天使のコトリ:天使の恋

 最近のコトリ先輩の笑顔が輝いておられます。そのお蔭か業績も絶好調なんですが、私は総務部長に、

    「ちょっと話しがあるから夕食を付き合ってくれ」
 こう言われちゃったのです。鬼瓦部長と食事なんて気づまりで嫌なのですが、部長の様子からして私を口説こうみたいな話でないのは女の勘でわかります。というかそれ以前に、あれであの部長は社内でも有名な愛妻家というより恐妻家なのです。
    「・・・付き合わせてもらって申し訳ないのだが・・・」
 聞くとコトリ先輩の笑顔が輝いておられるのが重役会議で深刻な問題になっているとの事です。そうそう部長だって立派な重役だと思うのですが、うちの会社で重役とは部長の上の本部長クラスないし、部長でも執行役員とかの肩書が加わったものらしいです。
    「それがなにか問題なのですか」
    「前の時のことを覚えているだろう」
 部長がなにを言いたいか、やっとわかりました。コトリ先輩は以前に恋をされ、こぼれるような笑顔で業績を絶好調にしましたが、その後の失恋のショックで笑顔が無くなり倒産まで心配される状況に追い込まれています。
    「今回の笑顔も恋の可能性が高いと重役会議では考えているようなのだ」
    「コトリ先輩だって恋をしますよ」
    「それはわかっているのだが、どうなっているかの情報が欲しいのだ。なにか聞いていないか」
 残念ながら私も何も聞いていません。でも、あのコトリ先輩の輝く笑顔の原因が恋の可能性であることは私も同意見です。
    「そこでだ、結崎君、なんとか聞きだしてくれないか」
    「聞いてどうなされるのですか?」
    「社としては、前回のような失恋で悲痛な顔になる事態をなんとか避けたいのだ」
 部長にそこまで頼まれたらNOとも言えないので了承しました。ついでに軍資金までもらっちゃいました。さて、もらったのは良いのですが、どうやって聞きだすかになります。コトリ先輩は後輩を引き連れて食事や、飲みに行くことはしばしばあるのですが、あんまり二人っきりで行くことが少ないのです。どちらかと言うと、大勢でワッと盛り上がるのが好きみたいなのです。もちろん、歴研ともめた時みたいな相談ごとの時は二人で行くこともありますが、さてどうしたものかです。

 コトリ先輩と二人で飲む段取りがなかなか思いつかなかったのですが、そうなると部長の目が怖くなってきました。たぶん、部長も重役から尻を叩かれてるんだろうと思いますが、ホント引き受けなきゃ良かったとウジウジ悩んでいたのです。そしたら、

    「シノブちゃん。この頃、元気ないわよ。悩み事があるなら聞いてあげるよ。今晩でもどう?」
 こういうのを怪我の功名というのでしょうか。私がコトリ先輩から恋の進展状況を聞くために、ウジウジ悩んでいたのが、よほどの悩み事で困っているように思われてしまったみたいです。ワインレストランに連れて行ってもらったのですが、後はどうやって聞きだすかです。あれこれ考えたのですが、ここはダイレクトに聞いてみることにしました。
    「コトリ先輩って、もてるんでしょ」
    「そうでもないわよ。そうでもないから未だに独身じゃない」
    「でも、恋人はいらっしゃるのでしょ」
    「今はいないよ。でも好きな人ならいるよ」
 これはなんてラッキーな、コトリ先輩から言い出してくれました。やっぱりコトリ先輩は恋をされてるんだ。
    「そうなんですか、コトリ先輩に想われる男の人って幸せですねぇ」
    「それがねぇ、なかなか『うん』と言ってくれないというか、交際すら申し込ませてくれないの」
    「ウソ、信じられない」
 これは正直な感想です。コトリ先輩ほどの女性に想われて振り向かないというか、はねのける男性なんているとは思えないからです。
    「どんな人なんですか?」
    「うんとね、世界一イイ男よ」
    「世界一ですか」
    「お世辞抜きでそう思ってるの」
 ここまで立ち入った話をコトリ先輩から聞くのは初めてです。こりゃ、部長からの依頼でなくてもぜひ聞きたい。
    「その人はね、私を歴女にしてくれた恩人なの」
    「先輩をですか。じゃあ、今でも詳しいのですか」
    「前に歴研との討論会で桶狭間やったじゃない。あれもその人と一緒に一生懸命ムックして調べたものなのよ。その人の歴史ムックに付いて行くのは本当に大変だったの。でも、楽しかったわ」
 ひぇぇぇ、あのレベルでコトリ先輩は歴史を楽しんでいらっしゃるんだ。だから歴女の会に顔を出されなくなったのかも。
    「実はね、コトリから交際を申し込んだし、プロポーズだってしてもらって、それをコトリは受けたんだ」
    「それじゃ、交際どころか、もうすぐ結婚とか」
    「そこまで近づいてたんだけど、捨てられちゃったの」
    「コトリ先輩をですか」
    「そう」
 この話って、もしかして前の失恋事件の話と関連するのかな。
    「それじゃ、失恋で終ったのですか」
    「それがね、再びチャンスが回ってきたの」
 えっと、えっと、あの失恋事件は二年以上前のはず。まさか、そこからずっと想いつづけてるとか。
    「でもね、ライバルがいるのよ」
    「天使の微笑みのコトリ先輩と競えるライバルなんているのですか」
    「うん、それがいるのよね」
    「ひょっとしてライバルの女の人は私ぐらいの若さの人とか」
 どう考えてもコトリ先輩の同年代の女性では勝負にならないとしか思えないのです。もしコトリ先輩と競ってるなら若さを武器にしているぐらいしか思いつきません。
    「ライバルも若くないよ。同い年だもん」
    「同い年の女性でコトリ先輩と競える女性がいるなんて信じられません」
    「そんなことないよ。見てみたい?」
 そりゃ、見たい、見たい、ぜひ見たい。
    「ほら、この人」
    「ふぇぇぇ、なんて、なんて綺麗な人・・・」
    「そうでしょ」
    「でもこの人って、フォトグラファーの加納志織じゃないですか」
 加納志織は、今人気ナンバーワンの美人フォトグラファーです。私も前にドキュメンタリー番組で見たことがあります。番組では、
    『撮られるアイドルや女優より、撮る加納志織の方が遥かに美しいのが難点』
 こんな紹介がありましたが、ホントにそう思いました。それぐらい飛び抜けて美しい人です。コトリ先輩のライバルが加納志織なら、これはどちらが勝つかは私でも予測が難しくなります。
    「綺麗でしょ。シオリちゃんはね、女神様と呼ばれていたのよ」
    「えっ、加納志織とお知り合いなんですか」
    「そうよ、高校の同級生。ちなみにコトリは天使って呼ばれてた」
 初めて聞くお話です。コトリ先輩って高校の時からあだ名が天使だったとは。でもそう呼ばれると思います、そうだったと聞いても全然違和感ありませんし、むしろピッタリって感じですから。それにしても、天使と女神様が同時におられたのですから、校内は大騒ぎだったのだろうって思いました。
    「でも性格悪いとか」
    「そうだったら、助かるんだけど、シオリちゃんもとってもイイ人なんだよ。それだけじゃ、ないんだよ。コトリはプロポーズされてるけど、シオリちゃんは同棲してた時期もあったんだ」
 いったいどんな男なんだろう。だってコトリ先輩がプロポーズを受けてるだけじゃなく、加納志織と同棲してたって。世の男どもが聞いたら、一斉に石を投げるんじゃないかと女の私でも思うもの。
    「なぜその人は先輩も加納さんも選ばなかったのですか」
    「それはね・・・」
 男女の仲ですから別れることもあるのは仕方がないと思うけど、驚かされたのは、その人が最終的に選んだ女性が天使と女神様よりもっと素敵だったってお話。なんかもう、想像するのも大変すぎて。この選ばれた女性は結ばれて間もなく亡くなってしまっているのです。

 その女性もコトリ先輩が良く知っている女性と言うか、これまた同級生のようで、コトリ先輩は『ユッキー』とか『氷姫』って呼んでいます。コトリ先輩も高校卒業後は会ったことはないそうですが、加納志織は亡くなる少し前に会ったみたいで、大絶賛するほど素敵だったそうです。

    「その方とユッキーさんも大恋愛だったのでしょう」
    「そうよ、籍こそ入れてないものの心の夫婦だっていつも言ってるぐらいよ」
    「他の女性を愛することが出来るのですか」
    「だから、そうなってくれるのを期待して待ってるの。だから、交際も申し込めない状況って言ったでしょ」
 聞きながらクラクラ目眩がしています。コトリ先輩はプロポーズを受けたものの捨てられ、さらに別の女性と心の結婚までした男性をひたすら想っているのです。これは加納志織も同じで、同棲までしていたのに捨てられて、ユッキーさんとその男性の関係まで知っていて、一途に想いつづけているってことになります。

 二人はユッキーさんを失って傷心の男性を慰め、再び恋が出来る機会をひたすら待ち続け、その時がいつか来るのだけを夢見て恋してるのです。そんな恋が世の中にあっても悪いとは言いませんが、それをやっているのがコトリ先輩と加納志織なのです。

 コトリ先輩にしろ、加納志織にしろ、女から見ても綺麗すぎて、素敵すぎる女性です。ですから、男に追っかけられるのが当然で、血相変えて追っかける側に立ってる方が、そもそも不自然です。普通なら、どちらかに声をかけられただけで、どんな男だって舞い上がって落ちるはずです。そこまでの二人が、ここまで想いを傾け切る男ってどうなんってところです。やっぱりどんなイイ男なのか、どうしたって、気になる、気になる。

    「その人の写真はないのですか」
    「あるけど、見せてあげないよ。これ以上、ライバルが増えたら困るから。シオリちゃんだけではなく、シノブちゃんまでライバルになられたら勝てないもんね」
    「私なんか、先輩のライバルになれるはずがありません」
    「あのね、写真で見せて自慢できるようなイイ男じゃないの。ホントにウソじゃなくて外見はイマイチだよ。あのシオリちゃんも惚れてるぐらいだから、物凄いイケメンを想像してると思うけど、見たらきっとガックリするよ。でもね、心というか内面がこれ以上はないほど飛び切りピュアなの」
    「御職業は?」
    「あぁ、お医者さんだよ」
 そう話されてるコトリ先輩がまるで夢見てるようでなんです。もう間違いありません。コトリ先輩の笑顔が輝いている理由が恋であるのは。それもタダの恋ではなくて超弩級の大恋愛。さらにそれだけじゃなく、加納志織という強力すぎるライバル付き。
    「でも、コトリ先輩ならきっと勝てます」
    「勝てればイイけどね。とにかくシオリちゃんは手強いんだ」
 そこら辺まで話を聞かせてもらってお開き。これだけ情報があれば部長も満足だろ。食事はコトリ先輩に奢ってもらったから、軍資金は丸儲けになっちゃってちょっと嬉しい。なにを買おうかな。