第1部一の谷編:モスコ・ミュールと多井畑厄神

    「カランカラン」
カウベルの音とともにコトリちゃんが到着
    「今日はモスコーミュールにする」
モスコーミュールの成立にも諸説があるのですが、一九四〇年代初頭、ハリウッドのジャック・モーガンというバーテンダーがイギリスのリキュールである「ピムス NO.1」を使ったカクテルのために大量に仕入れたジンジャービアの在庫を処分するために作り出したというのがあります。他にも説があるのですが、モスコーミュールを銅製のマグカップで出す店もあり、その謂れとしてモーガンの友人が器を銅のマグカップにすることを提案したという説と合わせ技でジャック・モーガン説が私は好きです。この店では銅製のマグカップで出てきました。

ちなみにミュールとはラバのことですが、口当たりは良いのですがラバに蹴られたように効いてくるってのネーミングの由来だそうです。そういえば前回の歴史談義はラバに蹴られたぐらい効きました。それ以前に馬に蹴られたぐらい彼女にメロメロになっているのは今さらのお話です。

    「前に相談が辻の地図を出した時に、白川に行く道に白辺路って書いてたね」
    「あんまりポピュラーやないけど、どうもそう呼んでたみたい」
    「それって太山寺への参詣路ぐらいの意味」
    「たぶん違う気がする、発音は『しろへじ』やから塩へ路が訛った気がするんや」
    「どういう意味」
    「いや、そのまんまで、塩屋から藍那や山田荘に塩を運ぶ道やったんだと思てる」
コトリちゃんは今夜も冴えているようですが、なにを言いたいのかちょっと察しかねるところがあります。今日も彼女に蹴飛ばされそう。
    義経は藍那からどこを目指したんやと思う」
    「そりゃ実平は西の木戸、義経は一の谷やろ」
    「そのままやん。私はそれを思いついたのは藍那から宿営地への移動の最中やと思うねん」
    「待てよ、それやったら二月六日の昼段階では義経はとりあえず西の木戸を目指していたことになるね」
    「そう思うねん。藍那から目指していたのは素直に塩屋で良いと思う」
    「でも塩屋に宿営していないのは熊谷・平山の先陣のお話で明らかやから、他の場所になると・・・わかったぞ多井畑厄神や」
    「やっぱりそう思てくれる。この日は吾妻鏡に雪降って書かれてぐらいやから寒かったと思うねん。まあ寒くなくても決戦前夜の宿営地は屋根があるところの方が良いでしょ」
    「そらそうや、そういえば多井畑厄神に義経が必勝を祈願した伝承があるもんね」
彼女の考え方に無理がありません。宿営地に神社仏閣を使うのはポピュラーですし、多井畑厄神なら距離的にもちょうど良いぐらいです。
    「多井畑厄神から塩屋の道も延慶本描写で一致する?」
    「もちの論よ、地図作った来たから見てくれる

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    白辺路は多井畑厄神の一の鳥居の前をだいたい東西に通ってるの。そこから西に向かうと谷川って川があって、そこを川に沿って下ると塩屋よ」
    「完璧やね、合戦前夜の二月六日夜の宿営地は多井畑厄神で決定」
    「やった〜、これで合ってる」
    「でも一つだけ、藍那から多井畑までは白辺路でエエけど、多井畑から塩屋は古道越や」
    「やだ、ホンと完全主義者やねんから。でも藍那の人は塩屋までの道を白辺路って呼んでたんじゃない」
    「道の名前はともかく、多井畑からなら熊谷直実も二時間ぐらいで西の木戸に到着できる。それと当時も軍勢を分割するのはポピュラーな戦術やけど、義経だって初めてのところやから実際に来て見て、ギリギリの段階で軍勢を分けたと考える方が合理的やと思うわ」
    「そやろ、そやろ、山本君と意見が同じやなんてホントに嬉しいわ」
    「ボクと意見が一緒でもそんなに意味ないよ」
    「そんなことあらへんねん、嬉しくて・・・」
あれ、どうしたんだろう。気のせいかコトリちゃんが涙声になっているような。こういうムックで自分の意見が認められたら嬉しいのは確かですけど、泣くほどかと言われると認めたのはタカが私です。これが学会とか研究会であればわかるのですが、何がいったいどうなってる事やらです。
    「じゃ、一の谷は?」
    「その前に兵庫津に行こう。一度見ておく価値はあると思うよ」
    「うわぁ、楽しみ。大輪田の泊ね」
コトリちゃんがお出かけするのが大好きなのは十分承知していますが、これだけ気軽に乗ってくれると張り合いが出ます。ここのところの分を挽回したいものです。