平安京の地理

保元・平治の乱、とくに平治の乱に進みたいのですがあれは京都の市街戦です。そうなれば当時の京都の地理を知りたいところです。現在の京都市平安京に重なるように発展して存在するんですが、それでも平治の乱当時と現在は様相が違います。具体的に何を知りたいかと言えば平治の乱で登場する建物が具体的にどこにあったかです。たとえばwikipedia

12月9日深夜、藤原信頼と信頼に同心した武将らの軍勢が院御所・三条殿を襲撃する。

こうありますが院御所とか三条殿はどこだ? ってところです。まず参考にしたのは

寛政3年(1791年)と言いますから江戸期のものですが、なかなか興味深いものです。歴史上の有名人の住居が結構網羅されています。ただ欠点としては平治の乱当時の建物の所在も示していますが、それ以前のものも混在しています。まあ、名所旧跡を案内する観光地図みたいなものですから致し方ありません。もう一つ、これも面白いもので、当時の内裏の建物まで詳細に記述してあります。洛内の建物の配置も結構書いてあります。この2つを合わせれば平治の乱当時の主要な建物位置の比定は「それなり」に出来そうな気はします。ただそのためには平安京の原図が必要です。まず碁盤の目を再現して、そこに建物を書き込んでいくぐらいの狙いです。当時の寸法はある程度わかっています。
  • 平安京造営尺は0.299メートル
  • 基本街区は40丈四方(1丈は10尺)
  • 東西の堀川は川幅4丈、左右に2丈の道がつく
  • 縦横の街路は煩雑なので略
街路の幅が微妙に変わる分は面倒でしたが、描きだすと案外簡単でした。繰り返しパターンが多いので、ある程度描いたらコピペで作業ペースが上がるってところです。ここでどうせ書くなら可能な限り正確にと思ったのですが、完成してみると大きなネックが出てくる事が判明しました。こういうものを書くには縮尺が必要なのですが、正確性にこだわるとやはり「1丈 = 1mm」になります。これ以上縮尺を小さくすると実作業として描くのは難しくなります。そうやって出来上がった原図は東西で1508mm、南北で1753mmになります。とにかく大きいのです。Illustrater上ではスケールを自在に変えられるので良いのですが、ブログに出すとなると小さくて見えないってところです。

一部建物の書き込みをやっている途中の原図を示してはみますが、

区画はなんとか見えますが字が読めません。ここは工夫が必要そうです。それとできれば現在の京都地図と重ねたいのですが、これはかなりの難作業で保留としておきます。