STAP論文問題

とにかく門外漢なもので今まで泥縄式に情報を集めて考えていました。ちいと難解な上に微妙なところがあれこれありスルーでも良いかと思っていましたがやはり一度ぐらい取り上げておきます。とりあえずSTAP細胞とはなんぞやです。これも大づかみにしか理解できなかったのですがwikipediaより、

動物細胞に特定の外的刺激(ストレス)を与えて分化多能性を持たせた細胞とされている

wikipediaを読んだ程度の理解ですが、たとえば植物細胞なら傷がついた部位が再生しますし、イモリも尻尾を切られれば再生します。これは刺激を受けた部位が万能細胞化したためと理解されるそうです。この現象は哺乳類では起こらないのが常識とされていましたが、実験の結果「起こった」としたのがSTAP論文のキモぐらいの理解で良いかと思います。非常に生煮えの理解であるのは遺憾とさせて頂きます。それと「万能細胞」なる表現を使いましたが、あくまでも「どうやら」レベルで申し訳ありませんが、

ゴメンナサイ。これ以上突っ込まないでください。私も最後のところの違いは「ようわからん」です。


論文の真の問題点

今日の話はある現役バリバリの研究者のお話を下敷き(殆ど受け売り状態)にさせて頂いている事を白状しておきます。画像のすり替えとか転載問題があれこれ指摘されていますし、それもまた小さくない問題なのですが根本的な問題は、

誤解を恐れずに書きますが、実験室の「たまたま」レベルであっても本当にSTAP細胞の作製に成功していれば論文問題はずっと小さくなります。論文に問題点があるのなら書き直せば良いだけレベルとすれば言いすぎでしょうか。今回のNatureへの投稿も研究主任の話によればrejectされた回もあったそうです。これが査読者の審査をクリアして発表されても問題点が指摘され取り下げとなっても、再び書き直してチャレンジすれば良い事になります。科学成果の評価は論文によって行われますが、当たり前すぎるお話ですが大前提として「そういう事実があった」が重要と言うことです。これがあれば困難であっても何度でもチャレンジが出来る面があると私は考えています。

それとこの「事実」の存在ですが、再現性は必ずしも必須のポイントではない点があります。これが実験室レベルの意味合いです。たとえばある実験結果は特定の実験室でしか再現できないなんて事があります。「さらに」になると特定の実験室でもある期間しか再現できないなんて事もあります。なぜそんな事が起こるかと言うと、実験の成功は研究者がまだ解き明かしていない何かがカギとなっていたぐらいです。小説「ジキル博士とハイド氏」で、ジキル博士は性格を変える薬品の開発に成功します。その薬品は確実に存在するだけでなく、効果をジキル博士自身が確認しています。ところがその薬品は急に作れなくなれます。原因は試薬のロットが変わったためと小説ではなっています。ある時期の試薬に正体不明の不純物があり、その不純物が薬品作成のカギとなっていたです。小説ではそういう不純物が薬品作成のカギであるところまでジキル博士はたどり着いていますが、現実ではそこまでたどり着けない事も多々あるです。

研究成果の評価としては再現できなくなってもジキル博士が薬品を作り出したことがポイントになります。再現が出来なくなっても事実として存在すれば評価されるです。再現性が重要になるのは研究成果が汎用性を持つかどうかの問題になり次元が少し異なります。再現性がないとその研究成果からの応用性・実用性に至る道は閉ざされますが、たとえ「たまたまの一発」でも実験成果が存在すれば研究としては十分に評価に値するです。なぜにその時だけ実験に成功したかを研究するのもまた研究で、そんな研究も世の中にはたくさんあります。


疑惑の払拭のための再現実験へのさらなる疑惑

理研は論文問題の対応として再現実験での検証云々の話を持ち出しています。これまた恥ずかしながら再現出来たら正当性のある証拠になりうるとも見てました。ところが「そうではない」の御指摘を頂いた次第です。問題は発表時にとにかくSTAP細胞が本当に作られていたかどうかがキモ中のキモであるの指摘です。ここを確認しないといくら再現できても疑惑の検証にはならないです。

どういう事かと言うと再現実験でSTAP細胞がたとえ作られても、それが元の実験でも作れていたとイコールにならないです。さらに付け加えれば再現実験でSTAP細胞が作れなくともオリジナルの実験で作れなかった検証にもまたならないです。オリジナルの実験でSTAP細胞が作成できている事が論文のすべてであると言うことです。論文の真価は

    不可能と言われた哺乳類のSTAP細胞が作れた
これだからです。再現性とはオリジナルの成功があった時に使われる言葉で、もしオリジナルの報告時にSTAP細胞が存在していなかったらオリジナルの実験は単に失敗しただけのものであり、この再現実験こそが世界初のSTAP細胞作成の栄誉を担う事になります。これを再現できたからオリジナルも存在しているはずの論法は問題のすり替えに過ぎないの指摘です。でもって今回は残されている資料からそれは可能なはずだの指摘です(ゴメンナイサイ、ここも「出来るはずだ」の言葉を信じています)。そんな事は熟知しているはずの天下の理研の科学者の重鎮が再現実験を持ち出すのがそもそも
    不可解だ!
ちと回りくどいお話ですが、何回も聞き直してようやく「なるほど」と私も理解できました。


疑惑が疑惑を呼ぶ

マグレでもタマタマでも本当にSTAP細胞が作れていたのなら問題は矮小化します。それこそ厳然たる科学的事実だからです。しかし現時点ではこの点が曖昧にボカされています。ですから疑惑が疑惑を呼ぶ状態になります。再現性は必ずしも必要としないのは上述しましたが、これを理由に無から有を作る様な空想科学小説を書いていたんじゃなかろうかです。つまりは出来た事にした論文作成です。この疑惑を蹴散らすためには上述したように論文の質はともかくSTAP細胞は存在していた事を立証するのが科学の本道ぐらいとすれば宜しいでしょうか。

実験室内は当たり前ですが閉鎖空間で関係者以外の出入りは出来ません。そこで行われた成果は実験室内の人々しか現物を見て確認できないのです。でもってそれを信用するのが大前提です。万が一でも空想科学小説を書いていたのであれば、科学者としての生命はその瞬間に終わります。信用の代償とはそこまで大きく、大きいが故にこれを守るのが科学者の倫理です。正道ではなく邪道で事態を糊塗しようとする態度は嫌でも疑惑を呼びます。論文が空想科学小説であるのを隠蔽するために、泥縄式に新たなSTAP細胞実験を行っているんじゃなかろうかです。これでどんな手でも使って作れたら責任を回避できるみたいな組織防衛行動です。

天下の理研がそんな姑息な事をするとは信じられないのですが、そうじゃないかの疑惑だけが膨らむ状態に現在はなっている気がします。


疑惑の傍証

今回の論文騒ぎで引っかかっていたのは、疑惑部分への指摘がえらく手早かった点です。それこそ華々しい発表の直後ぐらいから疑惑への指摘が噴出していました。さらに言えばこの指摘が妙に具体的で的を得ていた感じがします。世紀の大発見クラスの研究発表ですから、論文の内容に注目されたぐらいと当初は解釈していましたが、それにしても手際が良すぎる印象です。あくまでも憶測ですが疑惑部分への指摘は発表に備えて準備されていたんじゃなかろうかです。

「どうも」ばかりで申し訳ないのですが、理研内部で「あの研究は怪しい」の観測があったんじゃないかと見ています。研究者気質と言うか、理研内部がどんな雰囲気なのか知る由もありませんが、言うても同じ施設内の事ですから、ある程度の情報は入るだろうと見ています。つうか最初からそういう目で見られる要素があるプロジェクトではなかったろうかです。理研がどういう理由でSTAPプロジェクトに力を入れたのか知る由もありません。理研は気風として「おもしろそうだから」ぐらいの理由でも研究に手を出す事も多いと言われています。そういう理研内でも当初から色眼鏡で見られるものではなかったろうかです。

つまり理研内でも「あれは訳あり」とされていたぐらいです。訳もかなり”negative”なものです。ほいじゃ発表前に疑惑を指摘すべきじゃないかになりますが、それが内部指摘で処理できない「訳」があったぐらいです。発表前に内部でやると押しつぶされる懸念ぐらいでしょうか。だからひたすら発表を待ち、その直後にカウンターを喰らわせたぐらいです。憶測じゃないかの指摘は甘んじて受けますが、理研のドタバタ対応がどうにもスッキリ思えないぐらいの感触です。


それでもSTAP細胞については保留

個人的な感想ですが、アカデミズムとしての研究業績の評価とSTAP細胞の存在の有無は少し切り離して考えています。植物細胞で可能なものが哺乳類、いや人類にも可能になれば素晴らしい発見だと今でも思っています。現時点では論文どころか本当にそんな実験が存在したかさえ疑惑をもたれていますが、私の興味のキモは論文に関係なく哺乳類から本当にSTAP細胞は作れないのだろうかです。

植物細胞と動物細胞は進化の相当早い段階で分化しています。それでも大元をたどれば同じ種になります。植物細胞がSTAP細胞になれるのは種が分化したのちに獲得した特質なんでしょうか、それとも大元はそういう性質をもっており種の分化のの後に動物細胞には失われてしまったと考えるべきなんでしょうか。お世辞にも詳しいと言えない分野なので感じとしては分化後に失われたと「見れそう」ぐらいなんですが、その理由は何か、失われた事によって手に入れた物は何かないかみたいな話を考えます。この考え方の延長線上で、失われてしまったのならこれを呼び戻せませんが、眠っている物なら呼び覚ますことが可能と理論上は言えます。

今回の論文問題で呼び覚ます可能性のアイデアまで葬り去ってしまうのはチョット残念な気がします。そういう意味でもまず本当にSTAP細胞が作成できていたのかを確認して欲しいと思っています。さらに出来ないなら出来ないで現時点での研究成果を発表して欲しいぐらいです。失敗結果も重要で、もし後に続く者がもしいれば「あの手法以外でチャレンジだ」に最低限つながるからです。そこまで望むのは贅沢ですけどねぇ。