日本の医学部配置の変遷マップ

前回前々回の続きです。この程度の調べ物は「3日で済ませろ!」のお叱りの声もあるかもしれませんが、だいぶとパワーが落ちてますのでご容赦頂きたいところです。今回は新たな情報が加わったのではなく、これまでの情報の視覚化です。つうか恒例の全国マップにしてみました。医学部は1874年に医制が作られ医師国家試験(当初は医師開業試験)に合格し医師免許を得た者のみが行える事に対応して作られたぐらいの理解で間違っていないかと存じます。

当初は医学校として作られましたが、医学校の選別が行われ、医師国試が不要の甲種医学校と国試が必要な乙種学校に分けられます。甲種になれなかった医学校の多くはその後消滅していいったぐらいの理解で良さそうです。乙種医学校のその後までは調べきれませんでした。この乙種医学校が1885年時点で21校、これに帝国大学を加えた22校が原初的な医学部として差し支えないかと存じます。これの分布は、

このまま定着したかと言えば全然そうではなく、淘汰整理がさらに行われます。当時の学制は大雑把に言うと一つしかない帝国大学を頂点とするピラミッド構造なのですが、帝国大学進学資格を得る高等中学校(旧制高校と考えて良いかと思います)を全国に7つ作り、そのうち5つに乙種医学校を吸収する形式を取ります。この時に高等中学校に吸収されなかった医学校は、大阪、京都、愛知以外は甲種認定を取り消され、バタバタと消えていったようです。結果として医学部は、

  • 帝国大学
  • 第一〜第五高等中学校
  • 大阪、京都、愛知の医学校
この9校にまで絞り込まれます。ここまで絞り込んだ後に第一〜第五高等中学校に吸収されていた医学部部門が医学専門学校として独立し、帝国大学が増え、私立校も認可されるところが出てきます。確認できたところで1903年時点では、

この時に16校です。この後に七帝大、旧六体制が出来上がって来るのですが、戦前の医学部のある種の完成型が1939年時点の理解で良いかと考えています。この時が26校です。

日本の産業の発展は私の頃の社会の授業で覚えた四大工業地帯が核になっています。産業の発展するところに都市が発達し、人が集まるのは当然の事で、そういう目で見ると東京、名古屋、大阪・京都、福岡に重点的に配置し、残りは満遍なく配置しているとしても差支えないかと思います。格別西日本優遇と見るのは難しく、たとえば中国四国では岡山に一つしかありません。つうか全部で26校のうち東京に9校、大阪・京都に5校、福岡に2校の16校が集まり、残りは11校しかありません。この配置に西日本優遇とか、東北冷遇を云々するのはかなりの無理があります。


この後に医学部大増産時代が到来します。今日のお話では大学医学部と医専を同等に扱わせて頂いている事を送ればせながらお断りさせて頂きますが、戦局の拡大により軍医不足が深刻になり、軍医が不足すれば本国の医師も不足する事態が起こったぐらいの理解で良さそうです。そのためにこの時期から戦中にかけて医専が大増産されます。簡単に大学医学部と医専の核の違いは、そうですねぇ、現在の正看護師と准看護師ぐらいの差ぐらいで考えても大外れではないと考えています。医専の増産はすべての大学医学部に医専コースを別に作ったぐらいのもので、最終的に68校になっています。医専・大学医学部を合わせた医学部の配置は最終的にどうなったかですが、

この量産された医専ですが、戦後にGHQにより選別淘汰が行われています。1939年時点の医学部が戦前からの老舗とすれば、GHQの淘汰整理により増えた分が戦中からの老舗(今となってはです)ぐらいと見て良いかもしれません。この時の医学部は45校。この体制は基本的に田中内閣の一県一医大政策まで継続されたと見て良いかと考えています。

この配置も格別西日本優遇と言い難く、東北冷遇とも言いにくいところです。つか配置に格別の地域冷遇とか厚遇とかの痕跡を読み取るのは非常に難しいと存じます。人口当たりも1950年当時で前回の時に試算していますが、とくに東北に冷遇はありません。その後の人口変動についてはそれこそ「しゃ〜ない」です。一旦作ったものを簡単に動かせるものではないからです。ところで医学部はおおまかに分けると設立は3つの時期に分けて良さそうです。

  1. 明治から昭和初期に成立した老舗群
  2. 戦中の医専からの系譜を引く準老舗群
  3. 一県一医大政策の時に作られた新設群
福島県にも草創期の医学校時代には甲種医学校が成立していましたが、これは残念ながら現在に続くものになっていません。ただし甲種医学校21校のうち12校は廃校となっており福島だけが狙い撃ちされて廃校になったわけではありません。高等中学校への吸収されたもの以外で生き残ったところは、地元の非常な熱意で生き残ったとした方が良いかと思います。もうちょっとあからさまに言えば、当時の地元の経済力の差でしょうか。それでも福島は戦中の医専からの系譜はしっかりと引く準老舗群には属します。冷遇かどうかは別ですが、一県一医大政策以前に医学部がほぼ一貫してなかった県として、
    山形、茨城、栃木、埼玉、富山、福井、静岡、滋賀、島根、香川、愛媛、佐賀、大分、宮崎、沖縄
この他に秋田や高知や山梨も、戦中の医専はありましたが戦後に生き残る事は出来ていません。別に下見て暮らせと言う気はありませんが、福島だけが戊辰戦争の影響を現在まで引きずり続け、医学教育に於て冷遇の極みを受け続けていると結論するのは無理があり過ぎるぐらいです。