第3部後日談編:シオリの引きずる過去

 今日はコトリちゃんが会いたいとの事でお食事会。

    「ところでみいちゃんは何か言ってた」
    「えっと、会えて嬉しかったって」
    「他には」
    「うんと、うんと、次に返事をもらうんだって」
 あちゃ、みいちゃん、やっぱり本気だ。
    「返事ってやっぱり・・・」
    「うん、それしか考えられへん」
 たぶん返事の時期は離婚が正式に成立してからになると思うから、もう少し時間があるだろうで二人の意見は一致しました。では次の一手をどうするかを話している内に
    「ちょっと思ったんやけど」
    「なに?」
    「シオリちゃんて、もしかして」
    「もしかして何よ」
    「好きだったんじゃない、いや付き合ってたんじゃない。だって知り過ぎてるもん」
 これは参った。えらいところに話が飛び火してもた。ここまで首突っ込んだら、隠してもしょうがないか。
    「あれはねぇ、もう何年前になるかなぁ。写真の勉強のために、ある先生のところの弟子になったんやけど、襲われそうになって飛び出しちゃったのよ。そのうえもう一人でも出来るとも思ったのよねぇ。思えば若かった」
    「で、どうなったの」
    「飛び出してはみたものの、仕事が殆どこなくて、1年もしないうちに食うにも困るようになってもてん」
    「やっぱり厳しいのね」
    「なんとかありつけた仕事をしてる時に山本君とたまたま会ったのよ」
    「へぇ、そうなんだ」
    「ゴメン、ちょっと話を飾っちゃった。ホントはね、タマタマだったのは山本君の通ってた大学での仕事だっただけで、私は一生懸命になって山本君を探したの」
    「好きだったから?」
    「それも違うの。できたら御飯ぐらい御馳走してもらおうと思ってたの。それぐらい切羽詰まってたの」
 あの頃はサラ金にこそ手を出していなかったものの、家賃も払えず『これ以上は待てないから出て行ってくれ』とはっきり言われてた。親や親戚への無心も限界で、持ち物は仕事に必要なもの以外は売れるだけ売ってしまっていたんだ。大学の仕事も、これも仕事に必要な電話代と光熱費を払ったら綺麗に消える程度の小さなものだった。今から思えばバイトでもすりゃ良かったのですが、どうしても写真だけで食べてやるんだと意地張ってたんだよねぇ。とにかくカネがなかったので食費を削り倒していたんだけど、おかげで慢性的な空腹状態で、なんとか山本に会えたら御飯を奢ってもらおうと必死でした。
    「で、会えたんだ」
    「仕事も終り、もうあきらめて帰る途中にタマタマ通りがかったんよ」
 ヒョイと目をあげたときに視線が合って、私は一目散に駆け寄ったのでした。久しぶりにまともな食事がとれるかもしれないの一心です。あの時の山本の顔がブタマンに見えたのは私の棺桶まで持っていく秘密です。
    「御馳走してくれたん」
    「うん、焼肉やった」
 そこであれこれ話をしていると、
    「そんなに困ってるんやったら、うちに一緒に住まへんかって。家賃も光熱費もいらんし、食費だって一人も二人もあんまりかわらへんし。でも、まあ男と暮らすのは嫌やろけどってなって」
    「そんなこと言ったんだ」
    「そう。さすがに迷ったけど、このままじゃどうしようもなくなるから・・・」
    「同棲したんだ」
    「うん」
 荷物をまとめて転がり込んだ夜にも、体を求められるのは覚悟してたんやけど、そんな素振りはまったくなくて、逆にガッカリしたのを覚えてる。後から聞いたら、あまりにもヤセギスすぎて『鶏ガラに性欲が湧かなかった』って言われて笑った。
    「一緒に暮らしてみてわかったんやけど、かなり無理して私を引き取ってくれてたの」
    「狭かったの?」
    「下宿は古かったけど、間取りは2DKで一部屋を使わしてくれたの。広さは良かったんだけど、問題は時期ね。五年生だったから勉強が大変だったのよ」
    「そんなに」
    「うん、実際に横で見てると、こっちが息苦しくなるぐらい」
    「炊事とか洗濯は」
    「掃除と洗濯はやったけど、炊事はね」
    「シオリちゃん料理得意やん。料理教室もやってたぐらいやし」
    「今はそうなんやけど、エヘヘヘ、当時はさっぱりで実は山本君に教えてもらった」
    「山本君って料理作れるんだ」
    「そんなレベルじゃないよ、本当にレストランみたいやった」
 味に関しては記憶として美化される部分もあると思うけど、食うや食わず状態が長かった私には信じられないような立派な食事でした。料理に関しては『気分転換だから』って作ってもらっていましたが、勉強時間に一緒にいるのは息苦しくて、ひたすら申し訳ないと思う毎日でした。
    「で、どうなったの」
    「どうにもならないよ。たまに舞い込んでくる仕事の日はともかく、近くに友達はいないしカネはないし、服だって。家事っていっても洗濯も掃除もしれてるからね」
    「同棲気分とかは?」
    「それがね、友達の一線を絶対に崩さないのよ。下着を洗わしてもらうのに半年かかったもん。『友達に洗わすもんじゃない』って」
    「ふふふ、山本君らしいね」
    「そうでしょう」
 若かったし、私を引き取るからにはエッチは仕方ないと思ってましたが、手も握ってくれないとはまさにあんな状態です。途中から女として見てくれてないんかと、かえって腹が立ったぐらいです。
    「それでもでしょ」
    「うん、だって一緒に暮らせば情が湧くやん。このまま専業主婦になってもイイって思たぐらいやもん」
    「ほんで、ほんで」
    「そう言ってみたの。そしたらね、思いっきり怒られた」
    「山本君でも怒るんや」
    「専業主婦にするために居てもらってわけじゃないって、サッサと自立してもらうために居てもらってるんやって」
    「格好イイやん」
    「ちょっとしびれた。そこからガムシャラに頑張ってなんとかなったんよ」
    「そんなところもあるんや、でもやっぱり気になるの」
    「あったわよ、二年近くしてからやっとね」
 あれは山本の国家試験の終わった夜だった。それなりに仕事が増え始めたので、同居して初めてお祝いに御馳走したんだ。試験の出来も良かった山本も上機嫌で喜んでくれた。食事も終って下宿に帰った後に、もう一つプレゼントがあるけど受け取って欲しいって言ったんだ。この時に本当はモノを用意してたんだけど、思い切って『プレゼントは私なんだけど』と言ってみたんだ。また怒られるかと思ったけど、なんと山本は素直に受け取ってしまったんだよ。もう女として見られていないと思ってたからビックリした、ビックリした。でも無性に嬉しかった。
    「なんで別れたん」
 国家試験の発表まで一か月ぐらい時間があり、それまではまさに新婚気分でルンルンだった。ただ合格が決まると下宿を引き払い、就職先の病院の官舎に引っ越す予定だったんだ。実はこの時に私も自立を決めてたの。『そうしろ』って山本もずっと言ってた。このまま同居したかったけど、研修医の薄給じゃ無理だと言われ、それよりなにより仕事をまずがんばれって言われたの。たしかにドンドン仕事が舞い込むようになって、そっちが楽しくなっていたのは本音だったわ。結婚するなら山本が一人前の医者になってからでも遅くないって思った。
    「・・・・それでも離れたら寂しくなったの。それまで当たり前のように山本君が一緒の生活だったもんね。だからついやっちゃったの、心を試したの」
    「わかる、わかるけど、その流れって・・・」
    「そう、終わっちゃったの」
 あれは今でも悔やんでも悔やみきれない大失敗だった。理由は大間抜けなことに山本が去ってからようやく気が付いた。みいちゃんとの別れの時の傷が深すぎたんだって。それを知っていたし、それを癒せるのは私しかいないと自惚れてたのに、うっかり触れちゃったことを。死ぬほど落ち込んで泣き暮らしたけど後の祭りにしかならなかった。
    「それっきり?」
    「次に会ったのは中学のクラス会」
    「そこでは」
    「私の記憶も封印されててすごい悲しかったよ。だってさ、あの苦しい時にあんなに無理してくれたんよ。なんとか恩返ししたいやん。でもさぁ、なんとか友達には戻れたけど、あの時の話は絶対に触れさせてくれないの」
    「なんか悲しいね」
    「でもさぁ、コトリちゃんの件で相談してくれた時には本当に嬉しかったの。やっと私にも恩返しのチャンスが回ってきたと思ったのよ。それがプロポーズまで行ったって聞いて超ビックリ。私には言ってくれなかったもん。それだけじゃなくて、私にはそこまで甘い言葉かけてくれなかったなぁ。私へのはたぶん愛情じゃなくて同情だったと思ってる」
    「そんなことないよ。もしさぁ、シオリちゃんが試さなかったら結婚してたかもしれないやん」
    「うん。結婚してたかもしれない。カズ君は優しいし義理堅いからね」
    「あれっ、カズ君って呼んでたの」
 しまったやっちゃった。これはあの短い甘かった時代に私が付けていた呼び名。本当は『和雄』かせめて『和雄君』と呼びたかったんだけど、それだけはやめてくれって言われてカズ君にした。なんでも願い事を受け入れてくれた山本にしたら珍しかった。でもこれも今はもう呼べないから山本やけど。
    「でもやっとわかった気がする。だから、みいちゃんじゃダメなんだ。ひょっとしてシオリちゃんってダイエットを勧めた彼女じゃない」
    「あははは、そんなことまで話してんだ。そうだよ、あれもやりだしたら徹底してて驚かされたよ」
    「最後に聞いてもイイ。シオリちゃんはどうなの?」
 ここまでコトリちゃんに話す気はなかったんやけど、結局ほとんど話しちゃった。まあイイか、これもカズ君の、いや山本のためってわかってね。後で知ってもいつものように『参ったな』って許してくれるよね。これを知ってもらわないとコトリちゃんをまた取り逃がしてしまうやん。今だって半分以上そうなってるし。それにしても、もう心の中だけでもカズ君と呼んでもイイかなぁ。
    「コトリちゃんこそが正式の婚約者やん。私は友達でいられるだけで十分。またシャシャリ出て横取りする気は全然ないよ。山本君は優しいけど、ハンサムでも格好良くもないから、あれ以上のもっとイイ男を見つけてみせるわ。それぐらい幾らでもいるやん・・・・・・」
 なんで涙が出てくるの、コトリちゃんが羨ましいから。絶対そんなことないはずなのに。