延喜式の蘇

蘇とはwikipediaより、

蘇(そ)は、古代の日本で作られていた乳製品の一種。8世紀から10世紀にかけての頃、日本で最初に作られたチーズである。

高級食材として珍重されたとなっていたはずです。味としてはwikipediaより

味は淡白で、カッテージチーズに近い味わいがある。ジャムと混ぜて食べると美味である。ミルクケーキの甘さを少なくしたような味で、牛乳の濃厚な香りがする。

現物は滅んで久しいのですが再現実験は行われています。製法は延喜式にあり、

其取得乳者,肥牛日大八合,痩牛減半。作蘇之法,乳大一斗煎,得蘇大一升。但飼秣者頭別日四把。

最後の「但飼秣者頭別日四把」の意味が把握できませんでしたが1斗の牛乳を煮詰めて大1升の蘇を得るとなっています。ここで単位の話をしておかないといけないのですが、律令期は現在の升や合の0.4倍になります。大1升とは10合なのですが現在の4合になります。後で出てくるのですが升にも大・小があり、

    大1升 = 小3升
こういう換算になります。延喜式の製法は牛乳を1/10に煮詰めると書いてあることになります。日本家政学会誌 Vol.40 No.3 201〜 206 (1989)「延喜式」に基づく古代乳製品蘇の再現実験とその保存性」と言うペーパーによると、牛乳の濃縮の限界は14%だそうで、濃縮率が16%以下で水分活性0.90になり一般細菌増殖の下限値になるとされています。半分以上「へぇ」てなところですが、さらに検討を加えています。

ペーパーでは濃縮率14%・16%・18%のものの比較検討を行っていますが、蘇は諸国から運ばれる都合上、長期保存が前提となるとしています。結論だけ言うと濃縮率16%・18%のものはカビが生えてしまいますが、14%のものなら当時の素焼きの壷に和紙で密封しても長期保存に耐えたとなっています。ペーパーではだから濃縮率14%のものが古代の蘇であろうとしています。問題は形状で、

S14が濃縮率14%、S16は以下同文なのですが、濃縮率18%のものはクリームチーズ様になり現在のエメンタール・チーズに近いものになったとしていますが、14%では顆粒状のものになったとしています。ほいじゃ古代の蘇は「ふりかけ?」ってな疑問が出て来ますが、ここはそんな再現実験があったとだけしておきます。


諸國貢蘇番次

蘇は全国を6地域に分けて6年に1回づつ中央に納めるとなっています。表にしてみます。

丑未年
国名 大升 小升 大五合 生産量(リットル)
伊勢 7 11 0 15.8
尾張 5 10 0 13.4
三河 4 10 0 12.7
遠江 4 10 0 12.7
駿河 4 8 0 10.7
伊勢 0 7 0 6.8
伊豆 0 10 0 9.7
甲斐 6 10 0 14.1
合計 40.4
寅申年
国名 大升 小升 大五合 生産量(リットル)
伊賀 0 7 0 1.7
武蔵 7 13 0 8.3
安房 0 10 0 2.4
上総 7 10 0 7.5
下総 8 12 0 8.8
常陸 10 10 0 9.7
合計 38.4
卯酉年
国名 大升 小升 大五合 生産量(リットル)
近江 7 11 0 7.8
美濃 7 10 0 7.5
信濃 5 8 0 5.6
上野 5 8 0 5.6
下野 5 9 0 5.8
若狭 0 8 0 1.9
越前 6 9 0 6.6
加賀 6 9 0 6.6
合計 47.5
戌年
国名 大升 小升 大五合 生産量(リットル)
能登 3 6 0 3.7
越中 4 6 0 4.4
越後 4 7 0 4.6
丹波 3 8 0 4.1
丹後 2 6 0 2.9
但馬 3 8 0 4.1
因幡 3 8 0 4.1
伯耆 3 8 0 4.1
出雲 3 8 0 4.1
石見 2 6 0 2.9
合計 39.2
亥年
国名 大升 小升 大五合 生産量(リットル)
大宰府 15 20 35 28.6
合計 28.6
子午年
国名 大升 小升 大五合 生産量(リットル)
播磨 6 9 0 6.6
美作 3 8 0 4.1
備前 2 8 0 3.4
備中 2 8 0 3.4
備後 2 5 0 2.7
安芸 2 6 0 2.9
周防 0 6 0 1.5
長門 0 8 0 1.9
紀伊 2 5 0 2.7
淡路 4 6 0 4.4
阿波 4 6 0 4.4
讃岐 5 8 0 5.6
伊予 4 8 0 4.9
土佐 4 6 0 4.4
合計 52.8
見ればお判りのように全国規模での生産が行われています。一番生産量が多いのは・・・武蔵かな?
蘇と醍醐
蘇と同じようなものとして扱われるものに醍醐があります。今でも「醍醐味」なんて言葉が使われる事があります。wikipeiaより、

仏教の大乗経典『大般涅槃経』(だいはつねはんきょう)の中に、五味として順に乳→酪→生酥→熟酥→醍醐と精製され一番美味しいものとして、涅槃経も同じく最後で最上の教えであることをたとえとして書かれている。

醍醐とは蘇のさらなる熟成品みたいな位置づけになりますが、本当に日本に存在していたかどうかについては議論があるようです。 New food industry, 35(2): 5-8 1993 有賀秀子「「本草綱目」に基づいて再現した”酥”と「延喜式」
に見られる” 蘇”について」]の説を紹介しておきます。

 ここで貢蘇番を当時の地図に落としてみよう。乳戸、乳牛院の中心であった畿内、すなわち山城、大和、摂津、河内、和泉の五国が貢蘇番から除外されていることに気づく。この地帯は早くから乳の利用がなされ、三宮には毎日乳を献じていた地帯である。ではここで何がなされていたのであろうか。都から近いこれらの国では、多分、褐変するまで長時間加熱して作る保存性は高いけれど乳糖のざらつきが感じられる蘇ではなく、保存性には劣るが滑らかなクリーム色の酥が、中国本草書に基づいて作られていたと考える。

なかなか大胆なので推理で採用したのですが、乳から作られるものでも蘇と酥は違うとしています。蘇は延喜式にあるように乳を単純に加熱濃縮して得られものです。一方の酥は

  1. 弱火で撹拌しながら加熱し濃縮させる
  2. 一夜静置し凝固層を形成させる
  3. 凝固層を分離し、再度湯煎で加熱してクリーム状のものを得る
実際に作るとだいぶ出来上がりが違うようです。本当に日本に蘇でなく酥があったかは不明なんですが、有賀氏によると醍醐とは、

醍醐は酥から40℃前後の温度下で自然溶離してくるバターオイルようの製品である。

実際に試験もされたそうですが、蘇からは醍醐の回収は無理で、酥からなら回収可能としています。日本家政学会誌 Vol.40 No.3 201〜 206 (1989)「延喜式」に基づく古代乳製品蘇の再現実験とその保存性」にも濃縮率が低いもののほうが滑らかな製品が得られる一方で、保存性に劣るとなっていますから、日本の蘇は遠国から納められる蘇と畿内で生産される酥の二本立ての構成であった可能性は残ると私も思いました。


消えたチーズ

延喜式を読む限り「ほぼ」全国で蘇の生産が行われていた事がわかります。蘇が古代人に取っても美味であったらしいぐらいは推測しても良いと思っているのですが、不思議なのは結局のところ日本に定着しなかった事になります。定着どころか綺麗サッパリ忘れ去られてしまったとしても良さそうです。酥の製法はチト難しそうな気はしますが、蘇の製法は比較すると単純そうな気はします。原料である乳の入手も牛がいれば可能な訳であり、中央への物納義務がなくなっても美味しければ作られそうな気がします。製法もこれだけ広範囲で行われているのですから、習得は出来たはずです。保存食にもなりますし。

まさか蘇を個人的に作って食べる事まで禁止されていた・・・とも思いにくいところです。地方の国司だって都で食べた蘇が食べたければ自分の国で作らせる事も不可能とは思えません。そうなると中央貴族はともかく、末端庶民に取ってはさほど美味しいと感じられなかったのかもしれません。とにかく、なぜにこれだけ広範囲で作られていた蘇が消えてしまったかについては私の力では原因不明でした。