女神伝説第4部:コトリ退職

 病院に搬送されたコトリ専務は入院となりましたが、面会に訪れても、

    『面会謝絶』
 御家族との面会すら出来ない状況です。ひたすら心が暗くなるミサキでしたが、三日目にコトリ専務は病室から忽然と消えうせました。看護師さんに聞いてみると、医師の制止を振り切って強引に退院してしっまったのことです。もう、何が起こっているのかミサキには訳がわかりません。

 病院を退院した翌日にコトリ専務は会社に姿を現したそうです。ミサキは見れませんでしたが、噂では一直線に社長室に向かい、そして帰って行ったそうです。その姿は声をかけるのも憚られる様子であったとされます。コトリ専務が会社に来られた日の夜に例の料亭へ社長からの呼び出しがありました。挨拶もそこそこに、

    「小島君が今日来て、これを置いて行った」
 見ると『退職届』と書かれています。それを見るミサキも、シノブ常務も、高野副社長も、佐竹本部長も釘付けです。ふと見るとシノブ常務が輝いています。それも怒りに震えてのものです。
    「社長、まさか受け取ったのですか」
 もの凄い気迫で、返答次第では社長を一撃で吹っ飛ばす気マンマンなのが手に取るようにわかります。
    「退職は社員に許された自由だ」
    「では、社長やはり・・・」
 こんなところでシノブ常務の一撃が炸裂すれば大変な事になります。そうしたら社長は怒鳴りつけるように、
    「結崎君、この綾瀬を見損なってもらっては困る」
 目の前で退職届をビリビリと破り捨て、
    「たとえ小島君が希望しても、この綾瀬が絶対に許さん。たとえ法に訴えられても許さん」
 シノブ常務はようやく落ち着き、
    「失礼しました」
    「わかってくれたか。小島君は病気療養のための休職願を出し、これを社長の綾瀬が受け取ったことにして欲しい。事務処理は香坂君、任せたぞ」
    「かしこまりました。しかし、なにがあったのですか」
 社長の話ではコトリ専務は朝一番に社長室を訪れ、なにも言わずに退職願を机の上に置かれたそうです。驚いた社長ですが、
    『私はクレイエールの仕事に飽きました。五十歳にもなるので新しいチャレンジをしてみたいと思います。長い間お世話になりました』
 これだけ言うと、一度も振り返らずの部屋から出て行き、そのまま会社から去って行ったそうです。この時に社長は呼び止めるために席を立とうとしたそうですが、どうしても立ち上がれないどころか声すら発する事ができなかったそうです。
    「君たち、とくに結崎君、香坂君は知っておるのだな」
    「何をですか?」
    「あの最終報告書以上の事を」
 ミサキはシノブ常務の顔を見ました。これは言うべきなのか、言わざるべきなのか判断が付かなかったのです。社長はここで森岡先生の政経文化パーティでの出来事を話しました。
    「・・・私は最初にカフスを左手に握っておった。ところがこれが突然右手に移ったのだ。それだけでも信じられなかったが、手を開く瞬間に再び左手に移ったのだ。あれはどう考えても、最初が占い師によるもの、次が小島君の力によるものしか考えられん」
 シノブ常務は黙って聞いています。
    「最後に占い師に同じことをやった。占い師が後ろで手を組んでる間に右手にカフスを握ると小島君は予言したんだ。占い師は手を前に出したが、すぐに顔色が真っ青になった。そして右手でカフスを小島君に投げつけたんだ」
 シノブ常務は、
    「社長、見られたままで宜しいかと」
    「小島君もそう言ったが、どういうことだ、小島君は何者なのだ。これは天城教授から聞いた話だが、小島君は間違いなくエレギオン王国を知っていると。それも実際に現場にいて見知っているとしか考えられないと」
    「それも聞いたままで宜しいかと」
 社長は少し憤然としながら、
    「結崎君、そして香坂君、もちろん小島君も含めて君らが天使であるのは知っている。その証拠に仕事に対する能力は常人の領域を越えているし、一向に歳も取らない。これだけでも驚くべきことだが、それだけでないと思っとる」
    「小島専務はルチアの天使ですが私はそうではありません」
    「私もです」
 社長は諭すように、
    「もうそのレベルの話はやめよう。私は知りたいのだ」
    「何をですか」
    「天城教授はエレギオンの地で小島専務がこう宣言したのを聞いている、

      『次座の女神、
      ここに来たりてこれを許す
      ゆめ、怖るるべからず
      そちらに祟りなし
      ただ恵みのみ与えられん』

    小島専務は自分のことを次座の女神であると言っておるのだ」
    「それで」
    「さらにエレギオンは女神による神政政治であり、その女神は何十代、何百代に渡って新たな人に宿り、その記憶を受け継ぐと」
    「そこまで御存じであれば十分かと存じます」
    「やっぱりか・・・」
 社長は考え込んでから、
    「香坂君はわかったのだね」
    「なにをですか」
    「小島君の状態だよ。あれはどう見ても良くない。しかし、病院に問い合わせても教えてくれないし、小島君は何も話さなかった」
 そこから社長はためらうように、
    「小島君は治らないのかね」
 ミサキは覚悟を決めて答えました。
    「長くはありません。よくもって三ヶ月かと」
    「年内にもか・・・」
 社長は天井を見上げています。目からは涙が流れています。それも次から次に止めどなくです。
    「癒しの天使、いや癒しの女神である香坂君がそう言うのなら、医者よりよほど正確だろう」
 部屋には社長だけでなく、誰もがすすり泣いていました。しばらくしてから、
    「結崎君。死期を悟った小島君は次の宿主に移るのだね」
    「そうです」
 目を真っ赤に泣き腫らした社長は、
    「小島君は我が社の専務だ。これは小島君が別の人に移り変わっても同じだ」
    「社長、それは・・・」
 社長は私たちをじっと睨んで、
    「高野君は別人だと言うのかね」
    「いや、その・・・」
    「佐竹君はどうなんだ」
    「えっと、その・・・」
 ここでシノブ常務が、
    「小島専務は今年中にも新しい宿主に変わられます。しかし、それが誰であるのかは私にも、香坂本部長にも見えません。それより何よりクレイエールに来てくれるかどうかもわかりません」
    「来てくれないのか?」
    「それはわかりません。来るかもしれませんし、来ないかもしれません」
    「小島君はクレイエールが嫌いなのか」
 ここでミサキ思い切って話しました、
    「社長。小島専務は五千年の記憶をお持ちです。五千年前の話を、まるで昨日の事のように覚えておられます。同時に生きることに倦まれておられます。これは社長が信じられなくともかまいませんが・・・」
 対魔王戦の話をしました。
    「そんな事があったのか。今ならわかる。どう足掻いても歯が立たなかったラ・ボーテの勢いが突然弱まり凋落が始まったのだ。すべてが一致する。小島君はクレイエールを救ってくれ、ついでに私も救ってくれてたのだ」
 もう一つイタリア視察中でのマンチーニ枢機卿との対決の話も、
    「そんな事もあったのか。もちろん信じる、これを信じられないようならクレイエールの社長は失格だよ」
    「小島専務にとって生きることは、長すぎる時間をひたすら耐えることになっています。私も、結崎常務も、社長、副社長も小島専務にとっては長すぎる時間の中の通りすがりに過ぎません」
    「つまりはクレイエールをもう一度繰り返すのは退屈過ぎるってことか」
    「そうなる可能性が十分にあります」
 社長はじっと考えて、
    「もし来るとしたら何年後だろう・・・」
 社長には言いませんでしたが、コトリ専務がクレイエールに来てくれる可能性はあります。それはミサキとシノブ常務の存在です。まだミサキたちの人としての寿命は十分に残っています。これを見捨ててしまわれるだろうかです。答えの出ない疑問を考えあぐねるミサキがいます。