私はピラミッドテキスト自体も、ごくごく最近その存在を知った程度のものですのでピラミッドテキスト自体の基礎編です。
ピラミッド・テキストはヒエログラフで書かれており、ヒエログラフ自体はシャンポリオンの成果もあり、現在ではかなりのレベルで解読可能のはずです。ですからピラミッドテキスト自体の翻訳文はあります。もちろん私はヒエログラフなんて読めもしませんので、さらにこれを邦訳したものを読んでいるのに過ぎないのですが、相当どころではない難解さです。ピラミッドテキストに書かれている内容は研究者によると
これらがビッシリ書かれているのは間違いないのですが、これが前後左右の文章に素直につながらないので研究者は悪戦苦闘しているぐらいでしょうか。それでも現在は研究の成果として、- 仮死状態の王がヌト女神の胎内を意味する棺から抜け出し、冥界を意味する玄室を徘徊し、地平を意味する前室を通り、日の出を意味する通廊を抜け天に昇るために書かれている
- 1.の説とはまったく逆で葬儀用に書かれている
さて古代エジプト人の死後世界を語るには知識が乏しすぎるのですが、まず死とはカー(精神)が体から離れることによって起こると信じられていたようです。ここら辺がややこしいのですが、カーは精神であって魂ではなく魂はバーになります。カーが身体から離れると死を意味するのですが、この時に葬祭儀礼によりバーも体から離すことが重要であったようです。体から離れたカーとバーは再結合してアクを復活させるとされています。アクってなんじゃらホイになるのですが、いくつか解釈はあるようですが復活後のアクは正しい死者みたいな感じでそんなに間違っていないようです。wikipediaより、
エジプト人たちは来世を通常の身体的な存在とかなり似たものと想像していたが、そこには違いもあった。この新しい存在のモデルは太陽の行程であった。夜には太陽はドゥアト(冥界)へと下る。そこで太陽はミイラとなったオシリスの体に会う。オシリスと太陽は互いによって再びエネルギーを得て、次の日の新しい生へと立ち上がる。死者にとっては、その体と墓は自分にとってのオシリスとドゥアトなのであった。この理由から、これらはしばしば「オシリス」と呼ばれた。
これを読んですぐ理解出来たらたいしたものですが、太陽(神ではなく太陽そのもなのかなな?)は日が沈むと冥界に入ると考えられていたようです。そこで太陽はオシリス神(ミイラの外見)に出会ってパワーを再充填し、翌朝には昇ってくるというのが基本のようです。これと同様に死者もアクとして存在するのですが、夜になれば墓所に戻り、自分のミイラからパワーを再充填してもらうぐらいでしょうか。墓所が冥界であり、自分のミイラがオシリス神ぐらいってところ良さそうなのですが、アクのうち王族のアクは墓所でエネルギー充填をするのではなくwikipediaより
完全なアクは星辰として現れるとも考えられていた。末期時代になるまでは、太陽神との一体化は王族のみのもので、王族以外のエジプト人は太陽神と一体化するとは考えられていなかった。
王族のアクは神になると考えられていたようです。泥縄式なんで怪しいところが満載なのですが、どうも古代エジプトの宗教観に「同一化」が結構なポイントの様な気がします。ピラミッド・テキストはファラオが死後に完全なアクになり、神と同一化するために必要な呪文や儀式を散りばめてあるぐらいの見方が今は有力みたいです。
塚本明広氏のピラミッド・テキスト:翻訳と注解(1)より、
PTは、彼以前の研究を集大成したゼーテにより、内容に基づく並行本文一覧という観点から編集し直されたされた際、章t(Spruch/chapitre/utterance,spell等)と節(Abschnitt,Paragraph/paragraphe/chapter,section)に分けられ、昨はさらに行(Stuck/verset等)に分けられた。その結果、章数にして714章、節数にして2217節に達した。これは壁面の縦書き刻文の行立てを反映しない。要するに全く無関係である。
PTとはpyramid textの事なのですが、ゼーテはウナス王以外にピラミッド・テキストは見つからないと考えていたようですが、その後に4人の王と3人の王妃から見つかったために比較検討が可能になっています。そのためゼーテの章分類は何人もの研究者によって改訂が試みられたようですが、結局のところ現在でも標準とされる決定版はないそうで、ゼーテの章分類を基礎に分類が行われているのが実情だそうです。つまりは第1章が始まりというわけでもなく、第2章が第1章の続きとも必ずしも言えないだけでなく、
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壁面の縦出き刻文の行立てを反映しない。要するに全く無関係である。