リンドウ先輩:慰労パーティ

 ここは慰労パーティ会場。勝ってれば大祝勝会の予定だったけど、負けたんで竜胆監督がささやかにやろうって。そうしていたらお好み焼き屋の大将が特大ブタ玉を三十枚ぐらい持ってきてくれて、

    「エエ試合やった、感動した。でも、あの敬遠は男のすることか・・・」
 そこまで言ったところで悔し泣きになってしまった。それだけでなく、強化合宿の時にお世話になった宿の女将さんまで豪勢なオードブルをゴッソリ持ってきてくれて、
    「ホンマに頑張りはった。せめてもの感激の印。それにしても、あの敬遠はちょっとあかんよね・・・」
 そこからはすすり泣きになってしまい、顔を伏せてしまっていた。校長もピザを二十枚ぐらい差し入れにもってきてくれたのだが、
    「私はね、高校スポーツは、ああなっちゃいかんと・・・」
 長くなりそうな予感がしたんだが、立ち尽くしたままハラハラ涙を流して、それ以上は絶句してしまい何も話せなくなってしまった。他にもあれこれと差し入れがあって、それなりに豪華なパーティになってる。ただ、どうしたってみんな水橋の敬遠の話になるし、悔し涙が出るのはわかる。

 とにかく水橋は結局準決勝から二試合連続の十連続敬遠になったから、球場内の雰囲気はとにかく異様だった。一回が三者凡退の後に、二回の水橋の無死走者なしの第一打席で、敬遠策が取られた時のどよめきというか怒号から凄かった。これは打席を重ねるごとにヒートアップした。もう極楽大附属は球場全体を敵に回してた。大げさにいえば日本中を敵に回している感じさえした。今日の全国の夕方のトップニュースになってるぐらいだ。明日もこの話題で沸騰しそうな気がする。

 もう球場全体の応援はうちの方に一辺倒になっていた。極楽大附属の応援席でさえブラバンの音だけで、声は回を追うごとに小さくなっていた。途中で席を立つ者も少なくなかった。いくら母校でもそうなる気持ちはわからないでもない。

 うちの応援席もリンドウがいくら頑張って押さえて回っても、あれぐらいは荒れるだろう。校長なんて教頭と一緒になって、スタンドの一番前の金網にしがみついて顔を真っ赤にして怒鳴ってたから。試合終了時に二人で乱入しかねない勢いだったのを顧問の先生や後援会長たちが必死になって止めてたぐらいだった。ボクだって偉そうなことは言えない。応援席にいたら、ああなっていたかもしれない。これもかなりの問題行為だが、

    「敬遠大好き極楽大、恥とも思わん極楽大、水橋一人に、勝てない極楽大」
 これを『花さかじいさん』のメロディーに乗せてやるんだが、水橋の第四打席の時には球場中が大合唱状態だった。この後に水橋の敬遠が終わるまで延々と、
    「卑怯者、卑怯者、卑怯者」
 このシュプレヒコールが球場を震わせるように続いてた。マナーとして残念とは思うが、あれをどうにかするのは、あの空気の中では誰にだって無理だ。一方で極楽大附属のエースは味方応援団さえからも、相当野次られながらだったから完全にヒールって役どころにされていた。正直なところ同情した。あれでよく投げられたものだ。プロからも狙われてるらしいがきっと大成すると思う。


 向こうで泣き顔の夏海が土下座しそうな勢いで水橋に謝ってる。水橋敬遠策を破るには夏海のバットがカギだったんだが、SSU附属戦も、極楽大附属戦もヒットどころか打点すら出なかった。とくに決勝の極楽大附属戦では全部三振だったんだ。責任感の強い夏海にしたら、たまらなかったと思う。

 夏海は外角は強いが内角がやや苦手なんだ。SSU附属戦はそこを上手く突かれて封じ込められてた。極楽大附属も同様の戦術を取って来たけど、夏海も対抗策を取っていた。夏海は内角が苦手だったので普段はバッター・ボックスではやや下がって構えるんだが、極楽大附属戦では思いっきりかぶって構えてた。かぶると言っても半端なものじゃなく、ホームベースに文字通り覆いかぶさるような構えで、内角に少しでも深く入ればデッドボールてな感じだ。いや、ストライクでも当たるぐらい被ってた。

 決勝で唯一のチャンスは、この試合でたった一本だけだった安打を古城が放った時。二死からだったが、古城は三番だったから四番の水橋が敬遠で自動的に一・二塁になる。あの打席の夏海の闘志はベンチのボクにもヒシヒシと伝わるぐらいだった。さらに大きく被さっていた。一球目も、二球目も、

    「ドスン」
 極楽大附属のエースも見上げた男だった。ホームベースに覆いかぶさる夏海をものともせず内角ギリギリに投げてきたんだ。あれはそう投げられるものじゃない。逃げる気なんて毛頭ない夏海の体に直撃したが、
    「ストライク」
 場内はそりゃ騒然だったが、コースはストライクだったから判定はそのまま。あの物凄い球の直撃を喰らった夏海は痛いはずだが、
    「うぉお」
 と球場内に響き渡るような気合を入れていた。そこからファールを五本粘ってフルカウントまで持ち込み、そこからさらにファウルで八本粘ったんだ。二球も直撃喰らっていたがますますホームベースに被さり、もしボールならぶち当たる気マンマンなのは誰の目にもわかった。それでも極楽大附属のエースはさらに一枚上手だったと認めざるを得ない。粘りに粘った夏海を最後は三振に切って取ってしまった。最後はまた夏海直撃だった。もう球場全体が異様すぎる状態になっていた。

 ボクもSSU附属戦の二番手投手はまだ打てたけど、極楽大附属戦ではノーヒットだから、夏海のことを責める気には到底なれない。とにかく決勝は三振十七個で攻撃に関しては話にならなかった。

 それにしても夏海にストライクとはいえ、あの異様な雰囲気の中でも容赦なくぶつけてくる極楽大附属エースの精神力は敵ながら天晴れと感心した。あれこそエースの中のエースだ。きっと水橋と直接対決したかったんだろうな。監督の指示はああいうチームだから絶対と思うが、内心はどれだけ無念だったかと察するに余りがある。ボクだって勝敗抜きで見たかった。


 さっきから大丸キャプテンが泣きながらリンドウに謝ってる。みんなにも謝ってる。キャプテンの自分が、みんなをもっと、もっと引っ張っていたら甲子園に行けたはずだったのにと。後一歩が足りなかったのはすべてキャプテンの責任だって。

 でも違うよ。キャプテンがどれだけ引っ張ったかは、みんなは認めてるんだ。認めてるどころか驚嘆して尊敬してるんだ。あの竜胆駿介の猛烈スパルタ・シゴキにキャプテンが率先して頑張ったから、みんなここまで来れたんだ。キャプテン抜きじゃ絶対に無理だった。

 リンドウが言ってたが、うちの野球部は足りないものだらけだって。リンドウは本当によくその穴を埋めてくれたと思う。でも最後まで埋めきれなかったものが時間だ。水橋は四連戦四連投になったから、ああなるのは仕方ないと思うけど、他の野手も疲労は限界だった。ボクもそうだった。

 それこそ鍛錬を重ねてスタミナを養う時間がなかったんだ、これは魔術師竜胆駿介をもってしても、たった三ヶ月ぐらいじゃどうしようもなかったってところだ。一年、いやせめて半年、いやいやもう三か月あっただけでも結果は変わったかもしれない。

 でも、これは間違ってもリンドウのせいじゃない。いかにリンドウだって時間まで作れないよ。こんなチームで決勝まで行けて、あの極楽大附属相手に九回まで頑張ったなんて今でも信じられないよ。野球をやれて本当に良かった。

    「お〜い、ススム。なんか考え事か」
    「いや、よく頑張ったなって」
    「うん。なんかあの地区大会の借りを返した気分がする」
    リュウもそう感じるか」
 これもリンドウに感謝だ。ボクたち四人はあの中学の地区大会に忘れ物をしてたんだ。それを取りに帰らしてくれるチャンスをリンドウがくれたと思ってる。それも最高の形で取りに帰れた気がしてる。結果は同じ敗戦だが、意味がまったく違う。四人があの夏の決勝に忘れてきたものは完全燃焼だったんだ。燃やしきれてなかったものがずっと残っていたんだよ。それを全部、真っ白な灰になるまで燃やし尽くした気分だ。
    「冬月もお疲れさん。ところで夏海をなんとかしてくれよ。あない泣かれたら往生するわ」
 文字通りのスーパーエース水橋裕司。たぶんこんな男とは二度と会うことはないと思ってる。ボクのことを天才肌っていうのはいるけど、水橋は天才なんてレベルじゃない。化物そのものだ。それも努力する化物だ。ロック研の時に見えてしまったんだけど、水橋はたしかに見たらなんでも出来る異才をもってる。そりゃ、ダイスケがギターを弾くのをじっと見ていて、いきなり弾きだしたのには仰天させられたもの。ドラムもそうだった。ただ仕事を引き受けた時にはかなり入念に練習してた。そりゃ、猛烈に覚えるのが早いから凡人からしたら短時間だけど、何度も、何度も、納得するまで練習した末に仕事に取りかかっていた。

 依頼料がバカ高いと言われていたが、やった事もないことを必ず成功させるなんて、考えただけで無謀な話だよ。それと仕事に必要なものは惜しみなく買うんだよ。野球部に百万だしたのもそうだよ。たしかに中古を売ったカネもあったけど半分以上は水橋の自前だ。ボクが予選で勝つために合宿費用が必要と相談したら、なんの迷いもなく百万をそろえてみせたんだ。

    「わかった水橋。ダイスケをなんとかする」
    「悪いな」
    「それぐらい気にするな」
 悔し泣きする夏海を宥めながら、監督のことも考えてた。監督の練習は厳しいんだが、丸久工業との練習試合を境に明らかに変わったんだ。合宿の時なんて、いつもにこやかな監督の顔が、練習中は笑みすら浮かばなかったほどだった。水橋がいれば誰だって甲子園を夢見るよ。ボクもそうだった。だから、悔しかっただろうな。あれだけのスーパーエースがいたのに甲子園に行けなかったなんて。

 後出しジャンケンみたいなものだけど、うちが甲子園にいけなかった理由はそれこそ色々あるよ。その中でも台風が来て予備日が潰れて、決勝まで四連戦になったのは本当に痛かった。あれで水橋の休養日がゼロになったから。いくら水橋でも三連投目、四連投目になると明らかに球威が落ちざるを得なくなっていた。

 これに連動するがSSU附属と極楽大附属が七回戦目、八回戦目の連戦になったこと。これは日程通りで中一日挟みながらでもあまりにも厳しすぎる相手だった。せめて連戦でも五回戦目・六回戦目ならひょっとしたら結果は変わっていたかもしれない。そこに予定通りの休養日があれば勝って甲子園に行けてた可能性さえある。そんなことを今さら考えてもしかたないけど。

    「監督。夏でやめられるんですか」
    「そのつもりやってんけど、やっぱり悔しくてな」
    「じゃ、続けられるのですか」
    「まあな、古城で夢を見ようかなってな」
 竜胆駿介なら必ずうちの野球部を甲子園に連れて行ってくれると思う。古城も一級品の素材だからな。古城、頑張れよ、お前が投げる時には竜胆駿介が時間をかけて鍛え上げた超一流のバックで投げられるんだよ。ボクたちみたいな、にわか仕立てのボロクズのようなお荷物バックじゃないんだから。
    「ススム、あかんかったな」
    「今日はしかたないよ」
    「でも今日の水橋凄かった」
    「ヒロシもそう感じたか」
 とにかく今日の水橋は怖かった。怖いというか、魂の投球ってああいうものだと初めてわかった。水橋の背中を見てるだけで鳥肌が立ったもの。それはボクだけじゃなくナイン全員がそう感じていたはずだ。それぐらいの気迫がピッチャーズ・マウンドからフィールドいや球場全体に放たれていた。
    「ヒロシ、受けててどうだった」
    「今まで一番球威がなかったけど、一番熱かった。ミットが燃え上がるんじゃないかと思ったもの」
 水橋は疲れ切った体をそうやって鼓舞してたんだ。それも自分だけではなくナイン全員をだ。ボクも引っ張られた。あれだけ疲労困憊のヨタヨタのチームが、とにもかくにも九回までゼロ対ゼロで持ちこめたのは水橋の魂が引っ張ったからだろう。それでも勝てなかったのは純粋にボクらの力不足だ。もちろん水橋を除くナインの力不足だ。
    「冬月君、お疲れ様」
    「リンドウさんこそ、甲子園に連れて行ってやれなくて悪かった」
    「いやだ冬月君まで、もうイイのよ」
 前に秋葉にリンドウには恋愛感情はないと言ったが訂正しておかないと。春から較べても格段に綺麗になったと思う。これなら十分に恋愛対象に出来る。十分じゃもう失礼だ、間違いなく野球部、いや学校のスーパーアイドルだよ。もっとも水橋と競う気はないけどね。でも心の中で言っておく
    「ボクは竜胆薫を愛してます」
 本当に良い仲間たちだった。とくにリンドウ、本当に感謝している。この野球部は誰がなんて言おうとリンドウが作ったものだし、決勝まで進めたのもリンドウのお蔭だ。今はなにもしてあげられる事はないけど、もし将来にリンドウが困ったことがあったら、必ず助けに行ってあげる。たぶんボクだけじゃなく全員がそう思ってる。とりあえず水橋と幸せになれよ。リンドウに相応しいのは水橋しかいない。そのことも全員が認めてる。