いつものバーですがお隣は『彼女』になった天使のコトリちゃんです。あのチェリー・ブロッサムの夜から天使が私の『彼女』になった奇跡は続いています。付き合ってからもコトリちゃんの歴女ぶりは変わらず、邪馬台国で盛り上がって箸墓古墳まで行ったり、蘇我大王家仮説に熱中して飛鳥巡りをやったり、源氏物語の話の流れで宇治に行ったりしています。そうそう奥須磨遊園のリフトもちゃんと乗りに行きました。交際は順調に続いているとは言えますが話題がどうしてもガチの歴史談義になりがちで、お出かけもデートというよりフィールド・ワークに傾く部分が多いのが難点といえば難点です。もちろん歴史談義は私も大好きですし、それでコトリちゃんが喜んでくれるのなら満足です。
そんなコトリちゃんが頼んだのがテキーラ・サンライズ。このカクテルはテキーラにオレンジジュースを入れてステアし、縁からグレナディン・シロップを静かに注ぎ込むものです。名前の由来はオレンジを朝焼けの空、底のグレナディン・シロップの赤い部分を太陽に見立てたものとされます。ローリング・ストーンズのミック・ジャガーが絶賛し、イーグルスのアルバムにもこのカクテルの名前を冠した曲が入っていたのが世界に広まった原因とされています。登る太陽って今の二人の関係にピッタリと内心喜んでいますが、
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「今度は桶狭間やりたい」
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「大ネタやね」
「うん」
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「とりあえず桶狭間までの簡単なおさらいをしとこう」
「えっとね、永禄元年(一五五八年)に浮野の合戦やって尾張上四郡の織田伊勢守家を滅ぼしたんだよね」
「うん、あれで信長はほぼ尾張を統一したと言っても良いと思うよ」
信長は少年期の奇行から『うつけ者』の評判があり、信長が家督を継いでからは同族間も含め血みどろの争いが展開されます。偉大であった父ほどの求心力が信長になかったからぐらいで良いと思います。しかし信長は清州の下四郡守護代の大和守家を滅ぼし、弟の信行(近年では信勝とする事が多い)との争いも稲生の合戦で破り、岩倉城の上四郡守護代の伊勢守家を滅ぼし実力で信秀の後継者の地位を尾張国内に示したと見れます。
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「でもって鳴海城に丹下・善照寺・中島砦、大高城に鷲津・丸根砦を築いたのが浮野の合戦の翌年の永禄二年(一五五九年)やねんけど、理由はなんだと思う」
「そりゃ、鳴海城・大高城の奪還でしょ」
「そのままやん。もちろん鳴海城・大高城を奪還することにより尾張の完全統一を目指したんだろうけど、もし桶狭間が起こる前に鳴海城・大高城を奪還できていたら信長は次にどこに進んだやろ」
「そりゃ、美濃でしょ」
「当時の信長がどう考えていたかはわからないけど、三河じゃないかと思てる。つまり亡父の信秀路線の踏襲や」
「いわれてみれば、そうかもね。この時期に義元が尾張に進んだ理由は?」
- 信玄は川中島で手いっぱい
- 氏康は対謙信戦で手いっぱい
- 信玄・氏康は背後に当たる義元との同盟は重要
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「・・・そういう状況になったので義元は尾張に進んだのよね。だから大高城や鳴海城に付城を作られてもすぐに動けなかったんだよね」
「この辺は義元と信長の微妙な駆け引きもあったかもしれへん」
「そういう説もあるよね。信長は付城を作る事で義元を桶狭間に誘ったって」
「その説に関してはなんとも言えないと思てるけど、もしそうであれば義元は信長の裏をかいた事にならへん」
「どういう意味?」
「信長が誘ったのは義元が救援のための部隊を差し向ける事やけど、信長が予想していたのはせいぜい多くて五千人までだったと思うよ」
「なるほど。でもそうよね、現実の桶狭間みたいな大軍が来たら話にならないものね」
「信長は局所決戦を予想していたところに義元が主力を率いて押し寄せてきた」
「さて大変ってところよね」