女神伝説第2部:暗雲

 コトリ部長が管轄する総務部、ジュエリー事業本部、ブライダル事業本部はなんとか回ってますが、その代償に土曜も日曜も無しの状態が続いています。ミサキも大変ですが、コトリ部長もよくあれだけ仕事が回せるものだと思うほど働いておられます。それでも、現状維持が目一杯で、日々負担が重くなってきています。

 これは他の事業部も同様の状態になっています。一番惨憺たる状態になっているのはクレイエール事業部で、誰もサボっている訳ではないのに、仕事が停滞してちっとも進まなくなっています。夏の新作発表も遅れに遅れてしまい、これに連動する宣伝も後手後手に回ってしまっているというところです。

 会社首脳部が仰天したのはラ・ボーテの動きです。新作のコンセプトが見事に被り、先行発表された上に、仕上がりはどう見てもラ・ボーテの方が上です。そのうえで、大物俳優や大物女優を起用したイメージ広告で質も量も圧倒されてクレイエール・ブランドの売り上げはガタ落ちです。

 あまりに見事に新作のコンセプトが被ったもので、企業スパイの存在が社内で噂されるようになりました。そんな噂を裏付けるというか、さらに悪化させるようにクレイエールのエース・デザイナーがラ・ボーテに引き抜かれる事件が起こりました。それだけでなく、営業の腕利きも引き抜かれて、社内は騒然です。

 寄ると触れると、誰それが喫茶店で見知らぬ人と話していたとか、次に引き抜かれるのは誰の話で持ちきりです。もちろん連日のように対策会議が開かれるのですが、これがコトリ部長の負担をさらに重くします。コトリ部長は重役にも名を連ねていますから、出席されるのですが、会議時間中は他の仕事が出来なくなります。ミサキも懸命に穴を埋めるために走り回りますが、やはりコトリ部長がいないと仕事は溜まります。

 緊急対策として、綾瀬副社長が専任でクレイエール事業本部長として指揮を執る事になり、ついにコトリ部長はブライダル事業本部長にならざるを得なくなりました。副本部長の時も実質的に指揮していたとはいえ、またコトリ部長の負担が重くなったわけです。これについてコトリ部長は、

    「人事的には仕方ないと思うよ。クレイエール・ブランドの浮沈はこの会社の浮沈に連動するから、副社長が専任で陣頭指揮を取らざるを得ないでしょ」
 綾瀬副社長の懸命の陣頭指揮で秋の新作発表は予定通りに行われたのですが、またもやラ・ボーテのコンセプトと丸被り。仕上がりは五分でしたが、宣伝戦略で後手に回ります。大物の起用を狙っていたのですが、悉くラ・ボーテにさらわれる結果になっています。この結果を受けて広告部長は責任を取らされて飛ばされています。

 出来上がりでラ・ボーテと互角であった秋の新作ですが、宣伝戦略で後手に回った上に、価格戦略で劣勢を強いられます。出荷価格でラ・ボーテの方が割安なのです。店頭価格は同じぐらいですから、どうせ売るならクレイエールよりラ・ボーテの方が有利との判断が販売店に広まってしまったのです。

 やむなく出荷価格を引き下げて対抗したのですが、こちらの引き下げを見越したかのようにラ・ボーテも下げてきます。赤字覚悟で引き下げても、さらに下にくるってところです。販売店のクレイエール離れが起りだし、今度はそちらの引き留めに奔走されます。ここにもコトリ部長は参加せざるを得なくなります。

 いつ果てるともない消耗戦を強いられるのですが、先行するのはいつもラ・ボーテで、手の内を見透かされているかのようです。秋の戦いは夏に続いて惨敗。会社の空気はこれ以上ないぐらい重いものに包まれます。足掻けば足掻くほど沈んでいく泥沼のようなものです。

 コトリ部長もミサキも、いつから休みを取っていないかわからない状態ですが、感嘆するのはコトリ部長のタフさ。どんどん増える負担をものともせずに働かれます。一日の労働時間は既に十五時間以上になり連日の午前様状態です。それでも朝になれば、

    「あははは。ミサキちゃん、今日もいっぱいあるよ。張り切って行きましょう」
 その成果は表れていまして。クレイエール事業が落ち込む中、ブライダル事業とジュエリー事業の収益は堅調で推移しています。ミサキもよく付いて行ってるとおもいますが、なんか夢遊病状態です。
    「コトリ部長、いつまでこんなのが続くのですか」
    「そんなもの終わるまでに決まってるやないの。でも、晩御飯食べるところが少なくて困るねぇ。このファミレスもエエ加減飽きてきた」
 家に帰って作る余裕と言うか、そもそも買い物に出かける時間もないので、朝は喫茶店でモーニング、昼は社内食堂で作ってもらうサンドイッチとかお握り、夜はコトリ部長と深夜に開いている店で外食です。服だって社内販売です。
    「コトリ部長もタフですねぇ」
    「ミサキちゃんも付いて来れてるから十分タフだよ。まあね、こんな状態で働いた事なんていくらでもあるから、まだ二年や三年は余裕だよ」
    「アラッタの時とか?」
    「もちろんあの時もそうだったけど、ユッキーとコンビを組んで統治していた時代でもザラにあったよ。まだ夜寝られるだけマシだし、少しでも油断したら国民が皆殺しにされる危機感がないだけ気楽なものさ。会社も大事だけど、潰れたって、最悪失業するだけじゃないの」
    「そりゃ、殺される訳じゃないですが、先が見えないのは厳しいと思います」
    「マルコが恋しいんだろ」
    「正直なところ・・・」
 コトリ部長はなにか考えてるようでしたが、ニカっと笑って、
    「コトリも男探す時間が無くなってるからミサキちゃんも我慢してね」
    「それは仕方ないと思ってますが」
    「いつかは終りが来るって」
 綾瀬副社長は冬物商戦に向けて、春夏の失地回復を期して、
    『冬決戦』
 この大号令をかけて取り組まれました。厳格な情報管理が行われ、噂されている企業スパイ対策も取られています。クレイエール事業部は社内の人間でも近づくのが憚れるほどピリピリした空気で、たまに社内ですれ違う副社長の顔には緊張を越えて殺気がみなぎっているようにも感じます。

 蓋を開けてみると今度はラ・ボーテとコンセプトは被りませんでしたが、うちの企画を見透かしたような対照的な商品を出してきました。春夏で勝利した余裕か、斬新なデザインを打ち出してきたのです。宣伝部、営業部の懸命の努力の甲斐もなく、市場はラ・ボーテの斬新な企画に流れクレイエールはまたもや苦戦に終始する事になります。


 梅雨頃から延々とコトリ部長と組んでいますが社内では『鉄人コンビ』と呼ばれてます。そりゃ、飛ぶように社内を走り回り、毎日午前様。日曜祝日も同じペースで働いてますから、そう呼ばれても不思議ありません。それだけ働いても重苦しい沈滞観は払拭しきれません。むしろ日を追うごとに積もっていく感じです。最近では雨の中で雑巾がけしているような感じさえしています。コトリ部長とミサキがいかに頑張って拭いても、拭いたそばから雨で濡れる感じです。ミサキの心さえ挫けそうになるのですが、

    「ミサキちゃん、耐える戦いってこんなものだよ。こっちだって苦しいけど、相手だってラクじゃないの。挫けた方が負けるの」
 コトリ部長はそう言われますが、果てしない持久戦に悲鳴をあげたくなっています。ただただ頼るのはミサキでさえコトリ部長の変わらぬ微笑みだけです。あの微笑みがあることころだけは社内でも明かりが射す感じがします。心も体も疲れ切っているミサキがあれだけ頑張れるのはコトリ部長の微笑みが常に一緒だからです。

 さらに月日が流れて、コトリ部長とのコンビのスタイルは変わってきます。ミサキがコトリ部長の仕事のかなりの部分を代行できるようになってきたのです。もちろん本部長と係長ですから仕事の範囲が違いますが、沈滞した部署の活入れはミサキでも十分代行出来てしまうのです。ただコトリ部長とは効果の出方が違います、コトリ部長はその微笑みで場を盛り上げますが、ミサキは疲れ切った心を癒す感じと言えば良いのでしょうか。そのためかミサキはいつしかこう呼ばれるようになりました。

    『癒しの天使』
 この効果は日を追うごとに強くなり、ミサキが各部署を訪れるだけで疲れた心が癒されれて行くのが実感できます。これに目を付けたコトリ部長は、先にミサキを訪れさして心を癒し、続いてコトリ部長が微笑みで活気づける作戦を取るようになりました。コトリ部長は、
    「ミサキちゃん、やっとだね。待ってた」
 もうすぐ春ですが、春に希望はあるのでしょうか。これだけコトリ部長とミサキが頑張っても状況が好転する兆しが見つけられません。コトリ部長は春になにか希望があるのでしょうか。今日もまた、社内を走り続けていますが、走り続けた先にゴールはあるのでしょうか。