第1部一の谷編:シンガポール・スリングと鹿松峠

今日もいつものバー。ここの店は入口に

    カラオケなし
    色気なし
    旨い酒あり
こう書いてあるのですが女性バーテンダーの希望者が来たらどうするのかと聞いたことがあります。というのも、女性客が来るとなんとなくマスターの鼻の下が伸びる気がするからです。そうしたらと答えた後に続けて、
    「あれが書いてあるのは黒板ですから、いつでも書き換えは可能です」
と、見事に切り返されました。それでも女性バーテンダーは見たことがないので、入れないのか、寄り付かないのかどっちかなぁ。でもって今日はアイラをロックで頂いてます。銘柄はアードベック12年。アイラもスコッチの一種なのですが味が独特。マスターにいわすと「ヨードチンキの味がする」ですが、まさにそんな感じ。その代り慣れちゃうと他のスコッチが上品すぎるような気がするから不思議です。スコッチの鮒ずしみたいなもんかなぁ、もっとも鮒ずしは怖くて食べたことないですけどね。
    「カランカラン」
ドアのカウベルが鳴って
    「はぁい、元気だった」
店が明るくなりました。店側には色気がなくても客にあってもエエ訳で、マスターも心なしか浮き立っているような。これはシンガポールラッフルズ・ホテルの名物カクテルで、ジンとピーリングチェリー、フレッシュレモンジュース、砂糖を入れてシェイクし炭酸を注いで軽くステアします。この店のシンガポール・スリングはラッフルズ・ホテルで買ってきたグラスに注いでくれるのですが彼女も目ざとくみつけて、
    ラッフルズ・ホテルのと一緒や」
    「行かれたことあるのですか?」
    「三年前ぐらいに行って、飲んで来たの」
    「どうでしたか」
    「うん、ここのも美味しいけど、ラッフルズ・ホテルバーで飲んだら気分が全然違う気がする」
    「私もそんな気がしました。」
へぇ、彼女もラッフルズ・ホテルに泊まってバーシンガポール・スリングを飲んでいたとは。
    「羨ましいなぁ、ボクも一度ぐらいは行きたいなぁ」
    「そんなん、行ったらエエやん、エエとこやでぇ」
    「ほんじゃ、一緒に行ってくれる」
    「エエよ、エエよ、行こ、行こ」
彼女の『行こ行こ』は毎度のことですが、ハイキングとかデートじゃなくて旅行となれば二人で同じ部屋で泊まる訳で、そんなもの恋人同士でなければ絶対無理です。妙な期待をもって顔色をうかがいましたが、いつも通りの屈託のない笑顔で何かのニュアンスを含ませているとは感じられませんでした。冷静に考えなくとも二人の関係は『遠慮しとく』で一本釘を刺されているので、これがチクチクと痛んで仕方がありません。
    「二人の研究で一の谷の位置が特定できたから、次は鵯越がどこかやね」
どうもコトリちゃんは『二人で』を強調しますが考えても思い出せないので単純に喜んで話を進めます。
    「ここもコトリちゃん調べた?」
    「もちろん」
この歴史談義も回を重ねるごとに息が合って来るのが実感します。
    「まずやけどね、長田神社の北側の谷。面倒だから長田一の谷って呼ぶけど、そこが一の谷なら、そこに行ける道が鵯越になると思うの」
    「じゃ、どんな道がある」
    「私に言わせるの。でも聞いてね。長田一の谷にはとくに西側から通れる道はなさそうだけど、谷の奥の丸山には道が通じてるのを見つけてん」
    「鹿松峠と鵯越支道やね」
鵯越支道とは高尾山を越えたあたりから丸山に下り明泉寺に至る道です。
    「さすが、知ってたのね。このどっちかやけど、鵯越支道を通るには相談が辻を左に曲がって高尾山を越えないとアカンし、鵯越道を義経が通ったら熊谷直実の先陣が成立せえへんから、消去法で鹿松峠しかないと思うねん」
    「完璧な推理やと思う。ボクも大賛成」
    「でもね、鹿松峠は騎馬武者が通れたの?」
    「通れたとして良いと思う。鹿松峠の西の麓に妙法寺があるけど、あそこは清盛が鞍馬に見立てて庇護したんだ。庇護したからには参詣もするやろし、参詣するなら供揃えも百人単位やろ」
    「そりゃ元太政大臣やから独りじゃ行かへんもんね。比叡山に見立てられた丹生山にも毎月参詣していたんやから、妙法寺にも何回も参詣しているはずやし」
    「もう一つある。湊川合戦の時に足利直義が鹿松峠を越えてるんだ」
    「そうだそうだ、直義が越えられるなら義経だって越えられるよね。じゃ鵯越は鹿松峠に決定ね」
ここまでのムックの成果と言ってよいでしょう。一の谷の位置と二月六日夜の宿営地が決定すれば鵯越は自然に決まります。ここも地図を出しますが、、

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当時の道として妙法寺から板宿に抜ける道は相当な難路で軍勢が通るのは無理だったとして良さそうです。これが通れるようになったのは明治になって県道が出来てからになります。そうなると清盛が妙法寺に参詣しようとすれば鹿松峠を越えるのが合理的です。また清盛は舞子の方にも別荘を持っていましたから、妙法寺を参詣したら多井畑厄神も参詣して塩屋に抜けるルートも整備していたと考える方が自然です。当時の寺社参詣は信仰と遊山が一体でしたし、山陽道以外の播磨への交通路の整備も清盛の念頭にあったと考えています。

    「後は延慶本との照合やねんけど、一つ難解な個所があるんや

    その勢七千余騎は義経に付け。残り三千余騎は土肥次郎、田代冠者両人大将軍として、山の手を破りたまへ。我が身は三草の山を打ち巡りて鵯越へ向かふべし」とて歩ませけり。

    ここの解釈に暴走している研究を読んだことがあるぐらいやねん」

    「えっとお、とりあえず土肥実平と田代冠者が山の手に向かったのは誤写やね。延慶本の他の部分にはっきり、

    源氏の搦手一万余騎なりけるが、七千余騎は九郎義経に付きて三草の山に向ひぬ、三千余騎は播磨路の渚に沿うて一の谷へぞ寄せたりける。

    こうなってるから実平と田代冠者は塩屋に向かったのは間違いないよ」

    「さすがや、ボクも賛成やけど、問題は三草山が出てくるとこやねん」

    「ホンマや、これが丹波播磨国境の三草山じゃ辻褄が合わなくなるもんね。ここも誤写でOK?」

    「いやそうじゃなくて、延慶本には二つの三草山が確実にあるんだ。ここで丹波播磨国境の三草山を三草山Aとする」

    「ほんじゃもう一つあったら三草山Bね」

    「三草山合戦の後に宗盛が山の手守備を心配して軍勢を手配するシーンがあるやん」

    越中前司盛俊と能登守教経が結局派遣されるのよね」

    「そこの描写なんやけど、

    • 程なく三草の山へ駈せつきて、越中前司盛俊しが陣の前に仮屋を打てまちかけたり。
    • 大手の勢いは宵の程は昆陽野に陣を取り、しころを並べてゐたりけるが、三草の手に向かうひたる越前三位、能登守の陣の火、湊川より打ち上がりて、北の丘に火をたてけるを

    盛俊は丸山の明泉寺に陣を構えていたで良さそうで、後から来た教経は仮屋を作ったって話やけど、教経が向かってきたのがなんと三草山なんや」

    「三草山Aではあり得ないから、三草山Bだね」

    「次は決戦前夜の大手の範頼軍から見た光景の描写やけど、盛俊も教経も三草に向かったって明記してあるんや。これも三草山Bしか考えられへん」

    「それやったら義経鵯越のところにもあるのん思い出した。

    味方へ向かひて申けるは、「是より下へは如何に思ふとも敵ふまじ。思ひ留まりたまへ」と申す。「三草より是まで遥々と下りたれば、打ち上がらむとすとも敵うまじ。下へ落としても死なむず。とても死なば仇の陣の前にてこそ死なめ」とて、たづなをくれ、真っ逆さまに落とされけり。

    鵯越の逆落としをする直前の描写やけど三草から下って来たってはっきり書いてある。これも三草山Bね。ここまでくれば結論はシンプルで、


      三草山B = 鹿松峠 = 鵯越


    これでエエんじゃない」

    「九割OKかな」

    「なによ一割は何が残ってるの」

    「三草山Bは鹿松峠で文句ないけど、鵯越は若干違うと思うんや」

    「ちょっと待ってね、えっと、えっと、頑張るから、ちょっと待って・・・そうだ鹿松峠はべつに崖から飛び降りなくても通れるんだった。義経が飛び降りた崖の高さは

    平家のおわする城の上から、十四五丁ぞ候らむ。五丈ばかりは落とすといへども、それより下へは馬も人も、よも通ひ候わじ。

    五丈なら一五mメートルらいやから、三階の屋上から駆け下ったって事になるわ。鹿松峠を下るのになんで崖下りが起こったんやろ」

    「ボクは義経が鹿松峠の下りで道から外れたんやと思てんねん」

    「わざわざ?」

    「だってさぁ、盛俊と教経は鹿松峠の西側で守備に就いてるんやろ」

    「うん、どう読んでも峠に登って守ったに見えへん。そっか、そっか、峠の麓に防御陣地を作ってんのや」

    義経は峠の上から見て正面からの突破は難しいと判断したんやないかと思うんや」

    「登るのは無理でも、下るだけやったら行けるもんね。そっか、だから『打ち上がらむとすとも敵うまじ』って書いてるわけや。今さら下ってきた道を引き返すのは無理ってことやね」

    「おそらく峠から道を外れて下る状況をだんだんとエスカレートして脚色して書かれた気がする」

ここで怖いお願いをしてみます。
    バーで飲むのも楽しいけど、晩御飯も一緒に食べたいなぁ」
    「そやねぇ、また考えとくわ」
うわぁ、いなされた。でもこれ以上聞けませんでした。さっきまで歴史談義をしていた顔が私のお願いを聞いてサッと曇ったからです。まるで『そこには頼むから触れないで』て訴えてるみたいでした。なにかコトリちゃんが私に言えない秘密をもっているのだけは間違いありませんが、なんだろう。