城郭マニアの方なら理由を知っておられるかもしれませんが、以前から不思議だったことです。櫓の起こりは矢倉のはずで、城砦に高い建築物を作り、高所から矢を射下すために作られたものぐらいに理解しています。もちろん見張り台の役目も兼用です。初期の櫓は丸太を組んだ上に望楼風の物見台がついている形であったはずです。これが近世城郭に発展すると土壁に囲まれた二重・三重の堂々たる建築物に変わっていきますが、求められる機能は基本的に同じぐらいに考えています。
明石城の巽櫓も元和年間に作られたものが今に残されている貴重なものですが、どうにも違和感があります。明石城は天守台まで作られましたが天守閣は作られず、代わりに本丸の四方に三重櫓を配したとなっています。それは良いのですが、巽櫓がどうにも不思議な気がしてならないというところです。とりあえず見てもらいます。
南側 | 東側 |
北側 | 西側 |
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どうもヘンだ!
南東側 | 北東側 | 西側 |
元和の築城ですから戦闘の実用性より美観に重きを置いたとしても、城外から城を見るときはともかく、本丸から櫓を見た時にはどうにも見栄えが悪い気がします。まるで映画のセットみたいで、撮影しないところに無駄なものは作らないって感じすら受けます。他の城の櫓まで調べる気力がないのですが、少なくとも伏見城から移築されたとされる坤櫓の3階部分は四方に窓が付いています。理由をググってみたのですが、残念ながらこれを解説しているものを見つけられませんでした。単純に元和の頃の築城思想がそうだったぐらいに理解して良いのでしょうか。
誰かご存知の方がおられれば教えて頂ければ幸いです。