天使のコトリ:綾瀬専務

 料亭の日から、私はコトリ先輩の件から手を引いています。わかった範囲だけでも報告するって約束したけど、なんか疲れちゃって、そうやって一度足が遠のくと、もともとあれだけ雲の上の人ですから、高野常務ですら会いに行くのに気が重くなっています。

 そんな時に綾瀬専務から呼び出しがありました。内心『やべぇ』って感じです。私が報告をサボっているのを注意するためじゃないかって。でもさぁ、私の担当は基本的に高野常務だったはずで、なんで綾瀬専務なんだろ。

    「結崎です、失礼します」
 ちょっとじゃなく、かなりドキドキして専務の部屋に入りました。ほほぉ、高野常務の部屋も立派でしたが、さすがに専務の部屋はもっと高そうなものがそろっている感じです。綾瀬専務は実力者でして、次期社長とも噂されています。本来のナンバー・ツーは副社長なのですが、次期社長となればナンバー・スリーの綾瀬常務の声が社内では高いところです。この辺は、副社長の評判が今一つってのもあります。
    「よく来てくれた、かけてラクにしたまえ」
    「では、失礼させて頂きます」
 なんか豪華そうなソファに座るように勧められたのですが、これがエライ柔らかくて、
    「うわぁ」
 てな感じで、後ろにひっくり返りそうになりました。そしたら専務が、
    「いや、悪かった。そのソファ、ちょっと柔らかすぎて、沈み込みすぎるから、知らずに座ったら、そうなるのを言うのを忘れてた」
 なんか最初からドタバタでアタフタさせられたのですが、おかげでちょっと空気が和んだ感じです。
    「どうだね、少しは元気が出て来たみたいだね。前に料亭で会った時には、最後にあまりに悲壮な顔つきになっていて心配していたんだよ。あれから高野常務のところにも顔を出していないようだし」
    「申し訳ありません」
    「謝る事はないんだよ。君にかなりの無理をかけたことは、社長も私も良く知っている。あのまま潰れてしまわないか心配していたんだ。今日は元気そうな顔が見れてホッとした気分だ」
    「お気遣いありがとうございます」
    「そういえば仕事の方の評判も高いみたいだな」
    「まだまだ、勉強中です」
    「えっと、なんて言ったかな、鉈の結崎だったかな」
 だから鉈は嫌だって、
    「最近では黄金の鉈とも呼ばれてるそうじゃないか。悪かった、悪かった、君は鉈って呼ばれるのを嫌がってるのも聞いてるよ」
    「ありがとうございます」
 どうも注意とか、叱責ではなさそうですが、なんの用事なんだろう。
    「今日来てもらったのは、他でもないのだが、ちょっと私とデートしてくれんか」
    「デートですか?」
    「うむ、前に高野常務が行った話を聞いて羨ましくてな。君のような素敵な女性とメシを食べたらどんなに美味しいかと思ったんだ」
    「はい、いつですか」
    「急で悪いが、今晩どうだ」
    「かしこまりました」
 場所とタクシーチケットを渡されちゃいました。仕事が終り店に行ってみると、こじんまりした感じでした。中に入るととにかく狭くて、狭くて。カウンターの和食屋さんみたいなのですが、椅子の後ろがすぐ壁って感じなのです。なんとか専務の隣に座れました。
    「専務の誘いだから、もっと豪華な店を予想していたかな」
    「いえいえ、とんでもございません」
 話を聞いていると、専務の昔からの行きつけらしくて、大将とも話が弾んでいます。
    「専務、その子でっか。専務が綺麗、綺麗ってあんだけいうもんやから、どんだけかと思てましたが、ウソつきましたな」
    「ウソなど言ってないぞ」
    「こんのもの綺麗やおまへん。むちゃくちゃ綺麗っていうてくれへんと全然足りまへん」
    「そりゃ、そうかもな」
 私はどう口を挟んで良いかわからず、ドギマギしてましたが、
    「ホンマに別嬪さんやなぁ。そういえばだいぶ前に、これもゴッツイ別嬪さんを連れて来られたことがありましたなぁ」
    「小島君のことかね」
    「そうそう小島さん言うてはったわ。あの人と変わらんぐらい別嬪さんやと思います」
    「大将もそう思うか」
    「今やったら、社内で一番ちゃいまっか」
    「私はそう思ってる」
 なんか無暗に褒めちぎられて、ちょっと居心地の悪い感じです。でも料理はなかなかです。どうも素材に凝っている店らしくて、出るたびに
    「沼島の赤うにです。須磨の海苔でどうぞ」
 こんな感じの説明が付きます。それが変にこねくりまさずに出てくるんで、素直に美味しいってところです。そうやってしばらく時間を過ごしていたら、
    「専務、遅くなりました」
 あれっ、専務はデートって言ったはずなんですが、もう一人いるみたいです。それもなぜかミツルさん。
    「佐竹君、先に始めてたぞ」
 そういえば、綾瀬常務は営業畑あがりで、今でも主に営業の担当をやっておられます。
    「結崎君、佐竹君は将来有望の我が社のホープだ。間違いなく、私ぐらいには出世する。社長だって夢じゃない」
 そこにミツルさんが、
    「専務、いくらなんでも言い過ぎです」
    「いや、私はそれぐらい君を買っとる。それだけ能力と才能が君にあるのは間違いない。まあ重役レースは複雑だから、社長までは一筋縄にはいかんだろうが、君の前途は洋々としている」
    「過分のお褒めの言葉ありがとうございます。今後の精進の糧にさせて頂きます」
 ミツルさんが将来を嘱望されているのは知ってましたが、綾瀬常務派ならますます有望なのは、社内力学に疎い私でもわかります。それはイイとして、どうしてミツルさんと私が呼ばれたのかってところです。
    「ところで結崎君、君はなかなか『うん』といってくれんらしいな」
    「専務、こんなところでやめて下さい、結崎さんに失礼じゃないですか」
    「実はだな、佐竹君に前に相談を受けてたんだよ」
    「だから専務、堪忍して下さいよ、お願いします」
 ミツルさんが慌てふためいているのがわかります。でも、ミツルさんってこんな個人的な相談を専務とできるぐらい仲が良いのもわかりました。
    「どうだ結崎君、この綾瀬の顔を立てて、この場で『うん』と言ってくれんか。もちろん媒酌人は私がすると言いたいが、社長も高野常務もやりたがるだろうから、三人でのバトル・ロワイヤルに勝てればの話にしておく」
    「専務、ちょっと待ってください。まだ結崎さんとはお付き合いもしていない、タダのお友達です。それなのにいきなり媒酌人とか・・・」
    「佐竹君、君は前に私に言ったじゃないか。この世で考えられる最高の女性を見つけたと。あの時にどれほど結崎君の美しさを褒め称え、素敵さを力説したことか。二時間ぐらい延々と、結崎君がどれほど素晴らしい人であるかの大演説だったぞ。それなのに君は、お試し期間のお付き合いが必要だと言うのかね」
 ミツルさんの顔も真っ赤でしたが、私もおそらく真っ赤っ赤だと思います。目だってシロクロがグルグル状態に違いありません。なんとか平静さを装いながら、
    「綾瀬専務。御言葉は有難いのですが、もう少しだけ時間を頂けませんか」
    「時間とはどれぐらいだね」
    「理由はこの場では・・・」
    「佐竹君は私の腹心みたいなものだ。話してもかまわん」
    「いえ、例の問題に関わる事なので」
    「ああ、あの問題か。それでも構わん。今日、佐竹君に来てもらったのは、あの問題に協力してもらうこともあったんだ。この件については君に負担をかけ過ぎたのは、社長も反省しておる。四人で担当と言いながら、実質的に結崎君にオンブに抱っこみたいなものだったからな」
 えっ、ミツルさんも加わるの。それはそれで嬉しいけど、
    「では、お話します。話せる日がいよいよ近づいています」
    「前もそう言っていたが、どれぐらいだと見てるかね」
    「長くて三か月以内かと」
    「ついにか」
 綾瀬専務は宙を見上げます。
    「佐竹君はどう思うかね」
    「ボクも同じ意見です」
    「その結果を待ちたいのか。結崎君、君にはまだ影響が残っているのかね」
 微妙な問題をミツルさん前で話すのはためらわれましたが、
    「だいぶ減りましたが、まだ完全には」
    「それなら、仕方がない。でも君は佐竹君が好きかい」
 もう耳まで真っ赤だと思います。
    「はい、だからこそ、この影響が残るうちは避けたいのです」
    「そういうことか」
 ミツルさん怒らないかな。それともこの件に関わるということで、既に聞いてるのかな。『話せる日』のことも知ってたみたいだし。
    「この場で結崎君の返事を聞けなかったのは心残りだが、ここまで言ってもらえれば佐竹君も少しは満足しただろう」
    「専務、この辺で堪忍して下さい」
    「はははは、結崎君の結婚問題も重要なんだが、今日は二人に頼みたい調査がある。佐竹君には既に始めてもらっている、後で詳しく聞いてくれ、大雑把なところでいうと・・・」
 調査の内容は、うちの会社のある問題というか、伝説というか、伝承に関わるお話です。この調査のために臨時の特命課が作られ、形式上は社長の直属、実質的には綾瀬専務の指揮下に置かれるということです。そこに配属されるのが私とミツルさんってお話です。近日中に辞令も出されるそうです。
    「結崎君、了承してくれるかね」
    「はい、承知しました」
    「それと特命課では君が課長で、佐竹君が部下になる」
    「そ、そんな。佐竹さんは係長で私はヒラです」
    「これは佐竹君も了承しているというか、そういう希望だ。この件に関しては、君が一番詳しいからね」
 なんかまた大変な仕事が待ってるみたいです。