第3部後日談編:旧友〜酒場にて

旧友
    「こら、勝手に電話を切るな」
 私は山本が旧友としか呼んでくれない加納志織。みんなからは『シオ』とか『シオリ』って呼ばれてる。職業はアーティストです。売れなくて苦労したけど、ある写真展の成功でようやくフォトグラファーとして軌道に乗りかけています。ついでにいうと山本の名前は和雄。そんなもん隠すほどのものじゃないのに、アイツは異常なほど下の名前で呼ばれるのを嫌うから山本って今は呼んでる。私と山本が小学校から高校まで一緒だったのは本当で、山本は旧友としか私のことを扱わないけど、売れない時代に本当にお世話になったんだ。それこそどん底の時代は食わしてもらってた。

 だから売れ出した今になってからお礼をしたい気持ちは一杯あるんだけど、山本はあの時の事を話題にする事さえ嫌うの。だから幼馴染の旧友でしかない。でも私は山本を単なる旧友と思っていないの。親友であり恩人と勝手に思ってる。コトリちゃんの件は驚かされた。あの女性に対して極端に優柔不断の山本がプロポーズまでしたって聞いて涙が出るほど嬉しかった。なのに、なのに『終わった』って、山本の野郎、本気かよ、それでエエのかよ。アイツの悪い癖が出たとしか思えへん。アイツは女性へのアプローチが優柔不断の代わりに見切りが余りにも早すぎるんだ。

 私はね、コトリちゃんの件では単なる友人とかじゃなくて、気分は仲人だったの。結婚式には他にどんな美味しい仕事があっても私が撮るって決めてたのに、なんでやねん。だいたい別れる前に私に一言ぐらい相談してよ。そりゃ、私も忙しくて山本がコトリちゃんと別れた時期にはカンヌに仕事に行ってたけど、いくらでも連絡手段はあるじゃない。どんなに忙しくても山本のためなら時間を作ったのに。山本は嫌がるけど、それぐらいの恩は私は受けてるの。

 コトリちゃん好きやってんやろ。好きやから元彼の話を聞いても突撃したんやんか。私は見切りの早すぎる山本のことやから、元彼の影が見えただけですぐに身を引くと思てたから心の底から仰天したんやもん。

 なにがあったか知らんけど、やっと、やっと手に入れた本当に愛せる彼女やないの。そこまで惚れたからプロポーズまでしたんやんか。こんな終り方は山本が認めても私が許さへん。それにさぁ、なんやねんあの愛想の無い電話。もうちょっと泣き言の一つぐらい言うてえや。私は山本に対してその程度の存在かよ。アイツはコトリちゃんのことを天使扱いしてたけど、私に言わせればあんたは妖精みたいなもんや。他人にはクソ優しい癖にちょっとでも嫌う素振りを見せたらすぐにいなくなってしまうやん。それでどれだけ彼女を泣かしてることか。

 でもさぁ、コトリちゃんだけは別格と思ててん。アイツがあそこまで熱中したのを見たのは二度目やもん。ホンマに腹が立ってきた。こんな終り方は私がなにがあっても許さへん。私がなんとかしたる。別れた本当の理由ぐらい聞かないと目覚めが悪すぎる。ただ明日からアメリカに行かなあかんから、帰ってからやないと動かれへん。なんでこんな時に間が悪いねん。


みいちゃん
    「誰から聞いたん」
    「コトリちゃん」
 本当にビックリしたとはこのことで、みいちゃんから突然の電話がありバーで会いたいとのこと。とにかく出かけてこうやって会ってるわけです。
    「いつ以来かな」
    「私の卒業祝いだよ、きっと」
 そうだったかな、違う気もしないでもありませんが、まあエエか。みいちゃんはかなり早く結婚したとは風の噂で聞いています。つまりは既婚者ですから、こうやって一対一で会うのは非常に気まずいのですが、こうやって呼び出すって事は余程の相談でもあると考えるしかありません。
    「今日はどうしたん」
    「もうちょっと飲んでからでも良いかなぁ」
 あちゃ、こりゃ重そうだ。にしても随分雰囲気が変わっています。私の知ってるみいちゃんは絵に描いたように生真面目でして、話をするのも骨が折れました。なんとか話をしたくて、少しでも乗って来そうな話題をあれこれ考えても振っても、プチンと切ってしまう感じで、ホントに話をする事自体が大苦労みたいな女性でした。それが今夜はちょっと感じが違います。
    「ちょっと変わったね」
    「そうかな。まあ、高校の時とは違うよ」
 たしか東京に住んでいるはずで、今日は実家に帰る途中ぐらいだと思うのですが、
    「今日は帰るん」
    「今日は神戸に泊まるの」
    「じゃ、明日帰るん」
    「わからない」
 やっぱりただ事じゃないのがわかります。しばらく近況報告的な話をした後に
    「・・・うまいこと行ってないの」
 うわぁ、堪忍して。そこまで重い話の相手がなんで私なんだ。
    「失敗やった」
    「でも長いんやろ」
    「十年」
 人生相談の相手なんか不向きなのですが、こうなれば相手をせざるを得ません。こういうものは問題を単純化すべきで、彼女がどうしたいかを探る事に尽きます。言い換えると別れたいのか、そうでないのか、それとも愚痴を聞いてほしいだけなのかです。
    「子どもは」
    「いない」
 別れさせる後押しをしても何も良いことはないので、子どもをダシにしてお茶を濁そうとしましたが、これはとりあえずダメのようです。
    「でもさぁ、十年も夫婦やってれば誰だって不満も出るんやないの」
 これは愚痴を聞く路線の呼び水です。ここから『聞いてくれる』的な展開になってくれれば、後は相槌を打っておけばそのうち収まるはずです。
    「別れるの。もう東京には帰らない」
    「それって離婚。よく考えた方がエエよ」
    「十年考えた」
 もう逃げ出したくて仕方がありません。ちょっとだけ鉾先を変えたくなったので、
    「コトリちゃんにはいつ連絡したん」
    「今夜」
 どうも話している内に、みいちゃんの話し方が昔に戻った気がします。話の接ぎ穂というものを残してくれないのです。これについては慣れてるのですが、こういう時にはチト困ります。それにしてもの疑問はやはり、なんで今さら相談相手が私なんだです。
    「やり直したい」
    「なにを」
    「巻き戻して」
    「誰と?」
    「無理かなぁ」
 参った、参った。なんとなく途中から嫌な予感がしていたのですが的中ってところです。みいちゃんは今でも嫌いではありませんが、まだ離婚はしてないわけで、こんな状態から交際したいとさすがに思いません。ここは無難に遁辞を構えて、
    「もう無理やて。まだ独身やけど婚約者がいるんや」
    「婚約者ってコトリちゃん?」
    「そ、そうやけど」
    「振ったんでしょ」
 あちゃ、そこまで話してたのか。にしても『振ったん』じゃなくて『振られたん』やけど、まあエエか。
    「コトリちゃんから聞いたの」
    「ほんじゃ正直にいうけど、今は恋愛する気分になれないんや」
    「私でも?」
 うわぁ、みいちゃんの目が座ってる。やっぱり、昔のみいちゃんとは別人だ。
    「和雄君だけは信じていたのに・・・」
 卑怯だぞ。ここで涙を見せられたら、どうしようもなくなるやん。なんとかこの場を収めるには仕方がありません。
    「とにかく今すぐは無理やねん。もう少し時間が欲しい」
    「じゃ、籍を綺麗にしたら、その時に返事を聞かせてもらうね」
 なんてこった。えらいところに話を持ち込まれちゃった。それにしても、みいちゃんはどこまで本気なんだろ。


酒場にて
 もう何杯目だったっけ。確実に酔ってるんやけど、どうにも頭の芯が冴えてしまって酔っ払えません。みいちゃんをどうするかもありますが、微妙に絡んでるコトリちゃんのことが頭をグルグルと回ります。これはたぶん考えてるんやなくて、思考が停止しているだけの気がしますが、誰か話し相手が欲しくて仕方ありません。ただこんなきわどい話を相談できる相手は限られるわけで、なんで旧友がアメリカにいって留守なんだって勝手に怒ってます。
    「前の方はどういう御関係ですか」
 店の方が一段落したみたいで、マスターが話しかけてきました。
    「高校の同級生」
    「新しいお相手ですか」
    「違うって、既婚者やで」
    「それは失礼しました。そうとは見えなかったもので」
 マスターも聞いてたんだろうな。あの夜も不思議とヒマだったから。
    「あの方も素敵ですが、チェリー・ブロッサムの時の方はどうされました」
 あれっ、そこまで立ち入ったことは聞いたことがないのに。
    「別れた」
    「本当にですか?」
 酔いは怖い。ついつい経緯をかいつまんで話したんだけど、
    「それは別れ話じゃないと思いますよ。きっと」
 そこに新しい客が入ってきてマスターはいなくなりました。ちょっと気になったのは、コトリちゃんが『振られた』って言ってたこと。単なる勘違いとか、聞き間違いと思うけど・・・忘れたいコトリちゃんのことが頭に甦ります。誰かが人生にはモテ期があると言ってたけど、今がそうだとしたら、なんて恵まれないモテ期なんだろうってところです。一人はやっとプロポーズを受け入れてもらった途端に逃げられ、もう一人は迫られても受け止めるのに重すぎます。もう帰ろう。人生はなるようにしかならん。