくさんの歌があったのよ。楽しい歌、悲しい歌、それに恋の歌もね」
「ヒット曲とかあったのですか」
「あったわよ。でもレコードもCDも無い時代だからね」
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「あのう、ボクがいてもお邪魔ではないですか」
「そんなことないよ」
「でも、ボクでは話し相手にならないですし」
「あのね、女同士より男がいる方が楽しいの。そうだ、そうだ・・・」
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「柴川君はどっちがお好み」
「えっ、えっ・・・」
「柴川君はなかなかイイ男だよ。それにコトリもユッキーも独身だし彼氏もいないよ。いつ口説いてくれるかと思ってワクワクしてたのに。それとも彼女がいるの」
「彼女はいませんが・・・」
「だったらどう。コトリとユッキー、彼女にするならどっちがイイ」
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「ちょっとした賭けをユッキーとしてるんだ。もちろん悪いようには絶対にしないよ。だから答えてくれたら嬉しいな」
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「お二人とも素敵すぎて選びにくいのですが」
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「それで、それで」
お二人とも女性としての魅力の究極を濃縮されたような方でまさに女神です。というか本物の女神なんですけど。どんな男だって選り取り見取りなのにボクなんかじゃ話になりません。ボクだって将来はもっと立派な男になる予定ですが、まだ大学院の修士コースのヒヨッコで『女神のポチ』です。
・・・そっか、そっか、このお二人がボクに交際なんて申し込むはずがないじゃありませんか。からかっているとまで言いませんが、ある種の美人コンテストみたいなものです。ボクは審査員と思えばイイんだ。どう見たって座興ですから気楽に答えよう。それなら答えは決まっています。
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「ボクは立花専務の方が好みです」
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「コトリ、あきらめなさい。そういう運命ってこと」
「氷の女神じゃないからユッキーと思ったんだけどなぁ」
「わたしは長期戦が得意なの。短期決戦ならコトリが勝つと思ってたわ」
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「柴川君、よろしくお願いします。これからはコトリって呼んでね」
「ど、どういうことですか」
「やだ、今いったじゃない。彼女にコトリを選ぶって。あれはウソなの」
「あの、その、えっと、ウソじゃありませんけど」
「柴川君。これも他人行儀だな。ユウタ君、いやユウタって呼んでもイイ」
「え、その、イイですけど」
「ほんじゃ、ユッキー。ユウタとデートして来るから、また後でね」
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「ユウタ、コトリを選んでくれてありがとう。どうか可愛がって下さい」
「も、も、もちろんです」
「日本に帰ったら、いっぱい、いっぱい、ラブラブしようね。とりあえずコトリって呼んでみて」
「えっ、あの、その・・・コ、コトリさん」
「もうったら、『さん』はいらない」
「はい、では、その、えの・・・・コ ト リ」
「そう、良く出来ました。そう呼んでくれて嬉しい」
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「ボクで本当に良いですか?」
「コトリじゃ不満なの」
「そうじゃなくて、釣り合いが・・・」
「男と女だから釣り合いは完璧じゃない」
「その釣り合いじゃなくて」
「コトリはユウタが好き、ユウタはコトリが嫌いなの」
「大好きです」
「じゃあ、釣り合いは完璧」
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「コトリの男を見る目は完璧なの。ユウタは間違いなくイイ男よ。だからコトリを幸せにしてくれる。コトリも絶対にユウタを幸せにしてみせる。でもまた生き残っちゃったな」
「どういう意味ですか?」
「生き甲斐が出来たってこと」
「ボクが生きがいですか?」
「そうよ、素晴らしすぎる生きがいよ」
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「ユウタはコトリを救ってくれたのよ。命の恩人の彼女になれるなんて夢みたい」
「ボクが命の恩人ですか?」
「そうよ。コトリのすべてはユウタのもの。もう、信じてないんだから、コトリは本気だよ」
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「女の子にこれ以上、言わせないで。お願いだから、しばらくこのままにして」