フェアユース

ネット上でも周期的に問題になる著作権法の問題です。ごくごく簡単にまとめると、

  1. すべての著作物には著作権がある
  2. 著作物を許可なく転載・複製してはならない
  3. ただし条件さえ満たせば引用は自由である
細かな例外規定は自分で調べてください。引用時の条件も荒っぽくまとめると、
    引用した文章量より多い自分の文章が必要
他にもありますが、とにかく量的条件を満たしておけば、とりあえずだいたいOKぐらいと解釈しています。ただ量的条件を満たすのは非常に大変です。引用もあんまり短いと
  1. 恣意的な引用
  2. 全体の文脈としては違う
こういう批判が出やすいのは確かです。そういう誤解を減らすように長めの引用を行えば、今度は引用の量的条件のハードルが連動して上がり
    グダグダ書かずに3行でまとめろ!
こういう批判も出てくるわけです。あちら立てればこちら立たずで結構大変なところです。それでも私は可能な限り引用条件を満たすように努力はしています。これでも著作者の端くれですから他人の著作物は尊重するのは著作権法以前にマナーと考えるからです。それでも本音で言えば「もうちょっと、なんとかならんか」と感じる事はしばしばあります。そこで出てくるのが、恥ずかしながら最近知ったのですがとりあえずwikipediaからです。

フェアユース (fair use) とは、アメリカ合衆国著作権法などが認める著作権侵害の主張に対する抗弁事由の一つである。同国の著作権法107条 (17 U.S.C. § 107) によれば、著作権者の許諾なく著作物を利用しても、その利用が4つの判断基準のもとで公正な利用(フェアユース)に該当するものと評価されれば、その利用行為は著作権の侵害にあたらない。このことを「フェアユースの法理」とよぶことがある。フェアユースの大きな特徴の一つに、著作物が著作権者の許諾なしに利用できる場合(つまり、著作権が制限される場合)の規定の仕方については、限定的使用のための複製や引用、また裁判手続等における複製等(後述参照)のような具体的な類型を列挙する方法によるのではなく、抽象的な判断指針を示す方法によっていることがあげられる。

ここも一つ誤解されないように強調しておきます。

日本ではどうかと言えば

日本において日本国著作権法30条 - 47条の3[2]によって定められた範囲を超えて著作物を利用した場合に、フェアユースの抗弁によって著作権侵害を否定できるかがしばしば論点となる。著作権法1条(法目的)に見られる「文化的所産の公正な利用に留意」の文言に基づいてフェアユースの抗弁を認める説も存在するが、現在のところそれを認めた裁判例は存在しない。逆にフェアユースを否定した判例は存在する[3]。

まだ導入されていません。ただし導入の検討はされています。ただwikipediaを読んでももう一つピンと来ません。そこで平成23年度著作権委員会第一部会「フェアユースに関する米国判例」を参考にしてみます。判例ですので結構具体的に書かれています。フェアユースかどうかの判断は次の4つの条件で判断されるようです。私もザッと目を通しただけなのですが

フェアユース適用条件 私の解釈
使用の目的および性質(使用が商業性を有するかまたは非営利的教育目的かを含む) 商業性が強ければ辛く、非営利的・教育目的であれば甘く認定されるぐらいのところです。もちろん商業性であっても認められる時は認められます。パロディー作品なんかもフェアユースの対象になり認められているからです。それでも得られる利益が公共的なものか、私的なものかでかなり判断が変わり、私的利益になるような商業性の高いものがフェアユースの適応を受けるハードルはかなり高そうな感じです。
著作権のある著作物の性質 法の素人には難しいですが、著作物にも高度に保護される性質のものとそうでないものがあるようです。独創性とかオリジナリティ(一緒か・・・)に関わる物のようで、端的にはプロの商業作品とアマチュアの趣味作品ではハードルが若干異なるぐらいでしょうか。
著作権のある著作物全体との関連における使用された部分の量および実質性 転載量の問題ぐらいで良いようです。たくさん転載・複製するほどフェアユースのハードルが高くなるぐらいの理解でもそんなに間違っていないかと思います。
著作権のある著作物の潜在的市場または価値に対する使用の影響 著作物が転載使用される事によって、原作品の価値がどうなったかです。つまり実質的に被害を受けたか、受けなかったか、それとも逆にメリットを得たかぐらいです。
それと米国法としての特徴として、
    トランスフォーマティブ
これが判例の判断に大きく影響しています。日本語にあえて訳せば「変形的」ぐらいになるのでしょうか。変形も形を変えればそれで良いと言うものではなく、変える事によって新たな価値とかオリジナリティを生み出す点を重視しているとしてもよさそうです。転載量が多くとも、出来上がった作品がトランスフォーマティブであると認定されればフェアユースは適用されるぐらいです。つうかまずトランスフォーマティブでないと訴訟にもならないのかもしれません。4つの条件がフェアユース適用の判断項目とはなっていますが、それ以前にまずトランスフォーマティブであるかないかの判断がフェアユース適用のために必要とされるぐらいでしょうか。

私の理解不足もあるかもしれませんが米国流フェアユースとは、他人の著作物を利用して自分の作品を作り上げる事を認めるものと解釈しています。それにトランスフォーマティブ(≒ 独創性)を認めた上で、

  1. 商業性のものか非営利的なものか
  2. 原著作物がフェアユースに適したものか
  3. 原著作物からの転載・引用量がトランスフォーマティブに必要なものであったか
  4. 原著作物に悪影響を与えていないか
これらの差引勘定で判断するぐらいです。



ここで重要なのはさらなる大前提がありまして、

第106条および第106A条の規定にかかわらず,批評,解説,ニュース報道,教授(教室における使用のために複数のコピーを作成する行為を含む),研究または調査等を目的とする著作権のある著作物のフェアユース(コピーまたはレコードへの複製その他第106条に定める手段による使用を含む)は,著作権の侵害とならない。

ここの解釈は「どうも」ですが、フェアユースの原初的概念として「批評」「解説」「ニュース報道」「教授」「研究」「調査」のための非営利的・教育目的の転載・複製は基本的に著作権法の例外とするものぐらいで良さそうです。全部が無条件と言う訳ではないでしょうが、日本のようにあらゆる著作物に対し引用しか認めず、さらに引用のために量的条件を一律に課しているものではないぐらいです。

日本も教育目的のために著作権法の例外規定を設けていますが、非営利的な言論活動には著作権法が乗っかります。フェアユースの規定があれば、そうですねぇ、ブログでありがちなスタイルである報道記事をコピペして、そこに短い(日本の著作権法の引用条件を満たさない)解説文を添える形もフェアユースとしてOKとして良さそうです。つうか原則として「OK」になると聞いた事があります。

平成23年著作権委員会第一部会「フェアユースに関する米国判例」で検討している事例は、どちらかと言わなくともフェアユースの応用拡張編のようなものとして良さそうです。商業性を帯びた著作利用でもフェアユースの適用が受けられる時は受けられるぐらいです。ただ原初的な概念のフェアユースに較べるとグレーゾーンが多く(適用条件が厳しく)、4条件の適合性の総合判断とトランスフォーマティブの評価が重視されているぐらいに解釈しています。



もう一度お断りしておきますが、現在の日本では認められた判例はありません。そりゃ日本の著作権法にはフェアユース規定がないからです。ただなんですが日本でもフェアユースの検討が公式に行われています。これはおそらくTPP加盟時にこの問題の発生を懸念しているからだと見ています。先手を打って導入する方針なのか、外圧に押し切られる形を取る事になるのか予測は出来ませんが、遠からぬ将来に米国法を雛形にした日本流フェアユースが導入される可能性はそれなりにあると見ています。

今の日本でも原初的なフェアユースの概念を掲げて訴訟すれば勝てるんじゃないかの意見を持つ弁護士もおられます。ここら辺を少し穿って考えるとマスコミ記事に対する著作権侵害は日常化していますが一罰百戒的な訴訟行為に出た話をあまり聞かないのは、マスコミも日本でのフェアユース導入の機運を感じているのかもしれません。そこまでは考えすぎかもしれませんけどね。とにもかくにも日本もフェアユースを導入してくれるとブログを書くのも相当ラクになります。その時までこの半分死んでいるようなブログが続いているかどうかは・・・別問題としてください。