ピラミッドテキスト・ムック その3:とりあえず読んでいく

塚本明広氏のピラミッド・テキスト:翻訳と注解(1)からのすべて引用です。

ゼーテの章分類 ローマ字翻訳 邦訳
第1章 Dd_mdw jn nw.t ;x.t wr.t 恵み深く大いなるヌトによる呪文
z; pw smsw (ttj) | wp X.t テティ王こそは長子、(我が)胎を開いた者
mrj.j pw Htp.n.j Hr.f 彼は私の愛する者
第2章 Dd_mdw jn gb ゲブによる呪文
z; pw (ttj) | n X.t テティ王こそは(我が)身の子
第3章 Dd_mdw jn nw.t c; Hr.t_jb Hw.t Xr.t 下宮の中央の偉大なるヌトによる呪文
z; pw (ttj) | mrj.j テティこそは私の愛する子
wtjw Hr nz.t gb ゲブの(玉)座の上の長子
Htp.n.f Hr.f 彼(ゲブ)は彼(テティ)を喜び
Dj.n.f n.f wc.t.f m_b;H psD.t c;t 大いなる九神の前で彼に相続権を与えた
nTr.w ng.w m Hccw.t Ds.sn 歓喜の中にある全ての神々は言う
nfr.wj (ttj) | 素晴らしきかなテティ
Htp jt gb Hr.f 父ゲブは彼を喜ぶ
塚本氏の論文は「翻訳と注解」としてあるだけあって注解部分に単語や読み方の説明が加えられており、これはこれで興味深いのですが、レベルが当たり前ですがヒエログラフの基礎ぐらいは知っている人を対象にしているものなので、ド素人にはほんの部分的にしか原文は読めません。そのために塚本氏の邦語訳を頼りにしたいのですが、これがまた難物。おそらく逐語訳としては厳格なのでしょうが、日本語として読むのが手強すぎるってところです。そこで私なりの解釈を加えてみたいと思います。

まず「Dd_mdw」はピラミッドテキストでは呪文だそうで、「jn」は唱えるになるそうです。ここでは「wr.t」と「;x.t」は大いなるぐらいの副詞にも形容詞にもなるのだそうです。たとえば

    Dd_mdw jn nw.t ;x.t wr.t
「nw.t」がヌト女神になるのですが、その後の「;x.t」「wr.t」は形容詞もしくは副詞的なものでとにかく大仰に褒め称える言葉のようでヌトにかかるものみたいです。塚本氏は「ヌトによる呪文」と訳されていますが、全体の文意からいうと祝福とした方が相応しい気がします。呪文と言う言葉のニュアンスが難しいのですが、何もないところに呪文をかけて無から有を発生させるというより、既にある状態を描写している感じがするからです。ただ問題なのは古代エジプトの宗教観です。

ファラオは神ぐらいは私も知っていますが、問題なのは何故にファラオは神であるかです。王が神であるという思想は天皇家が現存する日本人なら、さして抵抗なく受け入れられるものではありますが、天皇が神である理由は遥か高天原の神の直系の子孫が天皇である点に基づいているぐらいで良いかと思います。言い換えれば天皇は神の血を受け継いだ末裔だから神であるです。ファラオもそうかというと少し違う感じがします。

    z; pw smsw (ttj) | wp X.t
ttjとはテティ王の事でカルトーシュで囲まれる事で王である事を示しています。「pw」は長子を表し、「z;」もしくは「z; smsw」は男子を意味するそうで、「z;.t」になると女性形になりなり娘を意味するそうです。「X.t」は胎とか身内を意味するようで、「wp」はどうやら開いた者ぐらいみたいです。この「wp」なんですが産むは「ms」ないし「msj」のようなので、ヌトが産んだという意味ではなく、テティがヌトの胎内から産み出たぐらいに取る方が良さそうです。

神が人間の女性と結ばれ神との合いの子を産む神話はギリシャ神話であったと思います。そんなゼウスの浮気を嫉妬したヘラが怒って、神との合いの子であるにもかかわらず数奇な運命をたどるパターンです。日本神話にあったかどうかは思い出せませんが、スサノオ櫛名田比売を妻にしたのがある意味該当するのかもしれません。しかしピラミッドテキストの世界はかなり様相が違うようです。テティはヌト女神から産まれ出たと書かれています。これが第1章なんですが第2章では

    Dd_mdw jn gb
「gb」がゲブ神であり、大地の神であり、天空の神であるヌト女神の夫になります。第1章をヌト女神による祝福とするならば、第2章はゲブ神による祝福と読むのが素直だと思われます。
    z; pw (ttj) | n X.t
この構文は直訳するとテティは我が肉親になると塚本氏はしています。まあヌトは女神ですから直接産んでの肉親ですが、ゲブは男神ですから表現が違うぐらいで良いでしょう。ゲブは男親としての祝福として
  • ゲブの(玉)座の上の長子
  • 大いなる九神の前で彼に相続権を与えた
原文は歯が立たないので塚本氏の邦訳のみにしますが、テティをゲブの長子と認め九神の前で相続権を与えたとしています。私が気になるのはテティがヌトとゲブの実子であるのは良いとして、現実にテティが生まれたのは母親からになります。これだけ読んだだけでは言い切れない部分があるのですが、シチュエーションとして、
  1. ゲブとヌトの子どもが母親に受胎した
  2. ゲブが人間の男親に、ヌトが人間の女親に同一化して子供を産んだ
あくまでも私の感触ですが1.の感じがします。理屈っぽく言えばヌトの胎からテティは抜け出て人間の胎に移動したぐらいの解釈です。さて大いなる九神ですが

ここに書いた神々のうち

    アトゥム、シュウ、テフネト、ゲブ、ヌト、オシリス、イシス、セト、ネフティス
これらを九神とするようですが、ここについては次回に考察を加えます。テティはゲブとヌトの長子であるとしていますが、神話上のゲブとヌトの長子はオシリスになります。ゲブとヌトの長子の座になるということは、テティがオシリスの上座に着くとも見えますが、たぶんそうではなさそうで、テティがオシリスに与えられた地位に就くでもおかしいなぁ、もっとダイレクトにテティがオシリスになるぐらいが正しそうな気がします。たぶん一番わかりにくいのが同一化って概念で、これが古代エジプト宗教の一つの特徴の様に感じます。

無理やり解釈すれば、オシリスは冥界にいるのでその分身であるテティが現世にいるというか、テティがオシリスの分身(ないし化身の方がエエかも)であることを神々が認めているというぐらいです。というのもそうでも解釈しないと次の文章の解釈が難しくなります。

ゼーテの章分類 ローマ字翻訳 邦訳
第4章 Dd_mdw jn nw.t ヌトによる呪文
(ttj) | rDj.n.j n.k sn/t.k ;s.t テティよ私は汝に汝の妹のイシスを与えた
nDr.w.s jm.k 彼女が汝を抱え
Dj.s n.k jb.k n D..t.k 彼女が汝自身の心臓を汝に与える(ように)
第5章 Dd_mdw jn nw.t ヌトによる呪文
(ttj) | rDj.n.j n.k sn/t.k mb.t_Hw.t テティよ私は汝に汝の妹のネフチェスを与えた
nDr.w.s jm.k 彼女が汝を抱え
Dj.s n.k jb.k n D..t.k 彼女が汝自身の心臓を汝に与える(ように)
第6章 Dd_mdw jn nw.t nxb.t wr.t 多産にして大いなるヌトによる呪文
mrj.j pw (ttj) | z;.j テティは我が愛する者、我が子
rDj.n.j n.f ;x.tj sxm.f jm.sn 私は彼に彼が(そこで)支配する地平を与えた
Hrw ;x.tj js 地平のホルスのように
nTr.w nb.w Dd.sn 全ての神々は言う
bw m;c pw これは真実である
mrj.T pw (ttj) | m_m ms.w.T テティこそは汝の子らの中で汝の最愛の者
stp_z; Hr.f D.t 永久に彼を守れ
第7章 Dd_mdw jn nw.t Hrt_jb Hw.t Snj.t シェニト宮中央の偉大なヌートによる呪文
z; pw (ttj) | n jb.j テティは我が心の子
rDj.n.j n.f dw;.t xht.f jm.s 私は彼に彼が(そこを)司るべき冥界を与えた
Hrw js xntj dw;t 冥界を司るホルスのように
nTr.w nb.w Dd.sn 全ての神々が言う
jw jt.T Sw rx 汝の父シューは知る
mrr.T (ttj) | r mw.t.T tfnt 汝がテティを汝の母テフヌトよりも愛することを
神話上ではオシリスとイシス、セトとネフティスは夫婦です。このうちオシリスとイシスはおしどり夫婦みたいですが、ネフティスはセトの子を欲しがりますがセトに拒否されます(神話上の理由は知りません)。そこでネフティスはオシリスと不倫してアヌビスを産む関係になります。ここは考えようですが、本音的にネフティスもオシリスを愛していたぐらいに解釈できますから、ヌトはオシリスと同一化したテティにイシスだけでなく、セトとの結婚を心配したネフティスも妻として与える寵愛を表現しているような気がします。

ここも次回で考察を加えますが、とにかくピラミッドテキストの世界ではオシリス・イシス・ネフティスはある意味セットになります。ほいでもって地平とは現世世界であり、冥界はあの世ですが、オシリスの子であるホルスは父であるオシリスを暗殺したセトを倒し地上の王となり、さらに死後は冥界にも君臨するのが神話だったはずです。エジプト神話はその時々に崇拝される神によって神話での役割が変遷する気配がありますが、ここまで読んだピラミッドテキストでは「どうも」なんですが、

これぐらいになっている気がします。ヌト女神はテティに地上と冥界の支配権をホルスと同様(つうか同一化でしょうねぇ)に与えたぐらいに解釈しても良い気がします。さてさてテティがオシリスの化身であるのは、オシリスと同一化することにより現世への復活を意味していると思いますが、そうなればファラオは必ずゲブとヌトの息子である必要が生じます。少なくともピラミッドテキストの世界ではそうなっている必要があると推測するのですが、これは次回以降に出てくるかどうかで検証する予定です。


ここまでの感想

たった7章読んだだけ(相当へばりました)で何か言うのは無理がアリアリなのですが、漠然と思い浮かべたのはイエスです。まず受胎ですがギリシャ神話系の神が人と交わるではなく、神が直接イエスをマリアの胎内に宿らせたとなっています。ここはチト強引ですが、ユダヤ教一神教ですから夫婦神の存在がないので単為生殖になっていますが、古代エジプト多神教であり夫婦神もその子どもの神も普通にいますから、有性生殖になっているだけと見れない事もありません。。

受胎のエピソードの類似性は強引かもしれませんが、死から復活のエピソード、さらには死後の神とイエスの関係はピラミッドテキストに似ている気がしています。まずまずイエスが復活できたのは神の子であったからで良いと思います。これは古代エジプトで復活できるのは神の分身であるファラオに限られていたのと類似しています。もっと気になるのは復活後で、イエスと神(と聖霊)の関係は三位一体説で定義されるとなっていますが、簡便にwikipediaより、

  • 三位一体論が難解であることはキリスト教会においても前提となっている。
  • 正教会においては、「三つが一つであり、一つが三つというのは理解を超えていること」とし、三位一体についても「理解する」対象ではなく「信じる」対象としての神秘であると強調される。
  • カトリック教会においても、神は自身が三位一体である事を啓示・暗示してきたが、神自身が三位一体であることは理性のみでは知り得ないだけでなく、神の御子の受肉聖霊の派遣以前には、イスラエルの民の信仰でも知り得なかった神秘であるとされる。

三位一体説は高校ぐらいの歴史教科書にも出てくるぐらい有名なものではありますが、その実態の説明は相当でないレベルで難しいとなっています。なにしろ

上述の諸教会において、三位一体は、「三神」(三つの神々)ではない。また「父と子と聖霊は、神の三つの様式でしかない」「神が三役をしている」といった考え(様態論)も否定される。

私のような多神教徒では神学的真意は永久に理解できないにしろ、姿形は違えどもすべては同じ神であるの考え方自体はそれほど抵抗なく受け入れられます。これは古代エジプトにおいても、ファラオはオシリスであり、オシリスは冥界に住み、ファラオは死後にオシリスと同一化すると説明されても「そんなもんだ」であんまり無理なく受け入れられた気がします。つうか三位一体説は唯一神は分割されない絶対の前提が神学としてあるため、単純に説明できる分身や化身を完全否定しているので話が難解になっている気がしないでもありません。

前にも書きましたが、聖書に出エジプト記が残されているぐらいユダヤ民族はエジプトに長期間住んでいたわけで、古代エジプトの宗教観に影響を受けなかったとする方が不自然です。完全な外野からすると、古代エジプトではファラオにのみ許されていたオシリスとの同一化、さらにはそこからの復活の宗教観を反映させていた気がどうしてもします。まあ宗教論を書くともめ事の火種になるので与太話はこの辺にしておきます。