リンドウ先輩:忘れ物

    「お前ら三人、正気か。ブランクが二年以上もあるんだぞ。それに夏の予選まで二か月ぐらいしかなんいだぞ」
    「わかってるよリュウ、それでもボクらは野球をやる」
    「あのヘッポコ野球部だぞ。オレらが入学してから勝ったことがないんだぞ」
    「正確には十年連続初戦敗退、五年連続コールド負けだ」
 三人から相談があると言われて聞かされたのが野球部入部。気でも狂ったとしか思えんわ。
    「お前らが野球をやるのは勝手やけど、あのヘッポコ野球部には監督もいないんだぞ」
    「監督は経験者の頭数と、ピッチャーがそろえば来る。ピッチャーは一年の古城と言うんだが、ヒロシが見てもなかなか良さそうだ」
    「誰が監督になるというんや。近所の野球好きのオッサンか」
    「竜胆駿介だ」
    「えっ、竜胆駿介って、まさか、あの魔術師・・・」
    「そうだ。無名だった晴嵐学園を三年で全国制覇に導き、あのおんぼろチームの光成産業を都市対抗で大暴れさせた名監督だ」
 野球を知っている者として竜胆駿介の名は、それぐらい有名で憧れになるんだよ。その名前を聞いただけで体のどこかが疼いてしまうのを止めようがなくなるんだ。そりゃ、夏海だけではなくて秋葉も、さらにあの冬月でさえそうなったのがよくわかる。
    「でも竜胆駿介は随分前に野球から離れたと聞いてるぞ」
    「竜胆駿介はリンドウさんの叔父さんで、今は酒屋をやられてる。これをリンドウさんが野球部のために死に物狂いで口説き落としてくれた。もっともリンドウさんは、竜胆駿介がどれほどの監督だったかは知らなかったようだが」
 リンドウがオレたちを執拗に勧誘していた理由は、魔術師竜胆駿介を引っ張り出すためのものだったんだ。リンドウも監督の名前を出してくれれば良かったのにと思ったけど、名前を伏せる条件と、リンドウ自身が竜胆駿介を何者かを知らなかったんじゃ仕方がないか。

 さらに冬月はリンドウの夢を話した。あの野球部を甲子園に連れて行くこと。どう考えたって無謀の極みだが、竜胆駿介が監督になるのなら夢とは言い切れなくなる。今年は無理でも三年もあれば確実に連れて行くと思う。それぐらいの手腕が竜胆駿介にはあり、だから魔術師と呼ばれてるんだ。

    「竜胆駿介か。リンドウも凄い大物を引っ張り出してくれたものだ。そういう事なら、お前らの気持ちは良くわかる。野球をやってる奴で、その名前を聞いて心が動かへん奴はいないだろ。でもオレは無理だ。この肘じゃ野球は無理だ」
    リュウ、お前は野球をやるべきだ」
    「だから無理だって」
    「ピッチャー以外にもポジションはある」
    「だけど・・・」
 冬月がオレの目を見てる。
    リュウ、ボクたちが野球をやめたのはお前に同情したからではないよ」
    「なにを言ってるんだ」
    「あの夏の地区大会で決勝で断念したんだ」
    「どういうことだ」
    「あんな化物相手じゃ野球で食えないってことだ」
 あのピッチャーはたしかに化物だった。
    「あの時に野球は断念したけど、ボクらはあの試合に忘れ物をしてるんだ。リュウよ、一緒に取りに行こう」
    「忘れ物?」
    「そうだ忘れ物をしている」
 あの夏の記憶がよみがえってくる。あの時の忘れ物、それは一つしかない。ずっと心の奥底に燻りつづけている忘れ物。忘れようとしても忘れられないもの。それはオレだけじゃないのか。
    「ススムも忘れ物をしていたのか」
    「そうだ。もう取りに行けないと思っていたが、今なら行ける」
    「ダイスケも、ヒロシもか」
    「ラストチャンスやと思ってるで」
    「オレも一緒でエエんか」
    「一緒じゃなきゃ意味がない」
 オレは涙が溢れるのを止めようがなくなった。
    「オレは、オレは、野球がやりたかったんだよ。この肘さえなんとかなれば、うちのヘッポコ野球部でもやりたかったんだ。いやこの肘でもやりたかったんだ、でも無理やりやめたんだ・・・」
 あかん泣き声になってもてる。
    「お前らはオレが野球を出来ないのに同情して、バンドに付き合ってくれてたとずっと思ってた。それはそれでありがたかったんだ。オレも野球をあきらめようと努力してた。でもリンドウに誘われただけでオレは動揺してしまったんだ」
 みんなはじっと聞いてくれてる。
    「本当なら野球ができるお前ら、とくにダイスケやヒロシにあれだけ付き合ってもらってるのに、オレだけ今さら野球なんて口に出来なかったんだ。そんな事を・・・」
    「悪ない、悪ない、オレはドラム叩くよりミット叩く方が好きやから」
    「オレもそうや、ギターよりやっぱりバットや」
    「それにバンドは春の文化祭でキッチリやるし」
 みんな、ありがとう。オレがみんなと一緒に野球ができる日がまた来るなんて、それもあの忘れ物を一緒に取りに行けるなんて夢じゃないだろうか、
    「ダイスケよ、甲子園か」
    「たぶん無理やろけどリュウ、ちょっと夢を見てもエエかもしれん」
    「夏までやしな」
    「でもブランク大きいで」
    「竜胆監督やったらなんとかするんちゃうか」
    「どんなマジック見せてくれるんやろか」
    「なんかワクワクしてきた」
    「竜胆マジックをまさかこんな学校で味わえるなんて夢とちゃうやろか」
 リンドウは知ってやったわけじゃないみたいだけど、心の底から感謝したい。野球をする者に最高のプレゼントを贈ってくれた。それもこんな無名の学校のヘッポコ野球部にだ。これで心が動かなければウソだ。信じられないことが起こり、野球のフォア・シーズンズはついに復活したんだ。
    「しかしダイスケやヒロシはともかく、ススムがまた野球をやるのは意外だったな」
    「ボクは音楽と同じぐらい野球を愛してる。愛してる野球でやり残したものを出来るチャンスが訪れれば当然やるさ」
 冬月は相も変わらずクールな表情で、
    「野球の話はこれで終わり。文化祭のステージの演出の話をやろう」
 オレと、秋葉と、夏海は口をそろえて
    「オマエ、なんでそんなに切り替え早いねん」
    「そうか」
 冬月はさっきの話なんてなかったかのように、バンドの話をまとめていきました。冬月は昔からそうなんだ。オレや秋葉、さらにあの沈着冷静そうに見える夏海でさえ、すぐにのめり込んで燃えるタイプなんやけど、冬月はどこか醒めてる感じがあるんよ。

 でもそうかといえば、今回みたいな事をサラッとやるんだよな。夏海は責任感が強くて、みんなのまとめ役だけど、冬月は冷静な名参謀ってところ。でも冬月の血が冷たくないのはオレが一番良く知ってる。ひょっとしたら一番熱いかもしれないとも思ってる。