私は香坂岬。友達からは『ミサキ』って呼ばれてます、今日はクレイエールの入社式。この会社はアパレルメーカーなんだけど、ここのところ業績急上昇中で人気なんです。とくに女性社員を活用するとの評判が高くて、ここを狙っていました。だから内定もらった時には飛び上るほど嬉しかったものです。
入社式は社長以下の重役たちの祝辞とか、昨年入社された先輩の励ましの言葉もあったりしました。そこから順番に呼ばれて入社辞令が授与されます。これで晴れてミサキもクレイエールの社員となったわけです。クレイエールではまず研修があり、そこで適性や希望を聞いて配属先が決まります。
そこから新入社員からの答辞。もう学生じゃなく社会人になったんだの実感が湧いてきました。答辞が終わるとオリエンテーションです。それぞれの業務についての詳しいことは研修所で行われるとのことで、明日からの研修に向けての説明が中心でした。女性社員は制服があるのですが、採寸についても研修所で行うとの事でした。オリエンが済んだところで記念撮影。
学校の時から、こういう式はたくさん経験していますが、入社式はまた格別の感慨があります。入社式が終わる懇親パーティで、近くのホテルに移動して行われました。会場に入るとテーブルに名札があり、それを探して座ります。全員がそろうと社長から、
-
「これからは仲間として我が社の発展に尽くして頂きたい。長い話は入社式の祝辞でやったから、ここでは楽しんでくれたまえ。では乾杯」
「カンパ〜イ」
とにかく新入社員以外はすべて『おエライさん』になりますから、出来るだけ良い印象を与えておくのを心掛けて会場を回っていました。社長や専務には挨拶を済ませましたが、副社長は自分で足を運んでテーブルを回られています。そろそろわたしのテーブルに回って来そうなのでスタンバイです。
そんな時に会場に入って来られた二人組の女性がおられます。それも若いのです。一人は二十代半ば過ぎぐらい、もう一人はもっと若くて、ミサキと同い年ぐらいにしか見えません。ただうちの社員であるのは間違いなく、若い方の女性は制服を着られています。それとなによりお美しいとしか言いようがありません。
ミサキだって大学のミスコンで準ミスに選ばれたぐらいですから、容姿にそこそこ自信があるのですが、そんな自信を根こそぎ吹き飛ばしてしまうぐらいです。懇親会場でさっそく仲が良くなった白石さんに聞いてみました。
-
「白石さん」
「もう白石さんはやめてよ、マリでイイわよ」
「じゃあ、マリさん」
「『さん』もいらないって」
「じゃあ、じゃあ、マリちゃん。あそこの女の人、誰だろ」
「この会場に来るぐらいだから、おエライさんと思いたいけど、若すぎるよね。秘書さんが誰かに用事ぐらいじゃないのかなぁ」
-
「挨拶は後でゆっくり聞いてあげるから座ったままでいてくれる。ちょっと頼みごとがあるの」
「はあ」
「もうすぐ副社長がこのテーブルに回ってくるわ」
-
「このテーブルに来たら、気づかないフリをしておいてくれる。それでね、声をかけられたら驚いて挨拶する感じにして欲しいの」
「はあ」
「それと、ここが一番肝心なんだけど、立ち上げって挨拶する時に、副社長の背後に回ってやってくれる。副社長がテーブルを後ろに立つ感じでね」
「は、はあ」
「それでね、きっちり頭を下げていて欲しいの。そこから、私たちが少し話をするんだけど、いかにも興味ありそうに見ていてくれる。お願いよ」
「でも、そんなことをしたら・・・」
「だいじょうぶ、悪いようにはしないから」
-
「どうしようミサキちゃん」
「やること自体はそれほど失礼なことではないと思うけど」
「そうなんだけど・・・」
-
「ようこそ我が社へ」
-
「今度入社させて頂いた香坂岬です」
「同じく白石真理です」
-
「今後の御指導、御鞭撻宜しくお願いします」
-
「やっとつかまえた。いっつも、私に仕事押し付けて逃げるんですから。イイ加減、ブライダル事業から手を引かせて下さいよ。今度、情報調査部に調査課が出来るんですから、手が回らないんですよ」
「おおう、結崎君じゃないか。その話は・・・」
-
「今日は逃がしませんよ。このブライダル事業本部長代理ってなんなのですか。私と結崎部長はあくまでもヘルプなのに、これじゃ正式の掛け持ちじゃないですか」
「いや、その小島君・・・」
-
「こんな本部長代理なんて肩書聞いたこともありませんし、こんなものになるって内示も相談もなかったじゃありませんか」
「本部長代理就任に関しては社長とも・・・」
「また社長で逃げられるのですか。それにしてよくもまあ、こんな役職名考えたものです。代理もなにも、行ってみたら、いっつも、いっつも、ゼロから『後はヨロシク』で丸投げじゃないですか。お蔭で情報調査部の仕事に支障が生じています」
「私もです。総務部の仕事に滞りが生じています。どうしてくれるのですか」
ブライダル事業と言えばクレイエールの最近の大ヒットで、発売されるや否や話題沸騰の大人気商品です。ミサキも結婚する時に是非使いたいし、社員割引があったら嬉しいと思っているぐらいです。そのブライダル事業に、なぜ総務部長と情報調査部長が関連されているのか良くわからないところです。
-
「結果的に二人にはブライダル事業を手伝ってもらったし、そこでの評価を考えてだねぇ」
「手伝う? あの丸投げがですか。あれは、誰がどう見ても『全部やらせる』です」
「そうですよ。そのうえ、こんな肩書押し付けられたら、今度は業務命令でコキ使うになるじゃありませんか」
-
「今日は新入社員の諸君のための懇親パーティだから、仕事の話はこれぐらいにしよう。後日、ブライダル事業についての協力の件は相談ということで」
「副社長、後日っていつですか。今年に入ってからも相談のアポを四回取りましたが、いっつも、いっつも、いっつも、急用って言ってスッポカしてるじゃないですか」
「私も三回スッポカされています。たった三ヶ月で七回もスッポカされてる副社長の後日って来年ですか、再来年ですか」
「いや、その、私も忙しくて悪かったと思っている。必ず相談するって約束する。私を信用してくれないか」
「どう信用させて頂いたら宜しいのでしょうか」
「また急用ができると信じさせて頂いたら宜しいのでしょうか」
-
「えっと、えっと、そうだ、そうだ、香坂君、白石君って言ったね」
「はい」
「この二人に証人になってもらう。この綾瀬が必ず近いうちにブライダル事業についてきちんと説明して、今後の協力内容について相談すると」
「副社長、ここのお二人はこれから合宿研修に入られます。それを理由にまた一か月逃げる気ですか」
「そうですよ、こんなに待たされてるのですから、どうして今からとか、明日とか言わないのですか。新入社員の前で、こんな曖昧な返答が許されると思っているのですか」
それと小島部長はあれだけの剣幕で話しながらも微笑みを絶やしません。ただ微笑みに凄味が加わってくる感じでしょうか。結崎部長は真剣に怒っているのですが、怒れば怒るほど光り輝きます。目の錯覚かと思って何度も見直しましたが、ドンドン眩しくなっていきます。
その輝きは怒っているはずなのに、見るものを陶酔させます。マリちゃんの目を見てもトロンとしてます。たぶんミサキもそうなってると思います。なにか天国で漂っているような感じです。副社長の目さえそんな感じに見えてきます。副社長は切羽詰まったのか、大きな声で、
-
「社長、専務。ちょっと来てください。お願いします」
-
「小島君、結崎君、この場は社長であるこの私の顔を立ててくれんか」
-
「香坂さん、白石さん、ありがとう。小島知江です。総務部長やってるの。呼ぶときはコトリでイイよ」
「私は結崎忍。情報調査部長やらされてるの。これからはシノブって呼んでね」
-
「ひょっとしてお二人は微笑む天使と輝く天使ですか」
-
「そうされちゃってる。エライ迷惑なんだよね」
「それを言うならコトリの方よ。微笑む天使ブランドにまんまと引っ張りこまれて、シノブちゃんにどれだけこき使われたか」
「それを言うなら、最初に嵌めたのはコトリ先輩ですからね」
-
「ところで香坂さん、白石さん。二人は歴史に興味はある?」
-
「イタリア文学といえばダンテとかボッカチオ、ペトラルカの世界?」
「はい、そうです。ですから中世からルネッサンスの歴史に興味があります」
「だったら歴女の会においでよ。コトリもシノブちゃんも入ってるから」
-
「研修所での合宿研修が終わったら、各部署での実地研修になるから、その時に可愛がってあげるよ。楽しみにしておいてね。だいじょうぶ、イジメたりしないから。歴女の会も気が向いたらおいで。やってることは飲み会みたいなものだから」
-
「どこに配属になるかはわからないけど、うちに配属になったらよろしくね。ちゃんとお世話してあげるよ」