-
「カランカラン」
-
「はぁ〜い、お待たせ」
-
「なんにする」
「この店やったらモヒートがお勧めかな」
「モヒートねぇ」
「だまされたと思って、飲んでみ」
私はダイキリ。これはラムにライムと砂糖を入れてシェークするのですが、なかなかサッパリしたカクテルです。そういえば、これがマスターの一番得意だったと聞いた事もあります。ちなみにマスターはダイキリをフロリディータで、モヒートをボデギータで飲んで来たそうです。ヘミングウェイ・カクテルのそろい踏みで、気分はペアルックならぬペアカクテルの気分で勝手に浮き浮きしています。
-
「このモヒート美味しい」
そういえばtoothtoothでケーキ食べてる時も本当に美味しそうに食べていました。彼女が美味しいものを嬉しそうに食べたり、飲んだりする表情は隣にいるだけで幸せにしてくれる感じがします。幸せといえば、魅かれてるのを差し引いて考えても、彼女が隣にいるだけで楽しくなります。これは彼女の人柄というか人徳としか言いようがありません。ん、ん、ん、なんとなくこんな感じを前にも経験したことがあるけど、思い過ごしかなぁ。
-
「・・・なんなん、あの本」
「だから読みにくいって言ったやん」
「旧カナ遣いというか歴史的カナ遣いなのも参ったけど、あのひらがなの多さは幻暈がした」
-
「今日は源平武者の戦術のおさらいしようか」
「えっと、超重量級の大鎧を着て騎射するって戦術」
「それだけやないんや。騎という数え方がある。簡単には馬に乗った領主を徒歩の従者が囲む部隊のことや」
「馬に乗るのが領主で、従者は下人と呼ばれる従者たちね」
-
「とりあえず足軽部隊による歩兵部隊はいなかった」
「そうよね、足軽が出現するのは応仁の乱ぐらいからやもんね」
「だから合戦になったら小部隊同士の対戦になったはずやねん」
「なるほど、だから一騎打ちね」
-
「源平期時代に集団戦法がなかったのは聞いたことがある。たしか蒙古襲来の時に苦戦した原因の一つだったはず」
- 重量級の大鎧のための源平武者は徒歩戦を想定していなかった
- 源平武者は騎射が主要武器
- 独立した歩兵部隊はなかった
- 集団戦法はなかった
- 軍勢は小領主の部隊の寄せ集めであった
「そういうこと。ちょっとまとめとくね、
とりあえずこれぐらいかな」
「源平武者同士の格闘戦はなかったの」
「ゼロやないと思うよ。たとえば熊谷次郎直実が平敦盛を討ち取った話があるやん」
「青葉の笛ね」
「そやけど少なかったと思うんや。合戦に参加する武者の目的は何やと思う」
「そりゃ、手柄を立てて褒美をもらうこと」
「そうやねんけど、源平武者がすべて豪傑とは限らへんやん。小柄で体力のない弱い源平武者もおったはずや」
「義経なんかそうよねぇ」
「弱い武者の目的は合戦に参加して恩を売ることで、合戦場では生き残る事が目標になると思てる」
「そうよねぇ、相手が熊みたいなのに格闘戦なんか挑みたくないやろし」
-
「これやったら前のハイキングの時に須磨寺も回っとけば良かったね」
「ちょっと遠回りになるからやめといたんやけど」
「敦盛さま」
「そこかよ」
-
「それと軍勢の移動速度は考えとく必要がある」
「昔の人って一日一〇里、四〇キロメートルぐらい歩いたんだってね」
「もともとの一〇里は成人男性が1日に歩ける距離を一〇等分したものぐらいと考えてエエみたい」
「じゃ1日一〇里でOK」
「うんにゃ、独りとか少数グループならそうかもしれへんけど、軍勢となると話が変わる。荷物が多いのもあるけど、数が増えるほどペースは落ちる」
「小学校の遠足みたいな感じ?」
「そうなんだ。旅館やホテルがあるわけじゃないから、野宿になる事も多いはずやけど、人数が多いと宿営場所を確保するのも大変やし、炊事のための薪や水を集めるのも一苦労ってところかな」 「じゃ、どれぐらい?」
「一の谷の合戦の後に範頼は一度鎌倉に帰ってるんだ。そこから八月八日に再び西国遠征に出発し、八月二七日に京都に到着。つまりは鎌倉京都間の軍勢を率いてかかる日数は二〇日程度ってところかな。単純計算で1日二〇キロメートルぐらいってところやな」
「半分ぐらいに落ちるんだ。でも馬だけなら早いでしょ。一の谷の時に義経は騎馬の速度を利用して奇襲を成立させたって聞いたことがある」 「馬でも無理やと思う。そりゃ騎馬武者だけで進んだら早いかもしれへんけど、従者なしでは動けへんのが当時の源平武者やで。従者は領主の回りにいるだけでなく、同時に食事の準備や馬の世話、鎧や武具も運ぶ役目があるから、騎馬武者だけで進んでも後が困るってところや」
「なるほど、いわれてみれば・・・」
それでもヒントはあって、彼女は運動部だったみたいです。いわゆる体育会系女子。ところが私はコチコチの文化会男子。つまりは接点がないってことです。それに文化会っていえばアレですが、実質的に帰宅部に限りなく近いところに属していたので接点はますます薄いことになります。接点といえば私は運動が苦手。運動音痴までひどくないと思っていますが、御世辞にも運動は得意とはいえません。この運動が苦手と言うのが一つのトラウマで、運動が出来る人にそれだけでコンプレックスを持ってしまうところがあります。
このコンプレックスは恋愛対象にも影響して、体育会系女子は最初から対象外にして他所の世界の人みたいにしていたのです。ですから運動部だったというヒントは、私にとっては単に知らない人の可能性が高まるだけで有力なヒントになりにくいってところです。さすがに今となったら元運動部だったからといってコンプレックスはありませんが、思い出せないのはかなり辛くなっています。つうか彼女は当然私が知ってると思ってるわけで、今さら「あんた誰だっけ?」と非常に聞きづらい状況になってしまっています。最初にそのうち思い出すはずとしたのが拙かったかなぁ。後悔先に立たずってこんな状態かと痛感しています。