女神伝説第3部:出発前

 今週末にもボクたちはエレギオンに出発します。今日は相本君を我が家に招いて晩御飯を食べてます。

    「教授、クレイエールというか小島専務は本当によくやってくれたと思います」
    「うん、ここまで本格的というか大がかりなものになるなんて夢みたいだ」
 小島専務はクレイエール主催の言葉を文字通りに実行してくれました。機材も当初は日本ですべて調達して現地に運ぶ予定でしたが、小島専務はクレイエールのヨーロッパ支社を使い調達し、現地に輸送させる手はずを整えてくれました。おかげで日本から運ぶ機材が少なくて済んでいます。

 さらに発掘現場に一番近い村の一軒家を借り上げ、そこを発掘チームの支援拠点にしクレイエールの社員を派遣してくれています。古橋研究室の先発隊も合流していますが、現在は送られてきた機材の受け取り管理と発掘現場の現地本部設営を行っています。

    「教授、支援拠点があればシャワーだって浴びれますね」
    「うむ、贅沢な気もするけど、たまにはベッドで寝たいしな」
    「予備調査の時と大違いですね」
    「あれはひどかった」
 予備調査の時は予算不足も良いところで、登山部に頼み込んで借りたテントで野宿状態でした。とにかく発掘現場は今回支援拠点を一番近い村からでも百キロメートルはラクに離れている荒涼としたところです。
    「毎日カップ麺ばっかりだったもんな」
 食糧はなんとか頼み込んで協賛してもらったカップ麺メーカーの食品が命の綱で、水だって途中から近くの川から汲んだ水でしのいでいました。風呂なんて夢のまた夢で、トイレだって穴を掘っただけ。周りに衝立さえ設置できず、女性の相本君には相当辛かったと思います。
    「第一地点と第二地点が空振りだった時の落胆は覚えてるよ」
    「予定はそこで終了でしたし」
 調査隊は調査継続か撤退帰国で話し合いが行われましたが、
    「相本君が継続を主張したんだよな」
    「いえ私ではなくて古橋教授が決めた事ですわ」
 予算は底を尽いていましたが、ここで調査を打ち切ったら二度と現地に来られないと判断し、強引に三ヶ所目にトライしました。
    「あそこもなかなか出なかった。さすがに誰もがあきらめかけた時に相本君が頑張ったんだ」
 野宿同様のキャンプ生活とカップ麺で飢えをしのぐ生活は、隊員の気力と体力をかなり奪っていました。誰もの心の中に『もうダメだ』の思いが濃厚になっていました。明日はキャンプ撤収と決められていたのですが、
    「相本君は朝まで掘ってたんじゃないのか」
    「必ず出るって何故か予感がしてたんです」
 相本君は言うまでもなく女性です。体もたくましいタイプとは間違っても言えません。ただ、体力は隊員の中でも一番あったかもしれません。相本君は研究員ではありますが、研究員を続けるためには生活費を自分で稼ぐ必要があります。あの体で信じられないところがあるのですが、
    「ドカタ仕事で鍛えてますから穴掘りは得意です」
 バイトの効率が良いとばかりに、土木建設作業員のバイトを良くされているのです。
    「そしてついに見つけたんだよな。あの粘土板と街の遺跡の一部を」
 古橋教授は『全責任を持つ』として後三日間調査を延長。文字の書かれた粘土板を多数発見すると言う大成果を挙げられることになります。
    「古橋教授も費用の後始末は大変だったようでしたが、成果には満足されてました」
 成果こそ挙げたものの二度にわたる調査期間の延長は古橋教授に大きな負債を背負わせる結果になりました。そのために本調査を行う予算などどこにも無くなってしまったのです。


 そうそう相本君は学生時代から先代の桐山研究室に出入りし、修士号、さらには博士号を取得しています。エレギオン予備調査にも女性でありながら反対を押し切って参加され、粘土板発見の成果を評価され主任研究員に任じられています。相本君の考古学への知識、才能、情熱は誰も文句を付けられないぐらい優秀です。これは学生時代から相本君を見ているボクが一番よく知っています。

 年齢は、えっと、もう三十歳を過ぎて何年か経ちます。歳のことを女性に話題にするのは失礼なんですが、真剣に相本君のことを心配しています。学者としては優秀なのですが、女性としてあまりに地味すぎるのです。それこそ研究室にいても静かにしていると、居るか居ないかわからないほどです。

 考古学というか学者として生きて行く分に外見の美醜は無関係ですが、相本君は学者である前に一人の女性なのです。学者だって恋をしても良い訳ですし、ボクだって奥さんに恋して結婚しています。別に結婚して子供を産むことが女の幸せなんて古臭いことは言いませんが、このままではとずっと思っています。

 相本君が地味さですが、とにかく化粧っ気が感じられません。相本君だって女性ですから化粧ぐらいはしているはずなんですが、スッピンじゃないか思うほど薄化粧です。これも、べつに薄化粧でもそれが似合えば良いのですが、悲しいぐらい映えないのです。服装だって、研究室には平気でジャージで来ます。今どきですからジャージで来ても良いようなものですが、このジャージがどこのメーカーかわからない代物で、それも研究室に顔を見せ始めて以来ずっと同じとしか見えません。色あせて、くたびれきっているだけでなく、破れた部分に継ぎアテまで当てています。

 ジャージの下にはTシャツを着ていますが、これもボクが覚えている限り、ずっと同じ。何年どころでないぐらい洗濯を繰り返したせいか、柄は色あせるどころか抜け落ちて、シミのように見えます。研究室では白衣を羽織ってますから、なんとか様になっているとはいえ、その姿は似合うというか、嵌り切ってる感じさえしています。

 長い間見ているので『たぶん』そうじゃないかと思っているのですが、相本君が持っている服で晴れ着はスーツが一着しかないのではないかと疑っています。相本君は成人式には出席してませんが、晴れ着の代わりにスーツを一着作ったと聞いたことがあります。学会とかになると着てくるのですが、どう見てもいつも同じです。

 だいぶ前ですが相本君が友人の結婚式に出席すると言って、そのスーツで行くと聞いて、大騒ぎになった時があります。それではあまりにもってところです。というのも、どうもそのスーツ自体があまり良いものでなさそうで、その上でかなりくたびれているからです。あの時は古橋教授が奥様に頼んで、それなりの服装をしてもらったはずなのですが、後で写真を見てみんなビックリ。ちゃんと化粧もしているのですが、これが見事なぐらいに似合ってないのです。相本君には馬子にも衣裳さえ成立しないと思ったものです。

 髪はいつも、ひっつめ頭ですし、口を開けば考古学の話しかしません。これは知っていて話さないのではなく、芸能ニュースやテレビや映画の話どころか時事についても極端に無関心なのです。たまに話題を振られても、

    『わかりません』
    『存じません』
 これでチョンです。そのせいかというか、なんというかですが、相本君には浮いた話の『う』も出てきません。そりゃ、朝からそれこそ夜まで研究室に詰めきりで、新たな報告や論文をひたすら読み漁り、出土品の分析と分類やってますから、出会いなんて生まれようもないかもしれません。これは日曜休日だけでなく、盆や正月までそうです。たまには遊びに出かけたらと話したこともあるのですが、さも不思議なことを言われたように、
    『この世にこれ以上、楽しいことなんてあるのですか』
 そういえばキリヤマ、ソガ、フルハシ、アマギとそろってウルトラ警備隊と呼ばれた頃に、誰かがアンヌが欲しいと言い出したことがあります。研究室に来る学生や研究員をあれこれアンヌに見立てる話をしていましたが、誰一人相本君を推す声はありませんでした。これは相本君が地味だったのが最大の理由ですが、相本君がアンヌではダンとロマンスなんて生まれようがないってのも理由とされてました。

 そういうわけでエレギオン学の寄付講座はボクと相本君の二人体制ですが、学内の誰一人、その仲を勘繰ろうとする者すらいません。ボクの妻だってそうです。まるで相本君は女性であることは誰もが知っていても、恋愛対象になるのは天地がひっくり返ってもないと思われてるんじゃないかと感じることがあります。

    「・・・それにしても小島専務は若くて綺麗だなぁ」
    「香坂部長もそうですし、結崎常務もそうです」
    「相本君もちょっと勉強してきたらどうだ」
    「え、あ、それは申し訳ありません。小島専務からのエレギオン情報を十分に聞き取れていないのは残念です。現地にいる間に出来るだけ聞くように努めます」
 そうじゃなくて、女として魅力的になる方法を勉強して欲しいと思っています。相本君は生真面目で、考古学さえあれば後は何もいらないのは良く知っていますが、ボクも先輩として相本君に女性としての幸せを味わって欲しいと思っています。

 たしかに相本君は化粧映えがしませんし、派手な服は似合いませんし、話題だって考古学一辺倒です。そりゃイイ女とは言えないかもしれませんが、保証付でイイ人です。それは付き合いの長いボクは良く知っています。それとジックリ観察すれば丸きりのブスって訳ではありません。

 そりゃ小島専務や香坂部長に較べれば可哀想ですが、スタイルだってそんなに悪くないですし、顔のつくりだって、どこと言って欠点があるわけではありません。性格だって生真面目ではありますが面倒見が良くて親切です。考古学バカみたいなところはありますが、ちゃんと常識的な気配りだってできます。

 とにかく残念なのはトータルすると、ひたすら地味に見えてしまうのです。万人受けはしないとは思いますが、そんな相本君の美点を見つけ出して、寄ってくる男の一人や二人いたってイイじゃありませんか。研究員が陰で『開かずの金庫処女』みたいな評価をしているのを聞くと悔しくてなりません。

    「ところで教授、先日なんですが、小島専務にまた食事に誘われました」
 相本君は何度か小島専務に食事に誘われています。
    「食事の後にバーに連れて行かれたのですが、そこに小島専務のお知り合いの方がおられて紹介されたのです。それが女の私から見てもビックリするぐらい綺麗な人でした」
 珍しいな。相本君が女性の美醜を話題にするなんて滅多にないことです。
    「へぇ、相本君がそこまで言うとは珍しいな。ひょっとしたら有名人とか」
    「有名人かどうかは存じませんが、加納志織さんと仰ってました」
    「加納志織、加納志織・・・えっ、その人ってフォトグラファーの加納志織さんじゃないのか」
    「そういえば写真のお仕事をしているとか。名刺ももらってます」
 間違いない。美人フォトグラファーの加納志織だ。ボクもテレビとか週刊誌の写真ぐらいしか知りませんが、とにかく、
    『撮られる女優やアイドルより、撮る加納志織の方が遥かに綺麗』
 ここまで言われる美人です。
    「驚いたのはその加納さんが小島専務と同級生だそうです」
 ぎょぇぇぇ、だったら加納志織も四十五歳になります。世の中には小島専務、香坂部長、さらには相本君が見たという結崎常務の他にも異常なほど若くて綺麗に見える人がいるんだと思った次第です。
    「ところで相本君も誰か好きな人はいないのかな」
    「いますよ」
 えっ、そりゃ、やっと相本君にも春が来たんだ。
    「誰なの」
    「エレギオンです」
 こりゃダメだ。ただなんですが、小島専務の下に通い出してから、相本君の雰囲気がほんの少し変わった感じがあります。ボクの気のせいかなぁ、いやそうであって欲しいと願うボクがここにいます。