女神伝説第1部:ルチアの天使

 昼が過ぎ枢機卿の随員からパンを頂きましたが、まだコトリ部長は教会から出てきません。遅れてくるはずのシノブ部長も来ません。じりじりする時間だけが過ぎていきますが、待つしかありません。そこに一台のタクシーが。下りて来たのはシノブ部長です。とにかく寂しかったので飛びついちゃいました。

    「コトリ先輩、まだ」
    「はい、まだです」
 枢機卿の随員が不審そうな目をしましたが、ミサキとコトリ部長の同僚との説明を聞いて納得してくれました。シノブ部長は乗ってきたタクシーを待たせたままにしています。さらに一時間ぐらい経った時に、コトリ部長が入ってからずっと閉ざされていた教会の扉が開いたのです。開くと同時にマンチーニ枢機卿が転がり出して叫びました。
    「イティ・イネキュス・セビーラス」
 続いて出て来たコトリ部長は光輝く衣裳に、様々なアクセサリーを身にまとっています。その姿を見ただけで思わずたじろいでしまうほどの迫力があります。
    「サム・エキス・ペレレクタス。エト・ルチア・アンジェルス」
 これはラテン語ラテン語も単位は取ったけど、会話となると怪しくて、おそらく『私は目覚めた、私はルチアの天使』のぐらいの意味になるはず。枢機卿は地面にひれ伏しています。枢機卿の随員もまたそうです。ミサキでさえ膝まずいてしまいした。
    「インピウス・クム・イン・メンテ・オペッレッシ・マンチーニ。エゴ・サム・プリームス・アンジェルス・プリウス・オクールイット」
    「タリ・アリクイッド・・・」
 わかりにくい。たぶん、『マンチーニの邪悪な意図は砕かれた。第一の天使と既に会っている』ぐらいだと思うけど、合ってるかどうか自信がないわ。コトリ部長はシノブ部長を指し示し、
    「エチェ・エアム」
 これは『彼女を見よ』ぐらいかな。枢機卿はシノブ部長の方を見て驚愕しています。枢機卿はようやくイタリア語で話してくれて、
    「ま、まさか、そんなことが・・・」
    「まさかは起ったのだ。私が気づいていないとでも思っていたのか」
    「う・・・」
    マンチーニよ、私は神戸のルチア・ベレ・エクレシアで秘本を読んだのだ」
    「あれは天使と言えども読めないはず」
    「逆だマンチーニ、天使であるから読めたのだ。天使にとってあの程度の封印は無きに等しい」
    「そんなバカな、天使と言えどもあの封印を破るには」
    「まだわからぬかマンチーニ、聖ルチアにも会っているのだ」
 ワナワナと枢機卿が震えているのが見えます。
    「愚かだったなマンチーニ。聖ルチアに会い、第一の天使にも会っている私に秘儀をわざわざ施そうとするとは。お前の秘密はすべて知った。これからヴェチカンに行きたいか」
    「それだけはお許しを」
    「ではエレギオンを解放せよ。あれは聖ルチアのためのものだ。既にお前の邪法は通じぬ」
    「わかった」
    マンチーニよ誰に向かって口を利いておるのだ」
    「かしこまりました。仰せに従います」
 コトリ部長は随員の一人を指さし、
    「取ってまいれ」
 弾けるように飛び出した随員は教会の中に入り、コトリ部長の服を取ってきます。シノブ部長を乗せてきたタクシーの運転手も完全にひれ伏していましたが、しずしずの歩み寄ったコトリ部長は、
    「乗せてもらうぞ」
 飛び上るように立ち上がった運転手は、タクシーのドアを開けコトリ部長を乗せます。シノブ部長とミサキも乗り込みます。シノブ部長が、
    「ホテルに帰ってくれる」
 そういうとタクシーは猛然と走り出しました。そこからは誰もが無言のままです。三十分ほど経ってからコトリ部長はタクシーの運転手に、
    「そちの名は」
    「ジョバンニと申します、天使様」
    「ではジョバンニよ、あそこで見たり聞いたりしたことを人に語ってはならぬ。語らねばそちに幸せが訪れるであろう。もし語れば、その報いを必ず受ける」
    「決して語りません。天使様の言葉は絶対にございます」
 やがてホテルにタクシーは着きましたが、運転手は料金を決して受け取ろうとせずに走り去りました。コトリ部長の服はさすがにホテルで目立ったと思うのですが、フロントも何も言わずにルーム・キーを捧げるようにコトリ部長に渡します。部屋に入ったコトリ部長は、
    「なんとか終わったよシノブちゃん」
    「コトリ先輩、格好イイ」
    「だ か ら、この服嫌いなのよ。とにかくカビ臭いし」
    「ホントだ。ファブリーズしましょ」
    「クリーニングできそうにないものね」
 コトリ部長はシャワーを浴びにいかれました。コトリ部長が部屋から居なくなると、少しだけ緊張が緩みシノブ部長に聞いてみました。
    「なにが起こったのですか?」
    「やっぱり、ああなったかってところかな」
    「コトリ部長は全部知っておられたのですか」
    「そうじゃないよ、たぶんそのはずの賭けの部分が相当あったんだ。最後はどっちに転ぶかわからなかったよ」
    「かなり危険だったのですか」
    「危険ねぇ・・・これも『たぶん』だけど、コトリ先輩が素直に最後の秘儀を受けていたら、おそらく今まで通り。ああなってしまったから、こっちの方がある意味危険かな」
    「どういうことですか」
    「そりゃ、ああなったコトリ先輩がどうなるかが、わからないから」
 シノブ部長の話も、どこか雲をつかむようなお話です。
    「とにかく扉を開いてしまったのだから、そこから先のことはコトリ先輩から聞かないと私もわからないのよ」
    「扉って」
    「天使の記憶の封印よ。コトリ先輩の気力が残っていたら、今夜にでも聞けるよ。私も知らないことが多いの」
 それにしてもマンチーニ枢機卿が教会の扉から出てきて、そこから起こった事は現実のものはとても思えません。シノブ部長が第一の天使で、コトリ部長は聖ルチアに会っているってどういうこと。ただその夜はコトリ部長も、
    「今日はさすがに疲れた。悪いけど寝る」
 と寝込んでしまいました。夕食はシノブ部長と二人で取ったのですが、
    「シノブ部長、どうなっているのか少しは教えてください」
    「見たままよ、ルチアの天使は目覚めたの」
    「シノブ部長が第一の天使ってどういうことですか」
    「聞いたままよ、でも詳しいことはコトリ先輩から聞いた方がイイよ。私も楽しみにしている」
    「ではエレギオンの解放って、どういう意味ですか」
    「それはね、会社の方のお仕事になってくるわ」
 これ以上は何を聞いてもシノブ部長は教えてくれませんでした。謎を山ほど抱えたままシラクサの夜は更けていきました。