江戸期の貨幣制度と「かけそば」換算

これが貨幣制度だけでも3行でまとめられないぐらい複雑なものなのです。それでも概略ぐらい知っていないと困る時が多いので、個人的な知識整理です。


基本単位

江戸期には金貨、銀貨、銭貨の3種が流通しています。これ以外に藩札もあり、さらに本位通貨であったものが信用通貨的に変化する複雑な過程があり、それを弥縫するために新たな通貨が発行されたりで専門の研究家が存在するほどのものです。全部書きだしたらキリがなくなるので基本中の基本だけ書いときます。

種類 単位
金貨 1両 4分 16朱
銀貨 1貫 1000匁 10000分
銭貨 1貫文 1000文
特徴としては金貨のみ4進法を取っています。金貨の最低単位である1朱は1両の1/16になります。なぜ金貨が4進法になったかですが、武田家のものをそのまま取り入れたためとなっています。これに対し銀貨、銭貨は10進法です。これはたぶん慣習的に先に確立していたのではないかと推測しています。これだけでも江戸期の通貨を直感的に理解するのが難しいのはわかってもらえると思います。つまり1朱が何文であり、銀何匁に相当するか判りにくいです。


レート

江戸期の通貨のややこしさは4進法と10進法の混在だけではありません。江戸期の通貨制度は金銀複本位制と一応言われています。金貨と銀貨は基本的に独立しており、交換レートが相場で決まるものだったからです。これにさらにがつき、金貨・銀貨に対する銭貨の交換レートも相場制であったからです。時代小説で悪名高い両替屋が活躍する訳です。基本は江戸が金本位制であり、上方が銀本位制でした。江戸期の流通は大消費都市であった江戸に上方から商品を流し込むのが基本ですが、上方の商人は商品を江戸で金貨単位で売買し、上方ではその金貨を銀貨に変えて仕入れを行うぐらいに考えれば良いかと思っています。

これはあくまでも基本で、上方であっても、江戸であっても金貨も銀貨も通用した(当たり前ですが・・・)のですが、江戸は金貨決済、上方は銀貨決済が基本だったぐらいに理解しても良いかもしれません。どう考えても不便なのですが、江戸期を通じて変わらなかったのは相場制のためであったとも考えています。これは想像ですけれど、金貨・銀貨の交換レートは変動しても、江戸や上方の金1両、銀1貫の価値(購買力)はそんなに変わらなかったのだろうと考えています。感覚として円高ドル安になろうが円安ドル高になろうが円もドルもその国の人々の感覚ではあんまり変わらないのと同じです。一国のうちに2つの独立した貨幣が流通していたぐらいの理解でも良いかもしれません。江戸にとっては銀貨は外貨であり、上方にとっては金貨は外貨ぐらいの感覚です。

これに銭貨の交換レートが出てくるので一筋縄にいかなくなると言ったところです。


それでもの慣用レート

金銀銭貨の相場の変動は激しかったとされます。相場の変動を利用して両替商が巨利を博したなんて話がたくさん残っています。現在の財テクを彷彿させますが、相場とは別に交換レートがあったんじゃなかろうかと思っています。当時の情報伝達は現在と比べ物にならないぐらいプアです。商人にしても上方から船で乗り出し、江戸で売りさばき、大阪で金貨を銀貨に交換するにしても1か月仕事ぐらいになる時代です。船の中で刻一刻と変わる相場を常に把握しながらいるのは無理でしょう。ある程度の相場変動があるにしても、それなりの目安レートがあったんじゃなかろうかです。

江戸大阪の廻船問屋だけでなく、地付きの商人もそうです。業種によるでしょうが、米屋にしても基本は小売です。文単位で売買した利益を集積して上方なら銀貨に交換し、江戸なら金貨に交換して蓄財する訳です。江戸でも1両と言う単位は日常的には使われなかったとしても、1朱なら直接使われる事はあったはずです。上方の小粒銀もまた然りです。日常の売買で持ち出された時に、いちいち相場を確認してから釣銭を出すと言うのも面倒なお話です。

あれこれ調べてみたのですが、元禄期に行われた幕府の有名な経済施策に金銀改鋳があります。この時に金銀相場を2割下げようとした(金高銀安)記録があります。具体的には金1両が銀50匁だったのが、銀60匁に導こうとしたです。これもスッタモンダがあったようですが、金銀交換比率はおおよそ「金1両 ≒ 銀50匁」だったんじゃなかろうかです。金銀改鋳は金貨の品質も下げていますが、同時に銀貨の品質も下げての貨幣増大策です。両方とも品質が下がって貨幣供給量が増大したため、両替商の相場感覚として相殺であり「金1両 ≒ 銀50匁」の攻防が幕府と両替商の間で熾烈に行われているとの記録です。


これは余談ですが、金銀改鋳の影響は様々にあったようです。荻原重秀の金銀改鋳政策は、その後に新井白石らの揺り戻し政策が行われています(結果はどっちもどっちの評価です)。ただ揺り戻し政策のお蔭で世の中には同じ1両(銀貨も同様)でも品質が違うものが混在して流通する結果になり、さらに幕府はこれを追認せざるを得なくなっています。このため金貨も銀貨も表向きの表示価格とは別に、品質による評価が行われたとも記録されているようです。本位通貨の本位通貨たるところですが、実はそれで決着したわけでなく、さらに後世の明和の通貨改革により本位通貨から信用通貨への流れが出来上がります。つまりグルッと回って1両とさえ書いてあれば何でも1両とみなす方向性です。

余談ついでですが、信用通貨的な流通になった幕末期の通貨体制ですが、開国によって大打撃を受けます。列強は本位通貨の時代だったのです。でもって、時代はその後に再び信用通貨の時代に至りさらに現在に至るです。ビットコインの事件があって、そういう変遷をふと思い出しました。余談はともかく「金1両 ≒ 銀50匁」目安があったような気がしています。そうですねぇ、現在なら「1ドル ≒ 100円」程度と見なす感覚でしょうか。


銭貨のレート

金貨、銀貨のうち、金貨は実際にはあんまり使われなかったとされます。流通量も多くなかったですし。銀貨も14匁とか15匁とかの単位になると日常的に用いられることはなく、感覚として決済用の貨幣と言う感覚であったようです。要は通貨としての単位が大きすぎて日常的には使いにくかったぐらいです。金1両なんて今でいうと、10万円金貨で支払われるようなもので、出されてもお釣りに困るぐらいでしょうか。銀貨はその点まだましと思われ、「金1両 ≒ 銀50匁」なら「金1両 ≒ 銀500分」に細分できます。

さて問題は銭貨です。日常的に使用されていたのは銭貨であるのは間違いないのですが、これが何文で金1両に匹敵したかです。これも時代によっての変遷があるので一概には言えませんが、参考にしたのは江戸庶民の生活です。これは文政年間の記録ですが、文化・文政年間は江戸時代でも化政時代と言われ、江戸文化の爛熟期とされる時代です。将軍で言えば家斉の時代で、歴史的には大御所時代とも呼ばれます。江戸時代の一つのモデルみたいな時期としても良いかと考えています。

江戸庶民の生活にはあれこれと具体的な値段が書いてあって興味深いのですが、注目したのは、

    米1升半〜2升 ≒ 100文
こうなっているところです。これは以前に調べた事があるのですが、江戸時代は幕末の混乱期を除いて「1両 = 米1石」がほぼあったとされています。化政年間もそうだったとすれば、銭貨のレートが概算できます。概算ですから米1升を50文と仮定してみます。1石は1000升ですから
    金1両 ≒ 米1石 ≒ 銭5000文(5貫文)
こういう概算が出来ます。銀貨で言えば「銀1匁 ≒ 100文」で銀1分は10文ぐらいになります。


かけそば換算

ここから現代の貨幣価値への置き換えは大変難しいものになります。と言うのも置き換える指標を何に置くかで換算は大幅に変わってしまうからです。江戸期には高級品であったものが現在では安価な物になっていたり、逆に安価であったものが高級品に変わってしまっている物も多々あるからです。そこで私が注目したのは「かけそば」です。江戸期でも手軽な食べ物としてあり、現在でもまたそうです。価格的な価値はそんなに差が無いんじゃなかろうかです。つまり江戸期の「かけそば」を現在の立ち食いそばの「かけそば」に置き換えてもあんまり変わらないのじゃなかろうかです。

「かけそば」は16文となっています。立ち食いそばの「かけそば」は、う〜んと、250円ぐらいでしょうか。そうなると、

    1文 ≒ 15円
これが出てきます。同時に金1両は75000円ぐらい、銀1匁は1500円ぐらいが出てきます。これは私独自の「かけそば換算」ですからその点は注意をお願いします。このかけそば換算を用いて、江戸庶民の生活にある物価例を換算してみると、
文政年間の物価例 値段 現代換算
間口9尺奥行3間の割長屋のひと月の家賃 500文 7500円
風呂銭 8文 120円
かけそば1杯 16文 240円
米1升半〜2升 100文 1500円
酒1合 20〜24文 300〜360円
実はこれだけではピンと来ない点があります。収入は「いくらなんだ」です。これも江戸庶民の生活にある表をモデファイすると、
項目 補足 費用 現代換算
家賃の貯え 記述がないので分からないが、当時の長屋の家賃が500文くらいなので50文と想定した 50文 750円
米代   200文 3000円
味噌、醤油   50文 750円
菓子代   13文 195円
余り 酒代や雨などで商いできない日の貯え 200文 3000円
合計 513文 7695円
これが一家の1日の生活費だったようです。家族構成は妻と子供2人と祖父(爺々)がいたようで最低5人以上です。ここには分析を少し加えてみたいと思います。まず味噌・醤油はどうでしょうか。リンク先の引用文にも、

味噌もなし、 醤ひしおもなしと云。又五十文を与う。

これは毎日50文必要だったと言うより、50文分の味噌醤油で何日かは保ったと考える方が妥当な気がします。ここも何日かは推測するしかないのですが、5日分とすれば10文/日です。問題は「余り」の内訳です。これも参考データが掲げられています。


米代の倍ぐらいが調味・光熱費となっています。つまりは薪炭代です。しかしそうなると光熱費が400文になり足りなくなります。う〜ん、そうなるとやはり1日の米代の200文も過大になります。つまり味噌醤油代同様に1日分じゃない可能性です。試算方法を開き直って考えると、513文のうち光熱費が46%ですから230文ぐらい、米代をその半分の115文としてみます。さらに家賃は500文想定ですから、25日は働くとして20文として見ます。そうなると1日の生活費は
項目 補足 費用 現代換算
家賃の貯え 月々500文の家賃 20文 300円
米代 1升50文計算で2升ちょっと 115文 1725円
味噌、醤油   10文 150円
菓子代   13文 195円
光熱費 ほぼ薪炭 230文 3450円
余り 酒代や雨などで商いできない日の貯え 125文 1875円
合計 平均収入 513文 7695円
さて「余り」と括ってしまってある125文もさらに必要な支出があるのが円グラフは示しています。衣料費と道具・家具代が目につきます。家具代と言うか、これは細々した買い物代(慶弔費等も含む)と解釈しても良いかもしれませんが、どちらも比率は家賃と同じなので、合わせて1か月で1000文、1日あたりは40文とすると残りは85文です。ここに働きに出られない日の蓄えは必要です。1か月のうち4日ぐらいは発生するとして、1日当たり355文必要と考えれば1420文。これを1500文と考えれば1日当たり60文。最終的に残るのは25文(375円)になってしまいます。う〜ん、いくら「宵越しの金は持たない」と言っても25文では、かけそば(16文)食べて、天ぷら1串(8文)載せれば終わってしまいそうな気がします。お酒なら1合飲めば終わりです。


この試算の信憑性ですが、とにかくモデルとなった行商人は1日当たり500文程度は稼ぐと見てよさそうです。行商人は天候にも左右されるでしょうから、年間300日働いたとします。そうなると稼ぎは年間で15万文になります。15万文とは、

  • 金貨換算で30両(225万円)
  • 銀貨換算で1500匁(1貫500匁)
引用したグラフの大工職人の年間支出の銀1貫514匁にほぼ合致します。この程度がいわゆる江戸期の町人の標準的な暮らしだったのかもしれません。ここで思ったのは1か月500文として年間家賃6000文はともかく、光熱費が6万9000文になるのはスゲェと感じました。家賃と光熱費を合わせると7万5000文、全支出の半分を占める事になります。JSJ様も指摘されていましたが、光熱費(薪炭代)の割合が大きいのが江戸庶民の家計構成の特徴なのかもしれません。


蛇足の試算ですが、先日からこだわっている油です。行灯がどれほどの油代を食うかです。これが難しいのですが、どこかに1晩で1合は使うという記述もありましたから10時間/合と考えます。また江戸庶民は1人平均7.5リットルの油を使うとも書いてありました。家族5人で考えると37.5リットルになり20升程度になります。菜種油は1升が米2升分、今日の試算基礎は米1升50文としていますから100文程度になります。そうなると年間2000文相当になります。でもって20升の照明時間は1合あたり10時間と考えると2000時間、1日当たり5時間半程度でしょうか。費用にして5.5文(82.5円)ぐらいです。まあこの辺は物価の上下もあって、米1升が100文、菜種油1升が400文であったの記録もあり、そうならば4倍の22文(330円)になります。

あくまでもこれは平均での試算です。夜は寝れば油代は不要になるわけですから倹約の対象になったのは判りますが、思ったほど高くない印象を受けました。もっとも生活費の残金試算は上でやりましたが、手元に残るカネの少なさから、5文でも10文でも節約はしたいと言えばそうかもしれません。それでも油の需要は多かったそうで、時に品切れも起こしていたそうです。やはり夜間に照明の欲求は強かったと見てよさそうです。そうそうもう1回念を押しておきますが、今日の試算はあくまでも「かけそば」換算であり、これが実態をどれほど表しているかは保証の限りではございませんから、そこのところは宜しく。