日曜閑話79-2

JSJ様から鬼頭宏氏の研究では縄文晩期の畿内の人口が1200人となっているの情報を頂きました。鬼頭氏も根拠に基づいてこの数値を弾きだされていると思いますが、ちょっと少ない気がします。奈良文化財研究所の遺跡データーベースで、大阪府奈良県縄文時代から弥生時代に引き続いている遺跡数の実数を集計しています。奈良文化財研究所は報告書ベースなので、重複分を手作業で除いたものです。結果は、

この数で考えると集落あたりの人口は4〜5人程度になってしまいます。これは幾らなんでも少ない気がします。またこの遺跡数は調査報告書ベースであって、未発見分、さらには完全消滅分も少なからずあるはずです。仮に実際に存在した集落数を300ヶ所として、
弥生早期の集落数 集落平均人口
10 15 20 25 30
300 3000 4500 6000 7500 9000
これぐらいは人口がいても不思議ない気がします。もっとも言いだしたらキリがなくて、縄文時代弥生時代の遺物が発掘されているからと言って、その遺跡が連続して続いてる保証はないと言われれば返答に窮するところです。縄文人が死滅した後に同じ場所に弥生人が集落を構えたの仮説です。しかし私はごく素直に同じ場所にあるのですから、縄文時代から弥生時代に引き続き存在した、つまり弥生早期にも存在していたものが大部分と考えます。

ただこの手法で鬼頭氏の仮説を否定してしまうと人口仮説そのものが根底からひっくり返ります。どうしたものかと悩んでいるところです。